山本寛斎氏の講演を日芸で聞く

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山本寛斎氏の講演を日芸で聞く

十月二十日午後一時より、世界的に有名なファッションデザイナーの山本寛斎氏の講演が江古田校舎で行われた。百五十人ほどが入る教室での講演であったが、学生と教授たちで満席、教室は寛斎氏の熱のある話で異様な緊張と熱気に包まれた。日本大学文理学部を中退してファッションデザイナーを目指した青春時代の貧乏生活や、夢を実現するために必死で努力した体験を具体的に生々しく語った。教室を歩きまわり、学生と握手したり、話を交わしたり、目を見つめたり、寛斎氏の講演の姿は、わたしの授業方法と似ている。大きな声は、寛斎氏の魂から直接、聴衆にほとばしり、聞く者の魂を揺さぶる。世界の舞台で脚光を浴び続けたきた夢追い人の言葉は火炎放射機の凄まじさで聴衆の魂のど真ん中に降り注いで来る。寛斎氏の火の言葉はわが魂に引火した。芸術学部の講演で初めて興奮した。



寛斎氏の芸術学部に放たれた火の言葉は、その言葉をわがこととする者の胸に深く突き刺さったに違いない。芸術学部に在籍する者で、寛斎氏の言葉に感応できない者は身の振り方を根本的に考え直したほうがいい。寛斎氏の元気は、ひとり寛斎氏の夢を追い続けることにあるのではない。日本の政治・経済のテイタラクは口にしたくもない。程度の低い質疑応答の国会中継などするより、今日の寛斎氏の講演を生中継したほうがはるかにいい。日本が世界で通用するのは、寛斎氏が企画し作品化する芸術やイベントであることは明白である。

今日の寛斎氏の講演を生で聞くことができなかった芸術学部の学生はずいぶんと損をしたことになる。大学側もこういったすばらしい企画は大々的に宣伝して、多くの学生に知らせたほうがいいように思う。いずれにせよ、すばらしい一時間半であった。因みに寛斎氏は1944年2月8日(66歳)生まれ、わたしは1949年2月8日生まれである。誕生日が同じということは何か深く通ずるところがあるのであろうか。