清水正の「ドストエフスキー論」自筆年譜(連載8)

江古田文学」82号(特集 ドストエフスキーin21世紀)に掲載した「ドストエフスキー論」自筆年譜を連載する。

清水正の「ドストエフスキー論」自筆年譜(連載8)

一九九四年(平成6年)45歳

◎『ドストエフスキーの暗号』 (4月25日 日本文芸社)四六判・並製二五五頁 定価一三〇〇円
 ※「序章 なぜ、今、ドストエフスキーか?」「第一章 ドストエフスキー〈数字に隠された暗号〉」「第二章 ドストエフスキー社会主義批判の暗号〉」「第三章 ドストエフスキー〈思想に隠された暗号〉」所収。
【本書には一九九四年三月三日に執筆したもう一つの〈あとがき〉がある。「Д文学通信」二八七号に掲載したものを次にそのまま引用しておこう。
《わたしは本書の序章において「ドストエフスキーを読まずして人類の現在と未来を語るなかれ」と書いた。何を大げさな、と思った方もあるかもしれない。しかしどう思われようと、このことはわたしのいつわらざる気持ちであるのだから仕方がない。ドストエフスキーが死んだのが一八八一年であるから、今年で実に百十三年も経ったことになる。が、ドストエフスキーの文学は一向に色褪せない。それどころかますます輝きを増している。作品世界に秘められた謎も、死後百年を経てようやく明るみに出てきつつある。
 わたしがはじめてドストエフスキーに触れたのは危険な年頃一七歳で、それから今日まで二十八年間にわたってドストエフスキーを読みつづけている。ドストエフスキ|論をはじめて書いたのは一九歳の時『白痴』についてであった。それから今日までおよそ七〇〇〇 枚のドストエフスキー論を書き継いできたが、依然としてドストエフスキーはその全貌を見せることはない。
 一九八六年に一〇〇〇 枚の『罪と罰』論を上梓して以来、わたしの作品批評は量的に膨大なものになった。『悪霊』論にいたっては、全三部作で一七〇〇枚を超えるものとなった。
 一九八九年に『宮沢賢治ドストエフスキー 』を書いて以来、わたしはもっぱら賢治の童話について書きすすめ、結果としてドストエフスキー論はしばらくやすむことになった。いずれ『カラマーゾフの兄弟』に関して徹底的なアプローチをしようと思っているが、ここ五、六年は充電期間と考えていたのである。
 世間でどれくらいの人たちがドストエフスキーを読んでいるか知らないが、わたしは日大芸術学部の文芸学科のゼミで、十余年間にわたって学生たちとドストエフスキーを読み続けてきた。その成果は年度たびに刊行するゼミ雑誌「ドストエフスキー研究」に結実している。が、序章でも触れたように、一九九一年、ユネスコが「ドストエフスキーの年」と定めた年においてすら、日本の文芸ジャーナリズムはドストエフスキーのドの字もとりあげることはなかった。中国天安門事件、東西ベルリンの壁の崩壊、ルーマニアの独裁者チャウシェスクの処刑、イラククウェート侵攻に始まる湾岸戦争ソ連邦の解体、民族紛争の勃発──と近年の国際情勢はとにかくめまぐるしく移り変わり、血なまぐさい事件に満ちている。まさに世界はドストエフスキー的諸問題に充満しているというのに、わが日本では、やれカラオケだ、ディスコだ、コンパだなどと、老いも若きも能天気に浮かれっぱなしである。こんなことでいいのか。いいわけはない。
 ドストエフスキーは人間の神秘を解き明かすべく小説を書き続けた作家であるが、この世に人間として生まれて来た以上は、だれもが一度はドストエフスキーの作品を読むべきである。べきなどというと、押し付けがましい感じがして拒否感を抱くかもしれないが、もうそんなことにはいちいち気を止めず、とにかくだまされたつもりで読んだらいい。そうすれば、百年以上も前に、人間と神との問題を徹底的に見つめ、描き出した一人の作家が存在したことに烈しい感動を覚えるだろう。本書は、ドストエフスキー の現代性、ドストエフスキーの預言性、ドストエフスキー文学の奥の深さを強調するために、かつて刊行した拙著の中から、特にインパクトの強い箇所をピックアップし、それを読者にわかりやすく、しかも刺激的になるよう配慮して、書き直し、書き足して再構築をはかった。
 本書を一読していただければわかるように、ここでとりあげたのは主に『罪と罰』と『悪霊』であり、しかもごく限られた主要人物に限定してある。が、本書にはわたしのドストエフスキー論のエキスがたっぷりいれこんである。読みようによっては充分に堪能していただけるのではないかと思っている。
 ドス卜エフスキーが作品の中に埋め込んだ謎は深く、発表されてから百年以上たつというのに、謎自体が発見されてこなかったと言っても過言ではない。
 ここでは本文で触れなかったことを『罪と罰』と『悪霊』から一つづつあげておこう。

