清水正の『浮雲』放浪記(連載61)

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載61)

平成△年8月18日
 男として惹かれるものが何もない、ただ〈みじめな男〉である加野は容赦なく切り捨てられる。

 その後、富岡からは何のたよりもなかった。二人で死ぬつもりで、伊香保へ行ったことも、いまでは遠い過去のような気がして来た。あの時に死んでいたら、今日の日は迎えられなかったのだが、生きていることも、ゆき子にとってはどうでもいいのであった。富岡に死のうと打ちあけられた時、なぜ、あんなに妙な臆病さになったのかが不思議である。(304〈三十六〉)

ここで作者はさりげなく「二人で死ぬつもりで、伊香保へ行ったことも」云々と書いているが、舐めるようにしてテキストを読みすすんでいるわたしの眼に、ゆき子が死ぬつもりで伊香保に来たとは思えないし、第一、富岡がそもそも本気で心中など考えていなかった。この点に関してはすでに詳細に展開したのでここでは繰り返さない。いずれにせよ、生きていくことがどうでもいい人間は、死ぬこともどうでもいいのであって、死の淵へと身を投げ出すエネルギーに欠けるのである。実際、富岡とゆき子は伊香保の旅館でだらだらと酒を飲み、温泉につかりながら正月(昭和二十二年)を迎え、帰り際に、富岡は退屈紛れにおせいという娘にいたずらを仕掛けたにすぎない。
 生温き者・富岡は生きることも死ぬこともできない。中途半端な浅瀬の泥沼ですべったり転がったりの茶番劇を性懲りもなく続けているのが富岡で、ゆき子はその富岡にふさわしいパートナーであったということになる。作者は、よくも「富岡に死のうと打ちあけられた時、なぜ、あんなに妙な臆病さになったのかが不思議である」などと臆面もなく書いたものである。ゆき子の女の直感は富岡に本気で死ぬ気などないことを見破っていたし、そんなことを打ち明けられたところで、せせら笑いの一つぐらいでるのが関の山で、〈妙な臆病さ〉も何もない。相手の嘘を予め看破している者が、敢えてその嘘に乗って戯れにはしゃいでみるというのならわからないこともないが、どう考えても〈妙な臆病さ〉はない。

  篠原春子に逢ったことも、ゆき子の心のなかには少しも刺戟にはならなかった。自己自身を食い尽してしまっているような空虚さで、ゆき子は、何もする気持ちはなかったが、いつまでもぶらぶらしているわけにはゆかない。それに、ゆき子は、この物置小舎も、近々に立ち退いてくれるように、家主から言い渡されていたのだ。ふっとまた死の予感がした。富岡の、あの時の気持ちは、嘘ではなかったように思えた。なぜいっしょにあの場で死んでしまわなかったのだろう。……いまでは死神がとっついているような気もしてくる。寝転んで細い皮のバンドを首にあててみたが、自分の力だけでは締める自信はない。あるところまで、強く首を締めあげてみたが、それを一歩通り越すまでの激しさには到らないのだ。ゆき子は、皮のバンドを外して、それを腰に巻いた。(304〜305〈三十六〉)

 〈自己自身を食い尽してしまっているような空虚さ〉を抱いて生きることは容易ではない。しかし、人間はこの空虚さだけでは死ぬことはできない。ゆき子が死を真剣に考えるのは、生活の本拠地である小舎を出ていかなければならないという、現実的に追いつめられた時においてである。どんなに貧しい狭い小舎ではあっても、ここがゆき子の住処なのである。ゆき子は故郷に帰る道をすでに断っている。小舎を立ち退いた後に行くべき所が見いだせないゆき子が、ふと思うのが自殺である。しかし、ゆき子はすでに見た通り、富岡と心中することもできないし、一人で死ぬこともできない。バンドを首に巻く仕草も、死と戯れているその次元を越えることはできない。

 いま、この場に富岡がいてくれたらどんなにいいだろうと思った。富岡の姿が無性になつかしくてならない。いったい死ぬということは、自分この世から過ぎ去ってしまうだけのものなのだろうか……。誰も、月日がたてば、自分の死んだことなぞかまってはくれないだろうし、富岡にしても、いつかは自分のことなぞは忘れ去ってしまうにきまっている。あの時を外してしまったことが、ゆき子には残念でもあった。初めに逢った時が本当のお互いだという仏印の歌の文句のように、伊香保の宿で、富岡が、じいっと思いをこらしていたあの気持ちに応えられなかった心の感じかたを、ゆき子は今になって口惜しくなった。その癖、ゆき子は、世の中や、男に対して、信用してしまう自信をなくしてしまっているのだ。二人が、情死をしたところで、うまく、気合いのあった死に方はできなかったに違いない。死のまぎわまで、二人は別々のことを肝のなかでは考えているに相違ないのだ。ゆき子には、それが厭だったのだ。たとえ、自分は、何も考えないとしても、富岡は、息をつめる最後に到って、妻よ許せなぞと唸りだしはしないかと、ゆき子はうたぐっているのだ。人間は心のなかまではどうにも自由にするわけにはゆかない。一時の暗さを通り過ぎた以上は、二人にとって、陽気な人生への希望を思い起させるのは必定なのである。富岡は、捨て場のない気持ちで、おせいに涙を流させる仕儀に到ったのではないかと、ゆき子はうたがい深く考えてみるのだ。(305〈三十六〉)

 ゆき子は富岡といても、富岡がいなくても、いつも富岡のことを思っている。富岡と情死したとしても、二人は別々のことを考えているだろうというゆき子の想像はあまりにも悲しい。が、それは真実だろう。何しろ二人は一緒にいてすら、お互いに別々のことを考えていたのであるから。ゆき子はダラットでの富岡との関係に至福の時を見いだしているが、その〈至福の時〉にあってさえ、二人は別々のことを考えていた。富岡はそれを的確に認識しているが、ゆき子はそれを〈秘中の秘〉として内心の深層域に押さえ込んでしまった。