まつもと市民芸術館での『罪と罰』講演に関する記事

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先日、長野県在住の窪田尚さんより「市民タイムス」(11月26日)と「信濃毎日新聞タウン情報」(11月23日)が送られて来た。『罪と罰』講演に関する記事が掲載されているので紹介しておきます。当日は九十分にわたる講演で、終わった時には汗だくであった。聴衆のなかには『罪と罰』を一度も読んだことのない人から熱心なドストエフスキー愛読者までさまざまなひとが集まっていたが、『罪と罰』が十九世紀ロシア文学という枠を超えて、二十一世紀にも通用する〈現代文学〉であることは伝わったと思う。『罪と罰』が内田魯庵によって英訳から日本語に移されたこと、中村白葉によるロシア語原典からの翻訳、手塚治虫のマンガ版『罪と罰』について触れながら、『罪と罰』が提起している根源的な諸問題を語った。『罪と罰』は連続講義を少なくとも十回位しないとその内容を十分に伝えることはできない。ロジオンの〈アレ〉(老婆殺し・皇帝殺し・復活)に関しても詳しく語りたかったが時間がなかった。講演後、ロジオンにおける復活や、『罪と罰』の演劇化に対する質問があった。前者に関しては、ロジオンの眼前に現れたソーニャが実体感のある〈幻〉(ヴィデーニィエ)であること、ロジオンはついに罪の意識を抱くことなく突然神の風に撃たれたことなどを語った。後者の質問に関しては、演劇化ということで野田秀樹の「贋作・『罪と罰』」について触れた。わたしの批評はテキストの解体と、想像・創造力を限りなく発揮しての再構築をめざしているので、『罪と罰』の映画化、漫画化、演劇化などと共通するものを持っている。要するにテキスト『罪と罰』をいかに読み込み、独自の解釈によって再構築化するかにかかっている。野田秀樹の「贋作・『罪と罰』」は二回ほど観ているが、未だ批評はしていない。演劇学科の受講生もいるので、二十六日の「雑誌研究」の授業でとりあげたが、今は詳細に語ることは控えておく。

「市民タイムス」の記事


信濃新聞タウン情報」の記事