星エリナのほろよいハイボール(連載66)

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星エリナのほろよいハイボール(連載66)

命が尽きる
星エリナ
 
 震災後、避難してきていた親戚たちは、四月の最初に福島へと帰っていった。ガソリンも手に入り、車二台で帰っていった。この四月から小学校一年生になる甘えん坊な妹ちゃんと剣道大好きお兄ちゃん。二人は、福島の小学校で今までと同じ友だちと生活をすることを希望した。私や私の父なんかは、このまま埼玉の学校へ通うのもいいんじゃないかと提案した。被災者に対する手当てなどもあるし、私の家から学校までは歩いて3分くらいですぐ近い。だけど、やっぱり福島へ帰りたい。友だちにも会いたい。そういった気持ちが強かったらしい。
 祖母は埼玉に残った。祖母の家は原発から近いため、帰ることすらできなかった。理由はそれだけじゃない。祖父だ。福島県の老人ホームで寝たきりの生活をしていた祖父は、震災後、イーグルバスで病院や施設をたらい回しにされた。
 最初は、横浜の施設だった。バスで半日、移動というか、運ばれた。ここは、もともと入居していた施設と同じ系列だったのだが、すぐに施設は満員になった。次に祖父は板橋区の病院へまわされた。この病院にいたのは二週間くらい。こちらも長い間入院させてはくれなくて、治療が必要じゃない人は施設にまわされた。
 その次の施設は私の家から近かった。一つ隣の駅にある施設だった。一度見に行ったことがある。特にきれいな場所でもなかったけれど、働いている方々はすごく優しかったからなんとなく安心していた。だけど、その施設には一週間も滞在しなかった。
脳梗塞じゃないかしら」
 施設の方が、祖父の様子がおかしいと言う。すぐに病院へ行ったほうがいい。
 祖父はその施設のすぐ近くの病院へと移った。そこの病院の方は少しドライだけど祖父のことをよく考えてくれる人たちだった。少し前から脳梗塞だったのではないか、と言われた。だけど祖父は、施設の前は板橋の病院にいたのだ。そこの病院では何とも言われなかった。
 考えたくはないけれど、そこの病院があまり良くなかったか、忙しくて見逃していたのかもしれない。そう言われた。そして、「もって、二週間です」とも言われた。何に怒っていいかも、わからなかった。
 病室に行くと、祖父は目をかっぴらいていた。「いろいろなところに連れてこられてびっくりしちゃったんだねぇ」と看護婦さんは言っていた。
 そして丁度二週間後の夜、祖父の命は尽きた。5月のはじめ。震災から、二ヶ月もしないうちに。
 関東に避難していた親戚たちは私の家へ次々と顔を出した。私の家の畳の上に寝ている祖父に会いに。そこで無事を確認し合う親戚同士もいた。
「おじいさんが会わせてくれたんだねぇ」
 小さい頃は、あんなにパワフルだと思っていた田舎のじっち、ばっちゃらが、その時の私には小さく見えた。
   

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