清水正の『浮雲』放浪記(連載25)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載25)
平成22年6月15日(火曜)

二人は黙ったまま、石段を登った。星屑がまるで船の燈火のようにまたたいている。ゆき子は気を紛らせるつもりで、かすれた口笛を吹いた。瞼に突きあげて来る熱いものを、ときどき外套の袖でこすりながら、海防から戻って来た時の、心の渇きが、急にいまごろ涙になって、とめどなく頬に溢れた。日本へ戻って来て、いったい何が自分達をこんなふうに、無気力な淋しがりにしてしまったのだろう……。一つ一つ石段を登りながら、ゆき子はううと突きあげて来る涙にむせていた。 (287〈三十一〉)

 先日(△年6月6日)、林芙美子の初恋の人岡野軍一が生まれ育った因島を訪ねた。林芙美子尾道高等女学校を卒業するとすぐに東京へと出た。当時、軍一は明治大学商科に通っていた。芙美子は軍一と同棲し、結婚の約束までしていた。が、軍一は大学を卒業すると因島に帰郷し、日立造船所に勤めることになる。芙美子は軍一を追って因島に行くが、軍一は親の反対もあって芙美子との結婚の約束を破棄する。因島には芙美子が泊まった松葉旅館跡に建物が建っている。
 わたしが訪ねた時は、日曜日で商店街はほとんどシャッターを下ろしていて、人通りも少なく閑散としていたが、荒神様を奉る神社では子供相撲が開催されていた。ここだけは、町の有力者が一同に集まって白テントの下で酒を飲み交わしながら賑やかに歓談していた。林芙美子の研究のために、初恋の人岡野軍一のことを取材していると話すと、テントの中の一人が近づいて来て、軍一の孫娘と自分の妹が友達で、必要ならすぐに連絡するから、直接話をしてくれという。
 荒神様を奉った神社は何十段もある長い石段を上り詰めた頂上にあり、そこからは軍一が勤めていた日立造船所の巨大な建物が当時の面影を残して建っている。当時は石段の周囲に人家はなかったそうだが、今は石段の両脇には隙間なく人家が建っている。当時は造船所に向かって石段の左に松葉旅館が建っていて、因島を訪れた林芙美子はここに宿泊し、石段に立って軍一の勤める造船所を眺めていたらしい。軍一の帰りをひたすら待つ芙美子の姿に自分を重ねて、わたしもしばし石段の途中にたたずんで造船所の巨大な建物を眺めた。
 取材していると、日立造船所に四十年勤続して定年退職した人にぐうぜん会うことができた。彼の話によると、日立造船所は全盛期は三千五百人もの従業員がおり、下請けに従事する関係労働者を含めると五千から八千人ぐらいいたかも知れないということであった。その日、商店街は閑散としていたが、どこまでも続くような長く細い道の両脇の店舗から容易に全盛期を偲ぶことができる。