村上玄一『ZOOMに背を向けた大学教授――コロナ禍のオンライン授業』(二〇二一年七月 幻戯書房)を読む

 

村上玄一『ZOOMに背を向けた大学教授――コロナ禍のオンライン授業』(二〇二一年七月 幻戯書房)を読む
村上玄一氏より『ZOOMに背を向けた大学教授――コロナ禍のオンライン授業』(二〇二一年七月 幻戯書房)が二十七日に送られてきた。さっそく読み始め、翌日の午後八時過ぎに読み終えた。一気に読み終えたのは、この著書がわたしにとっても関心のある諸問題を扱っていたことと、著者村上氏が日芸文芸学科の同期によることもある。入学したのは一九六八年、大学紛争が勃発、大学改革を唱える活動家たちによって江古田校舎は封鎖され、授業は一、二回しか開かれなかった。わたしは一年次、段ボール工場でアルバイトしながらもっぱらドストエフスキー論を書いていた。翌年から授業は平常に戻ったが、わたしは大学の授業には見切りをつけ、出席のうるさい授業のほかはすべて欠席した。当時、文芸学科にはジャーナリズム研究会、言語研究会、現代詩研究会などのサークルがあったが、村上氏はジャーナリズム研究会に属していたかもしれない。断定できないのは、なにしろわたしは大学四年間のあいだ、一度も村上氏に会ったことがない。わたしの唯一の友人は詩人の山形敬介だけであった。それでも村上氏が野坂昭如の研究をしているということは風のうわさで伝わってきていた。

 本格的に村上氏と関わり合うようになったのは、わたしが「江古田文学」編集長になった一九八五年以降である。詳しいことは「江古田文学」100号記念号に「情念で綴る「江古田文学」クロニクル」で書いたが、これを書きながら、改めて村上氏が「江古田文学」のために協力を惜しまなかったかをつくづくと感じた。村上氏は第二次「江古田文学」草創期の功労者の一人であり、同志とも言える。
 村上氏は昭和六十三度から文芸学科の非常勤講師として「ジャーナリズム論」「演習Ⅱ」、「演習Ⅲ」を担当することになる。これは当時学務委員であったわたしが推薦した。わたしは村上氏には代表作となる小説を「江古田文学」に発表してもらいたいと思い、酒の席などではいつもそのことを口にしていた。が、村上氏は編集者としても活躍しており、わたしは彼には出版編集にかかわるジャーナリズム論を展開してもらいたいという思いもあった。

 「ジャーナリズム論」はサンデー毎日の編集長で映画評論家でもあった岡本博が長いあいだ担当しており、文芸学科の人気講座であった。岡本氏は「演習Ⅱ」(通称ゼミ。当時は三年生が受講対象)、「演習Ⅲ」(通称ゼミ、当時は四年生が受講対象。因みに一年生対象のゼミは「文芸基礎演習」という課目名であった)も担当していたが、今では考えられないことだが百名を越える登録者がいた。当時、文芸学科は「文芸創作」「文芸研究・教育」「ジャーナリズム」の三専攻制でカリキュラムを構成していた。最も人気の高かったのが「ジャーナリズム」専攻で、岡本ゼミは最右翼の位置を占めていた。
 岡本博が昭和六十二年度をもって定年退職(当時の非常勤講師の定年は七十五歳)することになり、村上氏はその後任として「ジャーナリズム論」「演習Ⅱ」「演習Ⅲ」を担当することになった。参考に昭和六十二年度、昭和六十三年度の「ジャーナリズム論」の講座概要を「文芸学科講座内容一覧」から引いておく。
 岡本博「ドキュメンタリーが無作意の表現のうちに現わしてしまう現代社会への疑問を見つける。その意味の拡大解釈を説きたい。作家、記録者の内在的劇性と結合する描写である。そこに現代政治と社会生活へ撃ち込みたい作家のうちの、必要欠くべからざる問題点をさまざま発見して行きたい。TVに限らず一般報道通信全体を対象とする。ドキュメンタリー作家と作品の基礎構造をなす思想と論理が打ち出せれば幸甚である」(「昭和62年度 文芸学科講座内容一覧」より)
 村上玄一「「ジャーナズム論とは何か」のテーマを根底に置き、出版ジャーナズムを中心に、出版社の特色や傾向、雑誌編集のあり方などを考えながら、現代ジャーナズムの構造を見ていきます。また、新聞・テレビにも触れながら、マスコミ人として“勇名”を馳せた人物や名編集長と呼ばれた人たちにもスポットを当てて、そのジャーナリストとしての姿勢にも言及していきたい」(昭和63年度 文芸学科講座内容一覧」より)

