思い出の中の恩人(芳林堂の鍋谷嘉瑞氏)

 

 

思い出の中の恩人(芳林堂の鍋谷嘉瑞氏)
 「人生七十古希稀なり」とはもはや昔のことで、今や七十歳を越えても元気な老人はいくらでもいる。文芸家協会から送られてくる通信の訃報欄を見ても七十歳代で亡くなられるひとはごく稀で、八十、九十歳代がほとんどである。少し皮肉を込めて言うのだが近頃、発狂とか自殺する小説家はいない。作品は発表せずとも、健康には気をつけて長生きするらしい。文学界では何一つ論争はなく、特に話題になる作品もない。じつに穏やかな日々が続いている。わたしはドストエフスキーの文学さえあればそれでいいので、積極的に、文芸誌などで発表されている小説を読む気にはならない。
 さて、今わたしは七十二歳で、ここまで生きてくれば、これからの人生よりは生きてきた過去の人生の方がはるかに長いことになる。一人で生きてきたわけではなく、とうぜん恩になったひともいる。先日、当ブログで書いた豊島書房の岡田富朗氏などは大の恩人である。なにしろ商売気なしで、いわば男気だけで『停止した分裂者の覚書――ドストエフスキー体験』を出版してくれたのだから、いくら感謝しても感謝しきれるものではない。今時、義理も人情もなく計算ずくで生きるひとも多くなったかもしれないが、わたしは受けた恩を忘れるような不義理な生き方はしたくない。ということで、今回はもう一人の恩人について書きたいと思う。
 最初の本『ドストエフスキー体験』(一九七〇年一月)は当時友人だった詩人の山形敬介の〈山〉と、わたしの苗字清水の〈清〉を採って出版元を清山書房と名付けた。江古田の段ボール工場で時給百円の肉体労働で金を貯め、それでも足りずに所沢のゴム工場で時給二百五十円で働いて、ようやく出版にこぎつけた。日芸の文芸学科に入学して丸一年をかけて書き上げたドストエフスキー論である。五百部刊行して、定価は五百円とした。
 さて、出版したはいいが、どう売りさばいたらいいかわからない。当時、「試行」「あぽりあ」「無名鬼」など商業路線とは一線を引いた独立自尊の自立誌・同人誌が文学青年たちの間で強い支持を受けていた。早稲田の古書店「文献堂」などはこういった雑誌を積極的に受け入れ、店内の目立つところに平積みしてあった。わたしもさっそく店主に掛け合ってみたところ、快く五冊ほど引き受けてくれた。なにしろ文献堂は早稲田大学の露文科のある高田馬場古書店街に店を構えているのだから、『ドストエフスキー体験』はたちまち売り切れた。その後、何回か追加で置いてもらったと記憶している。
 当時(一九七〇年代)、池袋西口に芳林堂という大書店があった。わたしは大学からの帰り、池袋駅に降りれば必ず芳林堂ビルに立ち寄り、ロシア文学コーナーを覗いた。今は大書店でも海外文学コーナーはなくなっているが、当時は英米文学、ドイツ文学、フランス文学、ロシア文学コーナーは当然のごとくあった。わたしは書店からロシア文学コーナーがなくなった頃から、書店を覗く気にもならなくなった。〈ロシア文学〉を常備していない書店など、もはや書店とも思わない。〈ロシア文学〉の凄さが分からずに、書店を開いている経営者や店員のセンスが理解できない。こう書いたからといって、別に辛辣な皮肉を発しているのではない。ごく素直な感想である。
 さて、もう一人の恩人のことだが、その前に『口笛を吹きながら本を売る 柴田信、最終授業』(二〇一五年四月 晶文社)に少し立ち止まることにしよう。この本の著者は石橋毅史である。奥付を見ると一九七〇年に東京で生まれ、日大芸術学部文芸学科を卒業している。一九七〇年は『ドストエフスキー体験』の出版年で、出身大学もわたしと同じ日芸文芸学科である。奥付を見て少なからず因縁を感じもしたが、わたしがこの本をネットで購入した理由は著者の生年や出身大学とは無関係である。
 実はわたしは芳林堂に『ドストエフスキー体験』を直で置いてもらい、百冊以上も売ってもらった。いくら池袋芳林堂が大型書店とはいえ、無名の著者の本をこれほど売り切るということは尋常ではない。当時、芳林堂で仕入れを担当していたひとの力量が大きくものを言っていたのは確かである。
 石橋毅史の本は柴田信(一九六五年四月、芳林堂書店に入社。後に岩波ブックセンター代表)の取材を元に構成されている。柴田信講談社が事務局を務める書店未来研究会が実施した懸賞論文に応募し受賞する。その受賞論文「計数による現状把握――これからの書店経営」について、柴田信は石橋毅史と次のような言葉を交わしている。

