荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載33)

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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載33)
山口貴由
 「ビジュアル系ハードコア漫画道を覚悟して読め!」(その⑥)
●西方極楽地、天竺へ、感動の大団円

魔王との死闘の後、極界最終地「魔羅国」を発つ三蔵法師一行が向かうのは、目的地である西方極楽地、天竺である。長く、苦難に満ち満ちた旅であった。

その頃、人界、「久遠紫禁城」では、大宗の、極界を滅ぼさんとする企みの成功に、僧侶たちは祝杯を上げる。「傾国」、秘密兵器三蔵法師の起用がずばり巧を成したと言う事だ。
ところが、法明、袁守誠、魏徴は、杯を飲み干すと同時に血を吐き、果てる。三蔵法師の色香に惑わされた大宗が、杯に毒を盛ったのだ。これで、三蔵法師の正体を知るのは大宗のみである。大宗は、未来永劫三蔵法師を我が物としようと企んだのだ。恐るべきは「傾国」、三蔵法師である、人界の帝まで惑わせてしまった訳だ。しかし、その大宗も、未だ僅かに息がある魏徴に剣で刺されるのだ、「ご崩御なされませ〜っ」と。

天竺に到着した三蔵法師一行の前に、「現如来妙法」が現れる。この神々しい姿こそ、釈迦如来である。三蔵法師は、深い礼を持って、経典を頂けるように請うのだが、釈迦如来はその願いを一蹴する、「殺し屋には渡さないよ」と。
「傾国」である。釈迦如来には、全てがお見通しだったのだ、三蔵法師が、人界の策略で、極界を滅ぼす為にこの経典を受け取りに来た事も。

ここで、三蔵法師は全てを打ち明ける。釈迦如来の言う事は全て本当の事である、自分は、極界を滅ぼす為に、人界の帝の策略で送られた刺客、しかもその色香で妖魔までも誑かす「傾国」であると。八戒も、悟浄も、「傾国」の妖に惑わされた妖魔である事を。
ところが、極界の入口、「五行山」で、三蔵法師は悟空と会う。「五百年待ったぞ」と言う悟空の熱い瞳に打たれる。悟空は、誰にも屈した事がない黄金の瞳で言うのだ、「俺をおまえの弟子にしろ」と。ここで、三蔵法師は、人界で覚えた事を全て振り切り、生まれ変わる事を決意する。あるがままの心を備えた勇気の僧に、諸人の幸いの為遥か天竺を目指す愛の人に、私は生まれ変わる、と。

三蔵法師の真摯な告白を聞き、一行の前に、「仏祖釈迦牟尼」、釈迦が降り立つ。釈迦は、三蔵法師の天竺までの道のりで仏道を全うした事を褒め称え、経典を差し出すのだ。
感極まる三蔵法師であるが、そこで悟空は、釈迦にもう一つ願い事をする。その願いとは、不死身で頑丈な自分に、寿命が欲しい、と言う事だ。「このままでは、俺一匹残してあいつらだけ先に行っちまう、俺はあの世も、その次の世も三蔵の共がしたいんだ!」と願うのだ。

経典を受け取り、帰途に着く三蔵法師一行を、あの梟が待ち構えている。そして、梟は、十二万に上る妖魔たちを引き連れ、三蔵法師を脅すのだ、その経典を手放せと。三蔵法師が受け取った経典は、妖魔を絶滅し、極界を滅ぼす力を秘めている。元々は、その為に人界の帝大宗が三蔵法師を送り込んだ経緯がある事はご周知の通りだろう。
梟は、その経典を手放せば、十二万の妖魔たちは三蔵法師一行を襲わないと約束をする。

それを聞いて、三蔵法師は、何とその有り難い経典を谷底に投げ捨ててしまうのだ。
そして、「魔訶!」と唱えると、辺りは夥しい光に包まれ、梟、そして妖魔たちから白い羽が拡がるのだ。梟は言う、「そうか!思い出したぞ、俺たちは天界から落ちて来たんだ!!」と。
「天界が妖魔たちのふるさと・・・」と空を見上げる悟浄。「でも人間の悪党は天界から落ちて来たわけじゃないぜ」と唇を噛む悟空に、三蔵法師は答えるのだ、「臆するものか、人間は変われるんだ」と。

