演劇学科日舞卒業公演を観る

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四六判並製160頁 定価1200円+税


本日は午後六時より演劇学科日舞卒業公演を観る。演技コースの卒業公演に感動したので、演劇学科の卒業公演は時間を作ってでもすべて観ようと思った。本日の公演はすばらしかった。
特に私の心をふるわせたのは、小野ひとみの「にんぎょうのうた」。パンフには「わたしは、人形です。でも、生きています。からだの奥で叫ぶわたしの声に手足は答え、からだはうたいます。」とある。さらに「これは、人間の世界をひとりの人形が生きようとした、魂の叫びである。2人のわたしが呼び合い、ぶつかり、共鳴する、独唱なのだ。わたしという存在は、自らに操られた人形なのである。」と記されている。文章がいい。ストレートに表出された内面の言葉でここにはみじんの虚飾もない。踊りはこの〈魂の叫び〉を裏切っていない。内的葛藤を踊りという身体表現にみごとに合致させている。


小野ひとみさん


池杏子の踊りには精神内部の奥深くに降下していく快感をおぼえた。パンフに「ジェームズ・アンソール作『陰謀』1890年」の絵が載せてあり、その下に「この絵の右下に描かれている男性に焦点をあて、作品をつくりました」とある。右下の男以外はすべて仮面を被ったさまざまな人間たちが描かれている。人間という動物はいつの時代にあっても仮面を被って組織の中を泳ぎわたっていく。が、ただひとりこの画面の中ですっぴんのままに、人間の生きてある諸相を冷徹に見すえているものがいる。池杏子はこの人物のまなざしを通して人間世界と自分自身の存在を捉え返そうとしている。彼女の踊りがわたしの心に訴えてきたのは、そういった誰もが言いそうな理屈を越えた身体表現に昇華されていたからである。

池杏子さん


林杏の「夢の女」には日本舞踊技の基本を見せられたような感じをおぼえた。長年にわたる厳しい修行の積み重ねを前提にしなければこの踊りはできまい。林杏は迸る女の情念を抑制して〈踊り〉に昇華している。〈夢の女〉の怪しいまでの情念を爆発寸前で抑えて表現する技は、踊り手の〈生きる〉魂の震えを感じさせた。

林杏さん

二十分の休憩をはさんで第二部は六人の踊り手による「生きる」。これがまたすばらしかった。パンフに「波となり 風となり 駆け抜ける いのちの声 ときには おだやかで あたたかく ときには はかなく 散るように そして 燃えさかる炎のように」とある。まさにパンフの言葉通り、六人の踊りはそれらを体現していた。パンフの最後に「踊ることをひとつの志としてきた六人の、色とりどりの“いのち”の躍動を共に感じてくださることを、切に願います」とあった。わたしは確かに彼女たちの踊りにいのちの躍動を感じた。大津波と原子炉爆発の体験を経て生きる現代日本人の逞しくも悲しい、ぜつぼうを抱えたいのちの輝きを感じてわたしは会場を後にした。<生きる>をテーマにした舞台であったが、わたしは六人の舞踊を観て<生きている>という強いメッセージを魂に受け止めた。
この公演は日芸の学生ばかりでなく、一般の多くのひとにも観てもらいたいと思った。