「世界文学の中の『ドラえもん』」第二部(連載8)

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「世界文学の中の『ドラえもん』」第二部(連載8)
アポロンの地獄』論からの出立

清水正
オイディプス王』においてはさまざまな人物がそれ相応の〈嘘〉を自らにも他者にもつきながら、身を処している。〈事実〉を正確に把捉することは決して容易ではない。
 オイディプスを殺すことを命じられた従僕は、ライオスが殺される場面の目撃者となり、最後にはオイディプスにことの真実を問いつめられる者となっている。隠されているのは従僕の第一と第二の〈報告〉である。従僕は最後の報告を除いて、〈嘘〉の報告をしていることはほぼ確実である。この従僕(馭者)は、オイディプスがテーバイの王に就くことになったとき、暇願いを乞うて許されている。ライオスが殺されてからどの位の期間を置いてオイディプスが王位に就いたのかは不明だが、映画を観る限り一年もたっているようには見えない。否、数日も経っていないように見える。ライオス王殺害の現場を岩陰から目撃していた従僕が、オイディプスの顔を忘れるわけもない。つまり従僕は新たに王となったオイディプスが、かつて自分が人跡未踏の山奥に捨て去ったライオス=イオカステの赤ん坊であること、ライオス王を殺害した張本人であることを知っていながら、そのことを秘して暇乞いをしたということである。『オイディプス王』のテキスト表層を読む限りにおいて、オイディプス王の秘密をすべて握っていたのがこの従僕ということになる。彼はオイディプス王統治のテーバイから遠く離れ、羊飼いとして老後を過ごしている。この老羊飼いの内面に参入すれば、オイディプス王の嘆きも怒りも色あせかねない。
現実的次元で『オイディプス王』を読む限り、イオカステの弟クレオンが最も陰謀家の臭いを漂わせている。王ライオスが亡き後、王位継承者に最も近かったのがクレオンである。そこに立ちはだかったのがスフィンクスの謎を解いて、イオカステを妻に迎えたオイディプスであった。もしクレオンが執念深い陰謀家であったなら、執拗にオイディプス失脚のチャンスを狙っていたことだろう。そして今、テーバイの都に数々の災厄が押し寄せてきたこの時こそが、最大のチャンスであったということになる。災厄の原因究明に乗り出したオイディプスは、クレオンをアポロンの神殿に遣わす。その結果、災厄の原因はオイディプス自身にあることが判明する。が、オイディプスクレオンの言葉を受け入れず、逆に彼を王位を狙う陰謀家と見なして激しく誹謗する。クレオンは「はばかりながらこのわたしは、実益のある結構な身分をすててまで、他の栄誉をほしがるほど血迷ってはいないつもり」などと、巧みに弁明を展開するが、その完璧な弁明そのものが、彼の不断の野望を証しているかのようにも見える。『オイディプス王』にその詳細は描かれていないが、テーバイの実質的な行政はクレオンが掌握していたのではないかと思わせる。コロスの長などのセリフを聞いていると、彼ら〈官僚〉とクレオンは密接な関係を結んでいて、オイディプスは単なる飾りの王であったとすら見える。
 クレオンがオイディプス失脚を謀った陰謀家と見なされた理由の一つに、彼が災厄の原因はオイディプスにあると宣告した予言者テイレシアスを呼び寄せるようにオイディプスに進言したことがあげられる。テイレシアスはコロスの長によって〈ポイボスの君とほぼかわりなき、もの見る力の持ち主〉〈神にも匹敵する予言者〉〈心に真理を宿しているお人〉と言われている。テイレシアス自身は自分ことを〈何ぴとの支配も受けぬ者〉と言っている。