罪と罰』から
 ラスコーリニコフの名前は666であり999 であると本文でも触れたが、それだけではない意味もふくんでいる。自分の名前に三つのРを持ったロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコ|リニコフ(Родион Романович Расреда в скольников) はテロリスト(Террорист ) でもあったということである。ラスコーリニコフは高利貸しの老婆アリョー ナを殺害した非凡人の思想家であっただけでなく、その名前(三つのР) の中に皇帝殺しを謀るテロリストの貌をも隠し持っていたのである。シベリアの十年を生き抜いて来た元政治犯ドストエフスキーは、間違っても皇帝殺しを謀る主人公を前面に押し出すようなことはしなかった。しかしきちんと、あるいはちゃっかりと主人公の名前に、「教理問答書」を書いたネチャーエフ並みのテロリストを潜ませていたのである。

『悪霊』から
 ウリイ州の市民は、ドアのうしろにぶらさがっていた。小卓の上には小さな紙片が置いてあり、鉛筆で次のように書かれていた、──『だれをも咎むることなかれ、われみずからなり』。同じその小卓の上に、金槌と石鹸のかけらと、予備に用意したものらしい大きな釘とがのっていた。ニコライ・スタヴローギンが首を吊った丈夫な絹ひもは、明らかにあらかじめ吟味して用意されていたものらしく、一面べっとりと石鹸が塗られていた。すべてが覚悟の自殺であること、最後の瞬間まで意識が明晰に保たれていたことを物語っていた。
  町の医師たちは、遺体を解剖したうえで、精神錯乱説を完全に、そして強く否定した。

『悪霊』全巻はこれをもって幕を降ろした。主人公ニコライ・スタヴローギンの“自殺”を報告して作中作者アントンは姿を消した。
 アントンが「覚悟の自殺」と書いたことで、『悪霊』の読者はニコライ・スタヴローギンの“自殺”を微塵もうたがわなかった。一九世紀中葉の町の医師が、遺体の解剖で〈精神錯乱説〉を否定したなどというまるで冗談のような最後の一行を、なぜ読者は大まじめに受け入れて来たのだろうか。
 ここでもまたわたしの脳裏には、「ヒドク・ワラウ、ワライスギル」赤く長い舌をもったピョートル・ステパノヴィチ・ヴェルホヴェーンスキーの顔が浮かんでくる。 『スターリン──その秘められた生涯』(バーナード・ハットン著、木村浩訳、講談社学術文庫)の中に次のような文章がある。

 この時代には恐ろしいことが沢山あった。秘密警察の責任者であったエジョフは、五年前、先輩のヤーゴダがしでかしたと同じような重大な問題をひきおこした。これは彼が、スターリンに、共産党政治局の人々に関する情報を手渡したことに始まった。彼の報告書には、モロトフ、ヴォロシーロフ、ベリヤ、カガノヴィチ、ミコヤン、ヴォズネセンスキイの名前がのっており、彼等はスターリンを謀殺しようとしている反対派に種々知恵をかし、現在の政府を倒して、トロツキイと一緒になって勢力をのばそうとしていると書いてあった。
 スターリンは、ヤーゴダの時と同様に、この書類を火にくべ、エジョフをその地位から追放してしまった。彼はまもなく、秘密警察の医師たちによって気が触れていると宣告され、レニングラード近くの精神病院に拘禁されることになった。病院へ送られたその日、公園の木に首を吊っている彼の姿が見られた。その死体の首のところに、『私は腐肉だ』というカー ドがぶら下がっていた。それが彼の筆跡でなかったことは明白である。

 ニコライ・スタヴロー ギンの遺書の筆跡が本人のものであったなどとはどこにも書いてなかったことを改めて想起すべきであろう。

  西ドイツ成立直後、脱獄計画は実行に移され、メンゼンブルグはフランスの牢獄から逃亡した。しかしその二日後、この共産党リーダーの体は、木にぶらさがった死体として発見され、“自殺” と発表されたのである。

 これは広瀬隆氏の『クラウゼヴィッツの暗号文』(新潮社) からの引用である。
 もう、わたしの言いたいことはお分かりだろう。今まで“自殺”として微塵も疑われなかったニコライ・スタヴローギンの死は、ピョートル・ステパノヴィチ・ヴェルホーヴェンスキーおよび彼の手先による“他殺”の加能性もあるということである。

