荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載13)

ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本

日野日出志賞・受賞者
吉田奈々(「雑誌研究」受講者・映画学科四年)
 日野日出志の漫画『蔵六の奇病』を読んで

小沼 和(「マンガ論」受講者・演劇学科二年)
 『蔵六の奇病』と私〜人間とは何か〜

久保川きよみ(「雑誌研究」受講者・演劇学科四年)
 「怪奇! 死人少女」を読む
十月十一日、九日のブログに載せてあります。是非ご覧ください。
日野日出志賞 



偏愛的漫画家論(連載13)
神田森莉
1Q94ホラー漫画に何が起こったか?(その⑥)

荒岡 保志漫画評論家

我孫子の駅前 喫茶ドトールにて。神田森莉の本を手にする荒岡保志。撮影・清水正
1996年10月、蒼馬社より第5作品集「本当にあった恐ろしい話」を発行。1997年8月にリイド社から発行される第6作品集は「墓場教室」、1995年から1997年にかけて「恐怖の館DX」に不定期で連載した連作ホラー8話からなる。

主人公の女子中学生「まるこ」は、伊賀の忍者の子孫という馬鹿馬鹿しい設定で、墓地を潰して校舎を建てた、というこれもまともは思えない設定の学校、通称「墓場教室」が舞台になる神田森莉お得意の学園ラブコメディ・ホラーである。内容的には、良くありがちな学校の、「理科室の人骨の標本がしゃべる」、「女子トイレに現れる花子さん」、「深夜に体育館で遊ぶ事故死したはずのクラスメイト」など、他愛のない怪談を神田森莉風アレンジで見せているという所感の作品集である。
一つだけ特筆すると、第7話にあたる「ドッペルマルコ」で、タイトルの通り、まるこのもう一面が実態として登場するのだが、そのドッペルマルコは何といきなり自分の母親を殺してしまうのだ。そして、父親は深夜まるこの部屋へ侵入し、まるこを犯そうとするのである。神田森莉の描く家庭はだいたい崩壊している。否、100パーセントと言っても過言ではない。もっと言えば、登場人物、主人公はだいたい中高校生という割りには、家庭の匂いが全くない。逆に、神田森莉は、家庭の匂いに敏感なのだろう、敢えて触れていないような気がする。父子家庭、という家庭環境の影響なのか。

ここで、少しだけ神田森莉の家族関係について考察してみよう。
父子家庭で祖母育ち、という神田森莉であるが、やはり、漫画に母親はほとんど登場しない。止むなく、家族の構図を描かざるを得ない場面で登場する母親は普通の中年おばさんである。小言を言うばかりで、母親という位置づけからは悦脱している、簡単に言えば親子感がないのである。このことは、相当ストレートだ。神田森莉に母親像はないのである。
そして父親であるが、この存在も神田漫画にあまり登場しない。登場する父親は何の変哲もないしがないサラリーマンか、娘を強姦する変質者かどちらかである。神田森莉にとって、父親という存在もあまり意識にないのだろう、要すれば、神田森莉は家庭を描くことが苦手なのである。
このことは、祖母から貰った少女漫画に出合ったことにより、少女の感性のみが増幅されたのだろうと容易に想像できる。当時の少女漫画は、少年漫画に比べて生活臭があまりない。少女漫画に登場する家族は、高収入のハンサムな優しい父親で、元女優の美しい母親というのが相場で、決して長屋住まいでもなく、ちゃぶ台をひっくり返したりはしないものだ。それが、そのまま神田森莉の家族感を構成しているのだろう、ただし幻想としてではあるが。

神田森莉、7冊目にして目下最後の作品集「カニおんな」は、1998年3月、ぶんか社より発行される。1995年から1997年に「恐怖の快楽」に発表された、タイトルの「カニおんな」を含めた6作品からなるこの作品集は、全体を通して少しやり過ぎという所感で、さすがの神田漫画ファンでもやや重たいか。エロに次ぐエロ、グロに次ぐグロ、ここまでやるのか、でもこのシュチュエーションももう見慣れたか、という印象の作品集である。
少しだけ紹介すると、「カニおんな」であるが、恋人が拉致され、胸や局部にカニを詰め込まれ縫われ、そのまま身体の中で死んだカニにウジが湧く、という場面があるが、男は、その恋人の、ウジで埋まった唇を吸い、ウジで膨らんだ胸を「僕は巨乳が大好きだ」とほおばり、局部にしては、「奥までウジで埋まっている、最高の名器だ、ウジ虫千匹だ」と、自身の性器を挿入する。相変わらず凄まじいギャグではある。