●「悟空道」を総括する

確かに、今までの山口漫画と比較すると、かなりストレートな感動作と言う印象である。登場するキャラクターたちは、やはり山口漫画のそれを踏襲はしているが、簡単に言えば、あの独創的な変質感には欠けるのだ。極界、妖魔と言えば、あの何とも言い難い独特なキャラクターの登場を期待したのだが、だいたいに於いて、次々と現れる妖魔たちは一国の王である。個人の主義主張、哲学が捩れ曲がった偏執狂のようなキャラクターである訳がないのだ。今までの山口漫画に近いと言えば、冒頭の「五行山」で、三蔵法師が悟空と出会う前に登場する、虎の衣を着るヘビースモーカー「自由」、パンダの着ぐるみを着る、舌が蛇のようにうねる「平等」、愛を押し売りし、宝石の涙を流す勘違い逆ギレ女「博愛」ぐらいのものではないか。その屈折感、変質感こそ、愛読者が期待する山口漫画のキャラクターであろう。

また、これも山口漫画の肝、グロテスク、エロティシズムであるが、やはりやや影を潜めるか。戦闘シーン、殺戮シーンが少ないかと言うと、そうでもない。うさぎの格好をした人間たちは巨大な鍋で煮込まれ、王に逆らう男衆はバラバラになって空から降る。女たちは果実の肥やしに生き埋めにされ、生気を吸い取られる。
悟空も、極界の七つの国の王と対決、命の取り合いを繰り返す。実力者同士の闘いである、お互いが深手を負いながら尚も闘う。血塗れになる。
それでも、ここにはあのグロテスクさがないのだ。あの、飛び出る腸、飛び散る脳の、美しさを具えるグロテスクは、表現されていないのだ。
それは、「西遊記」がベースになり、やや宗教色のあるストーリーを考慮した部分もあるだろう。また、悟空の、あまりにも真っ直ぐな気性も象徴しているだろう。悟空は、止まらない火の玉のように、最後は一撃で強豪を破壊しているのだ。

そして、エロティシズム。確かに、三蔵法師は、登場するコマの半分以上は蜂蜜色の裸体を露出している。それも、発散する色香を抑える為に、その肉体を亀甲に縛り上げている。その胸も、尻も、かなり際どいアングルで描かれている。
しかしながら、これは単なる女体のヌードであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。「覚悟のススメ」に頻繁に見られた、あの噎せ返るようなエロティシズムが匂い立たないのだ。これも、グロテスク同様、原作である「西遊記」を念頭に置いた為とも考えられるが。

実は、山口貴由は、女性のエロティシズムを表現する事が苦手である。勿論、高い画力を持ち、描く女性は美しく、その肌の質感まで確実に表現されている、それは間違いない。ただし、悪い言い方をすると、全てがグラビアに掲載されるアイドル、またモデルのようなのだ。
悟空自体も、アイディンティティは山猿に過ぎず、三蔵法師に恋愛感情に似た忠誠心を持つが、これも最後の最後まで恋愛、性愛については封印している。悟空と三蔵法師は、あくまでも弟子と師匠の関係であり、それを揺るがす事はないのだ。

この事も、実は種明かしをすると、「悟空道」の連載開始当時、山口貴由は、敢えてエロティシズム、グロテスクを封印しようと考えたらしい。エロ、グロが山口漫画に求められる事を充分に承知した上で、一作品ぐらい清潔なものを残そうと思ったと言うのだ。
そして、悟空と三蔵法師、「仏契」と言う関係は継続される訳だが、結ばれる事はないが、一緒には居られる関係に重きを置いたと言う。見つめ合ってる二人より、同じ方向を向いている二人の方が強く結ばれる、と言う事である。

勿論、お得意の武士道も影を潜める。ガラン、覚悟と違い、山猿の悟空は感情を爆発させる。山口漫画には、静かに、感情を押し殺す主人公が多い中、この悟空は異質だと言えるだろう。

山口貴由版「西遊記」、その世界観の輪郭を認めた。
「サイバー桃太郎」、「平成武装正義団」、「悪鬼御用ガラン」、「覚悟のススメ」などの過去の山口漫画、そして、これから発表する「蛮勇引力」、「シグルイ」を見渡しても、この「悟空道」は異色だと言える。山口漫画としては素直過ぎる、と言う印象なのだ。ご本人の言う通り、清潔な山口漫画なのであろう。ただし、素直な感動作、これも力作である事は間違いない。是非、ご一読をお薦めしたい。

山崎行太郎 猫蔵 荒岡保志。清水正撮影
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。