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清水正・画
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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)
随想 空即空(連載134)兵役拒否を巡って
人間には性欲、権力欲、支配欲、金銭欲、名誉欲など様々な度し難い欲望が潜んでいる。人間の広大無辺な心の世界には神と悪魔が対等の力をもって存在しており、そこでは永遠に決着のつかない戦いが展開されていると語ったのはドミートリー・カラマーゾフである。ドストエフスキーほど人間の心の深部に照明を当てた作家はいないと言えるが、残念ながら鑑三はドストエフスキーの作品の何一つ読んでおらず、キリスト教徒にとってはその信仰を根底から突き崩しかねないディオニュソス的不信と懐疑の火の洗礼を受けることなくその生涯を終えている。
ここに引用した恩師言を読めば、鑑三と宗次郎の関係は師弟関係以外のなにものでもない。宗次郎は心底、鑑三を崇拝し、鑑三もまた宗次郎を心底信頼している。こういった二人の親密な関係はキリスト教の信仰に基づくと言えるかもしれないが、しかし非戦論と兵役拒否で必ずしも両者の意見が一致しなかったことを考えると、そうとばかりは言えないだろう。イエスの言葉「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」を素直に聞けば、非戦論と兵役拒否は分割できない一つの真理である。この真理に立てば、宗次郎の兵役拒否に待ったをかけた鑑三の教訓は納得し難い。が、宗次郎は鑑三の欺瞞を突くことができない。鑑三の教訓は、〈不敬事件〉で国賊呼ばわりされた鑑三の経験に基づいており、キリスト教の真理から離れれば、実に思いやりのある言葉に満ちている。当時、妻子をかかえた宗次郎は休職中であり、経済的にも困難な状況に置かれていた。このうえ兵役拒否でもすれば、死刑はともかく、逮捕監禁は免れようもなく、家族が犠牲になることは目に見えていた。
因みに三上真理子「茨城県における徴兵逃亡・失踪者たち」(三田社会学第16号 2011)に次の文章がある。参考に引用しておく。
罰則については、明治16年改正の徴兵令第44条に「兵役を免れんが為め逃亡し又は潜匿し若くは身体を毀傷し疾病を作為し其他詐欺の所為ある者は1月以上1年以下の重禁錮に処し3円以上30円以下の罰金を附加す」と記されている。また、昭和2年の兵役法第74条には「兵役を免るる為逃亡し若は潜匿し又は身体を毀傷し若は疾病を作為し其の他詐欺の行為を為したるものは3年以下の懲役に処す」と記されている。
また石川明人『キリスト教と戦争』(二〇一六年一月 中公新書)の中に「日本で最初の良心的兵役拒否者」であった矢部喜好について次のように書いている。
日露戦争の勃発により徴兵された矢部は、入隊の前夜に連隊長宅を訪れて、自分は徴兵を忌避する者ではないが、神の律法を厳守する立場ゆえ、敵を殺すことはできない、と申し出た。当時はそんなことを言い出す者はいなかったので、連隊長は怒るよりもむしろ呆気にとられたと言われている。結局矢部は、禁錮二ヶ月の処分となり、その後は上官たちの説得により、傷病兵の世話をする看護卒補充兵となり、戦後ようやく除隊となった。(184)
〈不敬事件〉が原因で最初の妻を亡くしていた鑑三は、宗次郎ばかりでなくその家族の運命にも保護者的な眼差しを向けていた。おしなべて鑑三の教訓は家族的な愛情のこもった現実的なアドバイスとなっており、これらの教訓を拒んでイエスの言葉に従うことはこれまた実に苦渋に満ちたことであったに相違ない。
しかし、もし宗次郎が断固として兵役拒否を実行していれば、彼はイエスの言葉に従った真のキリスト者としてその名を歴史に刻むことになっただろう。鑑三は「私は只水を運ぶ桶たるに過ぎない」と言い、さらに「僕を忘れて神を讃美せよ」と言っていたではないか。この鑑三の言葉をノートに残した宗次郎が、なぜこの言葉に従うことができなかったのか。イエスの言葉、その真理をそのままに実践できないのであれば、さまざまな言葉を駆使して自己正当化をはからなければならない。鑑三の教訓は経験を積んだ世慣れた者の、日本人受けする世俗的な処世訓の域を出てはいない。鑑三がキリスト教徒でなければ、なんの問題もない教訓であり、それは戦時下における壮士たちに向けられた適切な教訓であったろう。問題はひとえに鑑三がイエスの言葉に真理を見いだしていたキリスト教徒でありながら、〈真理〉と〈真理の応用〉を分けたこと自体にある。
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人間のあるべき姿を検証する。人道主義(ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義と一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。
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