「世界文学の中の『ドラえもん』」第二部(連載5)

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「世界文学の中の『ドラえもん』」第二部(連載5)
アポロンの地獄』論からの出立

清水正

イオカステの声の中に、わが子を失う嘆きや悲しみは伝わってこない。それがなにより不思議だ。ここで『アポロンの地獄』の大詰めの場面、オイディプスを殺さずにテーバイへと戻ってきた従僕の証言に耳を傾けてみよう。

 オイディプス「言え、赤児を山へ運んでいかなかったのか」
 従僕「運びました。ああ、おれはあの日に死んでしまえばよかったんだ」
 オイディプス「誰に頼まれた子だ。お前の子だったのか」
 従僕「私のではなく、ある人に頼まれた子です」
 オイディプス「誰にだ」 
 従僕「お願いです。それ以上はお聞きにならないで下さい」
 オイディプス「もう一度尋ねさせたら、死罪だぞ」
 従僕「ライオス王です」
 オイディプス「王の奴隷のか、それとも王の実子か」
 従僕「それは申し上げられません」
 オイディプス「私だって聞きたくない、だが聞かねばならぬ」
 従僕「実のお子様でした。王妃イオカステ様が一番よくご存知のはずです」
 オイディプス「王妃がその子を?」
 従僕「私にお預けになって」
 オイディプス「どんな命令を?」
 従僕「殺せと」

 『オイディプス王』には省略された場面が多く、細部を知ろうとする読者はさまざまな憶測を働かせなければならなくなる。誰が、オイディプス殺害を命じたのか、その重要な一点に限ってもさまざまな解釈ができる。ふつうに考えれば王ライオスが命じたとなるが、パゾリーニはあえてイオカステを前面に出している。従僕は確かに王妃イオカステに「殺せ」と命じられたことをオイディプスに証言している。王ライオスは息子オイディプスと同様に、自分を絶対視する傲慢で単純な性格の持ち主だが、イオカステはこの王の陰に潜んで陰謀をたくらむような貌を見せている。映画に登場するライオス王はまるででくの坊のように見えるが、王妃イオカステの方は妖艶な仮面の下に得たいの知れない複雑怪奇な貌を隠している。『オイディプス王』の真の主役はこの王妃イオカステではないのかとさえ思わせる。
 従僕にとって王(ならびに王妃)の命令は絶対であり、反抗することは許されない。従僕は赤ん坊を槍の柄にくくりつけて山奥へと向かう。が、最後の瞬間において、彼は王(王妃)の命令に背いてしまった。
 王ライオスと王妃イオカステはオイディプス殺害命令に関しては共犯関係にある。彼らは等しく神アポロンのお告げに反抗の意志を示した。アポロン神にお伺いはたてても、そのお告げを絶対視していたわけではない。彼らは自分に都合の悪い、呪われた〈運命〉は自分たちの意志によって変更することができると考えている。だからこそ彼らは従僕に息子オイディプスの殺害を命じた。しかし、ここには彼らの神アポロンに対する脅えの心理も働いている。彼らは自らの手で、直接息子を葬ろうとはしなかった。従僕という第三者の手によって殺害を果たそうとしている。従僕もまた、最後の最後で王(王妃)の命令に背いたのは、単なる憐憫が働いたというよりも、神アポロンのお告げに対する冒涜から逃れようとする心理が働いていたと見たほうが説得力がある。神アポロンの〈お告げ〉に対して畏怖と脅えを感じていたのは王ライオスと王妃イオカステばかりではなく、従僕もまたそうであったと見ることができる。〈お告げ〉からまず逃げようとしたのがライオスでありイオカステであり、そして従僕であった。神の〈お告げ〉から逃げようとしても、その逃げようとする気持ちも含めて〈お告げ〉のうちに含まれているのであるから、結局なにをしても同じである。
 ライオスが神に対する決定的な反逆者でなかったことは、彼が自らの手でオイディプスを殺害しなかったことで明白である。オイディプスコリントスの羊飼いに拾われ、ポリュボス王の子として育てられることになる。オイディプスは神の〈お告げ〉通り、生き延びて実の父ライオスを殺すことになる。