オイディプスはこの予言者テイレシアスに初めて会った時に「言葉に語りうるもの、語りえないもの、天の不思議、地の神秘、すべてを洞察してやまぬ予言者よ、たといその目はみえずとも、国がいまどのような災厄に襲われているかは、おんみの心にはよくわかっていよう。この災厄から国を守り、救うことのできる者は、偉大なる予言者よ、ただひとりおんみあるのみ」と言っていた。しかし、災厄の原因はオイディプスにあるという言葉を耳にするや、怒り心頭に発したオイディプスは〈偉大なる予言者〉を〈ライオス殺害の一味〉と見なし、〈策を弄するいかさま師〉〈奸知にたけた乞食坊主〉と罵り倒す。スフィンクスの謎を解いたオイディプスの英知は、テイレシアスの〈奸知〉とクレオンの〈謀りごと〉を看破する。しかし作者は、オイディプスの烈しく揺れ動く疑心暗鬼の内心の声を遠慮なく吐き出させながらも、クレオンとテイレシアスの〈陰謀〉をどこまでも否定する立場を貫いている。オイディプスの怒りの言葉は作者によって弁護されることはない。非難されているのはオイディプスの傲慢な英知であり〈神にも匹敵する予言者〉の言葉を素直に聞き入れないその反抗的な言動である。テイレシアスの言葉に反逆することは〈神〉に反逆することと同じであり、作者はこのオイディプスの反逆の正当性にスポットライトを当てることはない。
 が、批評はテキストに対して執拗な揺さぶりをかけづけずにはおれない。テキストのどこにスポットライトを当てるかで、批評は真逆の光景を照らし出す。オイディプスのテイレシアスに対する最大の疑問は「さあ、言えるなら言ってみよ。お前はいったいいつどこで、自分がまことの予言者であることを示したか。かのスフィンクスがこの地にあって、謎を歌っていたときに、なぜお前は何ごとかを告げて、この町の人々を救わなかったのか? しかもあの謎たるや、とても行きずりの人間に解けるものではなく、まさに予言の力こそが必要であったのに──」である。テイレシアスはこの疑問に答えていない。オイディプスもまた自らの疑問を執拗にテイレシアスに迫ることがなかった。なぜならテイレシアスの説明を待つまでもなく、オイディプスはテイレシアスが〈神にも匹敵する予言者〉ではないこと、つまりスフィンクスの謎を解くことのできない、単なる〈奸知にたけた乞食坊主〉でしかないと結論づけてしまったからである。オイディプスにとって〈神にも匹敵する予言者〉とまで言われるテイレシアスが解けなかった謎を解いた以上、テイレシアスの〈予言力〉よりも自らの〈知恵〉の方が上だと思うのは仕方がない。オイディプスは誰もが解けなかったスフィンクスの謎を解いた知恵者としてテイレシアスの〈予言力〉の無力を愚弄してはばからない。
 はたしてこのオイディプスの〈英知〉を否定できる者がいるのであろうか。テーバイの民が怪物スフィクスに苦しめられているまさにその時、この〈神にも匹敵する予言者〉はいったいどこで何をしていたのだろうか。否、そればかりではない。テイレシアスが〈神にも匹敵する予言者〉であるなら、ライオス王に下された〈お告げ〉、殺せと命じられた従僕がオイディプスを殺さなかったこと、従僕が王と王妃に嘘の報告をしたこと、オイディプスコリントスの王に育てられたこと、成人に達したオイディプスがポイボスの神殿に巡礼し、呪われた〈お告げ〉を受けて放浪の旅にでたこと、三叉路で何度も〈偶然〉に身を任せたにもかかわらず、一本道で出くわしたライオスを実の父親とも知らずに殺害したこと、スフィンクスの謎を解いてテーバイの新たな王となったこと、先王の妻イオカステを娶ってその間に子供をつくったこと、これらすべてを知っていたことになる。知っていながら何故、長いあいだ沈黙を守り通していたのか。
 はっきり言えることは〈神にも匹敵する予言者〉テイレシアスにオイディプスの〈運命〉を変える力はなかったということである。テイレシアスはコロスの長によって〈神にも匹敵する予言者〉などと言われていても、神が賦与した運命に関しては完全に無力なのである。