最後に、神田森莉の性癖について少しだけ語らせて頂く。
実は、私は一つだけ疑惑を持っていることがある。それは、神田森莉同性愛者疑惑である。勿論、全く女性を受けつけないとは思わないし、公表はされていないが、現在、年齢的に家庭もお持ちだろう。その理由は単純ではあるが、少女漫画で育った神田森莉が、そのまま主人公の少女に感情移入していた可能性は捨て切れない。勿論、掲載誌の都合という理由ではあるが、神田漫画に登場する主人公は尽く女子であり、登場する男子は大抵ヒーローである。そしてこのことは、どんな掲載誌でも徹底しているのだ。また、被害者になることが多い学園の美女であるが、どうも男性の視点から見た美女ではない、要すれば、女子の憧れの的タイプの美女である。まだある。「神田森莉」というペンネームであるが、これは文豪「森 鴎外」の長女にして泉鏡花賞を受賞するに至る作家「森 茉莉」から頂いたのではないかと想像する。「森 茉莉」と言えば、ご存知の通り、少年愛の大家であり、神田森莉が、その美しくも退廃的、甘美な世界に心を奪われたことの証明となる。
もしそうだと仮定すると、前述した「ドクロ蝶666の恐怖」で女性の性器を「一番憎いところ」と指摘する理由も頷けるではないか。

案の定、1997年辺りから、仕事が激減する。数少なかった連載漫画も次々と終了してしまう。確かに、作品のマンネリ化、ということはあったろう。「過去の栄光にしがみつくロックシンガーのよう」と自己分析する場面もあったぐらいである。「飛ぶ鳥が落ちるようだ」とも言っている。もう一つは、空前のホラーブームに陰りが見えた、という点だろう。この頃から、ホラー漫画誌の廃刊が始まっていたのだった。
やや焦りを覚える神田森莉は、今更ながら作品の投稿を試みるが、これもなかなか上手く行かず、そして1998年、角川書店の「ザ・ホラー」に連載した「地獄小学生サタンちゃん」を最後に、漫画執筆から遠ざかるのである。

その後、2001年にいぬん堂からCD「アントニオ青年のエイリアンセックス体験」を発売、音楽家としてデビューを果たす。以来、都内のライブハウス「新宿ロフト」などでコンスタントに音楽活動を続け、個人出版社「神田森莉出版」を立ち上げ、自作を電子出版するという現在に至る。もともと漫画以外の分野でも精力的に活動していた神田森莉だけに、転んでもただでは起きない。美々子ではないが、「人生七転び八起き」である。
電子出版で比較的新作漫画は読めるのであるが、その中心はエロ漫画である。確かに、最後の作品集「カニおんな」は、全編に渡ってエロ漫画色が濃かった、否、寧ろ「エロ漫画集」だったと言い切れる。

カルト漫画家神田森莉の、唯一無二の魅力が少しは伝達できただろうか。まるで捉えどころのない漫画のようでもあるが、読むにつれ味が出る、ただ、その味はより深くなるのではない、どんどん、味わったことのない未知の味覚へと誘ってくれるのだ。残念ながら体験したことはないが、麻薬というものはこういうものなのだろう、あの稚拙な絵柄が頭から離れなかったりするわけである。
再度、カルト漫画評論家唐沢俊一」の言葉をお借りする。
「百凡の漫画に飽き果てたとき、そっと取り出して1ページを開いてみるといい。全く異質な、何かに出会えるだろう」

神田森莉、現在47歳。まだまだ男盛りである。こんな時代だからこそ、もう一度強烈な神田漫画に出会いたいものだ。
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)、漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。
現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。