清水正の『浮雲』放浪記(連載26)

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清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載26)
平成△年6月16日
 岡野軍一の孫娘と連絡がとれたので、携帯電話で三〇分ほどの取材ができた。軍一は寡黙なひとで、林芙美子とのことはほとんど話さなかったらしい。今、ここで取材の内容に関して詳しく語ることは控えるが、岡野家の人々にとって軍一が芙美子を振ったと、一方的に伝えられていることは決して愉快なことではなかったろう。現在、岡野軍一の血脈を継ぐ者は一人も因島には居住していないということであった。軍一は長男の住む広島で亡くなられたということであった。
 林芙美子伊香保の旅館「金太夫」に宿泊したことがあり、当然、伊香保の長い石段を上り下りしたことであろうし、その経験がこの場面に生かされてもいるだろう。しかし、わたしのうちでは「二人は黙ったまま、石段を登った。星屑がまるで船の燈火のようにまたたいている」という描写に、若き日の林芙美子と岡野軍一が二人して登ったであろう、尾道の石段や、因島荒神神社の長い石段が浮かびあがってくる。特に、荒神様の石段の頂上から眺めた日立造船所の大きな黒灰色の建物や因島の海岸沿いに建てられた無数の家屋、その背後に広がる海の青さが眼にしみたが、夕暮れ時の闇のなかで愛する人とともに見た因島の海はどんなであったろうか。
 どんなに愛していても、どんなに追いかけても、その愛する人と別れなければならない。〈かすれた口笛〉〈瞼に突きあげて来る熱いもの〉〈心の渇き〉、ゆき子の淋しさ、孤独、突きあげて来る涙を描く林芙美子には体験に裏打ちされた真実味が滲み出ている。

 「どうしたンだ?」
 「どうもしないわ……」
 「うたぐってるのか?」
 「何を?」
  ゆき子は激しい怒りが襲って来たが、その怒りはすぐ口に噴きこぼれないうちに、胸のなかで淡く消えて行った。昂奮は少しずつ沈んで来た。石段を登りつめると、家の横から表通りへ出る路地があった。
 (287〈三十一〉)

 富岡は〈新しいパンツ〉のことで、おせいとの深い仲を気づかれても、ゆき子に対して知らん振りを決め込んで、とぼけたセリフを口にする。富岡は全編を通してゆき子に自らの胸の内を、その真実を口にしたことがない。口にしたとしても、冗談の次元でのことにしてしまう。富岡に限らず、男というものは、所詮、真実を相手の女に語ることはないのかもしれない。それは相手の心を傷つけまいとする優しい配慮でもあるのだが、同時に自己保身の狡い気持ちが働いているとも言える。
 愛している、激しい感情の、その真実を伝えることはできる。が、すでに愛を失った者に、その真実をそのまま告げることは勇気がいる。相手が愛を失っていない場合には、なおさら辛い告知となる。富岡は、ゆき子に対して、すでに女としての魅力を感じていない。富岡の気持ちは今、おせい一人に向けられている。ゆき子がそのことを感じていないわけはない。ゆき子はすべてを察している。ただ、ゆき子は富岡ときれいに別れることができない。ゆき子は相手の立場や気持ちを察して、潔く身を引くことがない。