 村上氏は昨年の2020年度(2020年4月~2021年3月)をもって三十三年間の教師生活に幕をおろすことになった。わたしも昨年度、学部の講師を退任し、今は大学院の講座だけを担当している。去年一年間、面談授業はいっさい行わず、すべての担当課目(「マンガ論」「雑誌研究」「文芸批評論」)はクラスルームですませた。毎週、課題を与え、メールで送られてくるレポートを読むという、味気ない授業であった。わたしは教室内を歩き回り、学生を巻き込んでの授業を持ち味としていたので、昨年の授業はなんとなく事務的に終わった感じである。もっとも、今のわたしは2016年からの帯状疱疹後神経痛に苦しめられており、ここ数年は思うような授業を展開できなかった。神経痛は依然として続いており、ズームでの授業もほぼ不可能であった。しかめっ面を受講生に見せるわけにもいかない。
 わたしは「清水正ブログ」も開設しており、動画も発信しているのだが、だからと言ってパソコン操作に通じているわけではない。ブログ操作は手が覚えているので、頭ではまったく理解していない。動画はわたしの授業のTA、今は助手の伊藤景さんにまかせているので、自分ではなにもできない。三週間ほど前から、購入して五年ほどのパソコンが不具合で、動画の画面がしばしば停止したり、今は音声もでなくなっている。どこが悪いのか、不具合の原因はなにもわからない。基本的なパソコン操作を勉強する気にもならないので、結局は学科の助手や助教に頼らざるを得ない。

 村上氏の本にも「オンライン授業」をスムースに展開できない苦労話が綴られているが、団塊世代とひとくくりにされた老人たちがパソコンを自在に操っている姿を想像することはできない。何十年にもわたって印刷文化に接してきた者が、コンピューター文化に馴染むのは容易ではない。
 村上氏の本のタイトルは『ZOOMに背を向けた大学教授』となっているが、別に積極的にZOOM授業に背を向けたわけではない。要するにZOOM授業をこなせるだけの豊かなパソコン知識や、経験がなかったということである。

 わたしが、この本を読んでまず感動したのは、村上氏が受講学生とまっすぐに向き合って〈授業〉を進めていくその誠実な姿勢であった。コロナ禍にあって満足のいく面談授業ができないまま時は冷酷にすぎていくが、村上氏はひとりひとりの学生と真摯に向き合って、課題をだし、課題レポートの感想を書き記している。
 この本は村上氏の2020年度担当の「出版文化論」「文芸研究Ⅰ」「文芸研究Ⅱ」「文芸研究Ⅳ」「ジャーナズム実習Ⅲ」五課目の授業内容を具体的に記している。読むだけで、授業風景が鮮やかに浮かんでくる。コロナ禍にあって日本に来れない中国の一留学生のレポートに対する懇切丁寧な指導やアドバイスにも教育者としての誠実な心配りがにじみ出ている。こういった指導を受けた学生にとって村上氏は主義主張や哲学的見解を超えて忘れられない〈恩師〉となるだろう。レポートや課題創作に向けての感想などを読んでいると、村上氏の対話的精神が、高ぶることなく平常心をもって遺憾なく発揮されているように思える。
 この本は具体的に扱っているのは2020年度の授業であるが、実質は文芸学科における村上氏の三十三年間の教育実践の集大成と言える。2020年度に村上氏の授業を受けた学生はもとより、昭和63年度からの受講生全員の〈宝物〉と言えよう。また、この本は「ZOOMに背をむけた」村上氏が、不自由な目を駆使して、また胃ガン手術を克服しての、学生に向けての感謝を込めた〈贈り物〉である。
 わたしは今まで小説家としての村上玄一氏、編集者としての村上玄一氏を見てきたが、今回『ZOOMに背を向けた大学教授』を読んで、〈教師としての村上玄一〉の誠実と人間愛を強く感じた。村上氏を知る学生や同僚はもとより、より多くの編集者や教育の現場にある人たちに読んでいただきたいと思う。

2021/06/29 19:57

 

 

 

清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
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清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁が出来上がりました。

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定価3500円+税

 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。完璧に近い著作目録の作業も進行中である。現在、文芸学科助手の伊藤景さんによって告知動画も発信されていますので、ぜひご覧になってください。