文芸入門講座(平成二十四年度・清水正担当)課題

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D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー

京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
ドラえもん』の第一話「未来の国からはるばると」の最初の見開き二ページに関して八十分の講義と、つげ義春の『チーコ』に関する講義がアップされています。下をクリックするとつながります。
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夏期課題が続々送られてくる。興味深いレポートを紹介する。
文芸入門講座(平成二十四年度・清水正担当)課題 
ラスコーリニコフの〈踏み越え〉と私の〈踏み越え〉 
嶋津きよら
 小学生の頃、私はラスコーリニコフに憧れていた。彼のようになれたらと何度願ったことだろう。そして常に最後にはある一つの考えにたどり着くこととなる。――私は彼のようにはなれないのだ、と。
 『罪と罰』に登場する、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフという青年は、自身の中に「凡人・非凡人」という思想を持っている。彼は作中において、その思想について論文を書く。「凡人」は保守かつ服従的で、「非凡人」は自身の良心に照らし、自らに血を流す権利を与える。このような思想を若くして持つラスコーリニコフは、言わば「天才」である。彼は自分の〈踏み越え〉るべき壁――すなわち「凡人」と「非凡人」の壁――をこの思想において制定したのではないだろうか。しかしドストエフスキーの生み出した、この「天才」は、自らの犯した過ちによって、その思想(〈踏み越え〉るべき壁)に飲み込まれていくことになる。
 彼は物語の中で二度の殺人を犯す。一人目は老婆アリョーナ・イワーノヴナを、二人目はその妹のリザヴェータ・イワーノヴナを。彼は自身の犯した殺人を、自らの論文の中の「非凡人」という言葉に自分を当てはめることで正当化する。これこそが、彼の最大の過ちである。彼は自らを正当化することで、老婆殺しの事実から目を背けた。しかし、彼の言う「非凡人」がもし存在したとして、それに該当する人々はこのような過ちを犯すだろうか。答えは否である。彼は自分の創り上げた思想――言わば論理――に自分から嵌まっていったのだと私は考える。
 ラスコーリニコフが老婆とその妹を殺害したことは、実は別の二人への殺人願望を表したものだと言われている。その二人とは、彼の母親であるプリヘーリヤ・アレクサンドロブナ・ラスコーリニコワと、彼の妹のアヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワだ。
 この作品を読むにあたり、多くの読者は「彼は自分が「非凡人」であることを信じていた」と感じただろう。これは彼の思想やその言動等から読み取れることだが、その最もたるところに母、プリヘーリヤの彼への過剰な期待がある。その期待は、彼の中にある「非凡人」という考え方を思想に変え、自意識を高めさせたのではないだろうか。そしてその思想に自分自身を重ねることにより、自らの持つプリヘーリヤへの殺人願望を膨らませていったのだろう。しかしそれが真実なのだとすれば、私たちは彼自身が心のどこかで自分が「非凡人」でないことを理解していたということを頭に入れておかねばならない。彼は自身も気付かぬ心の内で、「非凡人」に自分はなれないという劣等感を抱いていたのではないだろうか。それが作中に描かれていないのは、彼が「人を騙すこと」以上に「自分を騙すこと」で、その事実を隠し通していたからであろう。最後に彼が自らの罪を自白する場面で、それは露呈される。ドストエフスキーは、あたかも彼が、最初から自分が「非凡人」でなかったことに気付いていなかったように、そこでようやく彼が自分という人間が何者であるか気付いたように、物語を終わらせている。彼は、自分の罪と向き合ったのだ。