 ドストエフスキーの予言的眼差しは、人類の破滅とその後の運命に向けられている。1999 年まで、あとわずか五年にせまった。ラスコーリニコフは〈1〉人の〈999 〉として〈7 〉月の首都ぺテルプルクを舞台に〈踏み越え〉のドラマを展開した。はたして、1999年7月は、人類の〈破滅〉と〈復活〉を成就する運命的神秘的な年・月となるのだろうか。
いずれにせよ、本書を読み終えた者は、さっそくドストエフスキーの作品に直に触れていただきたい。本書ではいっさい言及しなかったが、『カラマーゾフの兄弟』はこの世に生まれて来たすべての人間の必読書である。》】(「自著をたどって」より)
◎『宮沢賢治・不条理の火と聖性──『貝の火』をめぐって──』 (5月28日)A5判・上製241頁 定価2200円
 ※「三三章 ホモイの切迫した時性」「三六章 ホモイの〈熱病〉と〈てんかん〉」「三七章 ホモイの精神病理」「三八章 宮沢賢治ドストエフスキーの「てんかん性本質特徴」──ホモイのてんかん病理と抑圧されたオイディプス的野望をめぐって──」「宮沢賢治てんかん」「四二章 ホモイとラスコーリニコフの思想」所収。

一九九五年(平成7年)46歳
阪神・淡路大震災(1月17日)
地下鉄サリン事件(3月20日)

◎『ビートたけしの終焉──神になりそこねたヒーロ──ー』 (3月25日 D文学研究会)四六判・並製二二三頁 定価一五〇〇円
 ※「一章『ソナチネ』をめぐって」(「村川の〈死の美学〉と、キリーロフの〈人神思想〉」「ニコライ・スタヴローギンに通ずる村川の虚無と行動」「キリーロフの我意と二重思想」「キリーロフの叫びと憤怒」「キリーロフの〈神〉となる実験・〈死の美学〉の成就」「ひとはみな卑劣漢・他をを殺し己れを殺す〈神〉」「村川とニコライの死・母の領地での自殺」)「あとがきにかえて ビートたけしドストエフスキーを読むとき」所収。
○「〔第9講〕ある「聖女」の話◎『罪と罰』ソーニャにみる偉大なる母性」:『マイカレッジライブラリー 心とからだの大学』 (5月1日 DHC)所収。
○「『ドストエフスキーの暗号』のもうひとつの“あとがき”」 :「Д文学通信」No.287(7月15日 Д文学研究会)
◎『つげ義春を読む』 (11月30日 現代書館)A5判・上製三一〇頁 定価
二八〇〇円
※「『ゲンセンカン主人』の多義的解読」(「『ゲンセンカン主人』を論ずる前に──〈意識空間内分裂者〉による『分身』解釈と『ゲンセンカン主人』について──」「終幕場面とドストエフスキーの『分身』」「ゲンセンカン主人とスヴィドリガイロフ──〈幽霊〉〈永遠〉〈淫蕩〉をめぐって──」)「『チーコ』のその後」(「芸術的雰囲気と犯罪者の心理──つげ義春ドストエフスキーをめぐって──」)所収。

一九九六年(平成8年)47歳

○「『停止した分裂者の覚書──ドストエフスキー体験──』を書いていた頃」 :「Д文学通信」No.288(2月29日 Д文学研究会)
○「《悪霊》の時代の闇は《白い》」 :「Д文学通信」No.288(2月29日 Д文学研究会)
○「ドストエフスキーから宮沢賢治」 :「江古田文学」32号(12月30日 江古田文学会

一九九七年(平成9年)48歳

◎『「オイディプス王」を読む』 (7月30日 D文学研究会)四六判・上製三三五頁 定価二二〇〇円
 ※「神に反逆しないオイディプス──ドストエフスキーの人神論者たちとの関連において──」所収。
◎『つげ義春を解く』 (7月30日 現代書館)A5判・上製三二四頁 定価二八〇〇円
 ※「『四つの犯罪』と探偵小説をめぐって」(「〈探偵小説〉の面白さと、〈文学〉の豊饒──江戸川乱歩の作品とドストエフスキーの作品──」)所収。
◎『つげ義春の快楽──学生と読むげ義春──』 (12月10日 日本大学芸術学部文芸学科)A5判・並製255頁 非売品
清水正編著。「わが青春の一モメント──つげ義春ドストエフスキーを読んでいた頃」所収。
◎『つげ義春の快楽──学生と読むげ義春──』 (12月20日 D文学研究会)A5判・並製255頁 定価二二〇〇円
 ※新装版