 「あれだけ詳しく書けたのは、江口淳と鍋谷嘉瑞がいたから。これに尽きます。仕組みの全体を考えたのは江口。鍋谷はそれを全部メモして、社内で共有できる文書にしていた。細かいところほどちゃんとしてるのは、とにかく鍋谷がメモ魔で、江口のアイデアをまとめるのに優れていたからですよ。それを外に出すのが、私の役だよね。与えられた課題は『これからの書店経営』だが、はたして『いままでの書店経営』などというものがあったのか、そういう前提から始めるの。最初にビックリさせるわけね」
 ――この論文じたい、影武者である鍋谷さんの貢献が大きかったことは明らかです。お話をうかがいたいですね。
 「あ、この前も話してみたけどね、彼はとにかく、あなたとは会わないって。彼は偉い人でね、取材はいっさい受けないと決めてるんだよ。自分は表に出ないっていうのを、昔から徹底してるの。それはもう、見事なくらいですよ」
 ――柴田サンとは好対照ですね。鍋谷さんは、論文を発表することには反対しなかったのですか。
 「ひとつだけ言われたんだ。『これからの書店はこうすべきだとは、絶対に書かないでくれ』と。あくまでも芳林堂のやり方であって、書店全体の新しい方法なんかじゃない、方法は個別の条件のなかでやっている書店それぞれにあるあるはずなんだから、ということだよね。このアドバイスは、私にとって大きかったなあ。年を追うごとに、彼の言った意味が重くなっていったもの」(120~121)
 
 ここまで長く引用すれば、わたしが恩人と思っているひとがだれであるかわかるだろう。
 わたしが『ドストエフスキー体験』を店に置いてもらえないかと、芳林堂の書店員に頼んだとき、対応してくれたのが仕入れ担当の鍋谷嘉瑞(なべやかずい)氏であった。すぐに名刺をくれ、ずいぶんと優しく対応してくれたので、緊張もたちまちほぐれた。
 わたしがそのとき感じたのは、鍋谷氏の〈本〉と〈著者〉に対する暖かい、敬意のこもった思いであった。当時のわたしは傲岸不遜な無名の若者であったが、鍋谷氏の対応はいまふりかえってみても見事としか言いようがない。書店の現場に生きる店員が、本や著者に対する尊敬の念を忘れて営利に走れば、もはや〈書店〉としての生命線を自ら断ち切ることになろう。
 わたしは書店経営のあり方を考える立場にないし、たいして興味もない。わたしは芳林堂といえば鍋谷嘉瑞という一人の男の姿が鮮やかに浮かんでくる。わたしは彼の対応に男気や人間としての優しさを感じた。そのことで、彼の姿や言葉がわが脳裏に刻印されたのであって、彼の書店運営のアイデヤやノウハウによってではない。
 人間として最もだいじなこと、老若男女や地位や立場を越えて、優しく対応できること、鍋谷氏は書店の現場でそれを日々実践しておられたと思う。鍋谷氏の書店員としての能力は、利益に結びつくだけのアイデヤやノウハウとはまったく違う。
 わたしは鍋谷氏にたくさん本を売って貰ったが、そのことだけで感謝の念を抱いたのではない。あれから五十年の歳月が過ぎ去ったが、わたしの内によみがえる鍋谷嘉瑞は男気あふれる人間としての鍋谷嘉瑞であって、一書店員の鍋谷嘉瑞にとどまらない。「取材はいっさい受けないと決めてる」ストイックでシャイな鍋谷嘉瑞はわたしの心の内でいつまでも生きている。鍋谷氏の現在をわたしは何も知らないが、ドストエフスキー生誕二百周年に際して、わたしの思いは思いとして書き記しておきたかった。もし目に触れるようなことがあればどうかご容赦願いたい。
 2021/06/12

 

 

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清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁が出来上がりました。

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定価3500円+税

 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。完璧に近い著作目録の作業も進行中である。現在、文芸学科助手の伊藤景さんによって告知動画も発信されていますので、ぜひご覧になってください。