 私は、人が車に轢かれる瞬間を、見たことがある。
 よく「私の目には、それがスローモーションに映った」という話を聞くが、どうやらそれは、私には当てはまらなかったらしい。ほんの一瞬の、出来事だった。信号無視の車が猛スピードで角から飛び出たのと、被害者の大学生が横断歩道に足を踏み出したのは、ほぼ同時だった。笑顔の彼が私達に手を振ろうとした時、鈍い音が辺りに響く。それがどんな音だったか、うまく形容する技量はまだ私にはない。ただ、数年後友人がぽつりと漏らした「鈍色の音」という言葉に、なるほどと、記憶の中のその音を浮かべながら思った。それがはっきりとした音でなかったことは、確かである。
 そんな音と同時に、彼の身体がほんの少し宙に浮いた。彼は笑顔を貼り付けたまま、十メートルほど先まで黒い車体に引き摺られていった。仄かに甘い香りが漂う。それが血の匂いだと、ぼんやりと感じた。その光景を数人の子供達が無表情で見つめる様は、どれほど異様だったろう。数十秒間、私はただ無心に彼の姿を見つめていた。そしてふと思った。――誰も、彼が手を振ろうとしたことに気が付かなかっただろうか、と。
 その場で一番初めに動いたのは、向こう側に立っていた女性だった。悲鳴を上げながら、傍にいた自分の子供の目を覆うと、「誰か早く通報して」と喚き散らした。そこで、見物人達はようやく動き始めた。警察に連絡する者、救急車を呼ぶ者、慌てすぎて時報に繋がってしまい思わず携帯電話を投げ捨てる者、場は騒然とした。「君達」と声を掛けられて恐る恐る振り向くと、笑顔を浮かべた年配の男性が「怖かっただろう、可哀想に」と言って、たくさんの飴玉の入った巾着袋を差し出していた。私達は顔を見合わせ、リーダー格であった大柄な男子が代表で「ありがとうございます」と言って、飴を受け取った。それを見た男性は満足そうに、「あまり気にするんじゃないよ。あれは不幸な事故なのだから」というようなことをぺらぺら喋り、去っていった。リーダーは貰った飴を口に含み、渋い顔をした。「溶けてるぜ、これ」という言葉に、みんな渇いた笑いを零した。私達は、気付いていた。自分達が犯した罪に。そして、分かっていた。自分達が解放されたことを。
 彼は、とても神経質な人間だった。三浪してようやく入った大学は、自分が志望していた大学よりも二つほど下のランクで、周りと話が合わず、毎日ふらふらして過ごしていた。そこで彼が目をつけた暇つぶしが、近所の公園で遊んでいた私達だった。彼は私達から金を巻き上げることで、自分が上の立場にいるという喜びを知った。それは一度きりでは終わらず、すっかり味をしめた彼は、何度も私達に金を要求した。それは、あの事故が起こるまで、約半年に渡り行われた。小学生から金をせしめることにどんな意味があるのか、当時の私達には全く理解できず、しかし、金を渡さない日には彼にひたすら殴られるので、反抗の仕様もなかった。親に言おうものなら殴るだけでは済まさない、彼が私達に言い放った言葉は立派な脅迫であった。
 だからなのかもしれない。あの時、私達は彼に呼び出されて、自分達が住む地域から少し離れた場所に居た。誰も何も言わなかったが、皆、もう彼の要望を聞くのにうんざりしていたのだろう。彼に車が迫るのを全員が見ていた。なのに、誰も「危ない」とは叫ばなかったのだ。彼が車に轢かれる瞬間を待ち望むかのように、全員が無言だった。自分の咽が、待ち遠しいとでも言うようにごくりと鳴ったのを、覚えている。車が彼に触れた瞬間、一気に気持ちが高揚した。これで、終わる。私達の間に流れていた重い空気が、その場に似合わないくらい、やけに軽く明るいものに変わった。急に無言が苦にならなくなり、隣に立っていた友人と目配せし合う。そう、あの瞬間は、私達にとって『彼からの解放の時』だったのである。
 それから、彼に会うことは一度もなかった。噂によると、彼は二ヶ月の入院生活の後、精神科に通う為、駿河台の辺りに引っ越したらしい。精神を病んでいたことが私達を脅すことに繋がったのかと、どこか腑に落ちないものを感じながらも、彼から逃れられたことで、私は幸せな日々を送っていた。『罪と罰』という作品に出会ったのは、この一年後のことだった。

 『罪と罰』という作品に出会って、私は自分がした罪の重さに気付いた。彼の打ち所が悪く、死んでしまっていたら――私達はかのラスコーリニコフのように、殺人者になっていたのだ。背筋が凍るようだった。
 作中では「凡人」と「非凡人」の壁を乗り越えられなかったように描かれているラスコーリニコフが、実は自らの罪を告白することで、今までの自分と新しい自分の境界線を〈踏み越え〉たのだとしたら。そこには救いがあったのかもしれない。けれど、私達の場合は違った。殺人を犯した訳ではない、しかし罪を犯したという意識は確かに存在するのだ。それを認めたところで、何が変わることもない。私達は〈踏み越え〉ることができずに、今も尚、その罪悪感を引き摺って生きている。
 だから私は今も思う。ラスコーリニコフに、私はなれないのだと。