清水正  情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載7)

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情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載7)

──または編集後記で回顧する第二次「江古田文学」(8号~28号)人間模様──

 清水正

 23号(平成5年1月)は特集「宮沢賢治

18号、21号に続く宮沢賢治特集第三弾。中村文昭の教室(「文芸研究」「文芸特殊研究Ⅰ」「日本文芸史Ⅱ」)とわたしの教室(「雑誌研究」「文芸特殊講義Ⅲ」)から受講生のレポートを中心に編集した。また宮沢賢治研究会の宮澤哲夫、赤田秀子の協力を得た。主な評論を紹介しておく。宮澤哲夫「まつくらくらの二里の洞」、田口昭典「宮沢賢治作品に見る心霊現象について」、赤田秀子「そのネーミングの魅力」、清水正「続・宮沢賢治を解く――『オツベルと象』の謎――」、中村文昭「カラマーゾフの沈黙(連載3)」、浅沼璞「芭蕉土方巽――『間腐れ』考――」、木下豊房「「天国の彼方」への旅」など。創作は堤玲子「電車」。

 

 24号(平成5年8月)は特集「三島由紀夫&舞踏」

 編集後記から引用する。

 《■二〇年前、わたしが大学を卒業してすぐに文芸学科に残った頃のふた昔前の話である。学科事務室に神尾佳代子さんという美術学科を卒業された方が勤めておられた。ある日のこと、前日のテレビで放映されたモジリアニをモデルにした『モンパルナスの灯』が話題にのぼった。神尾さんのご主人は毛布を頭からすっぽりかぶって、わずかばかりの隙間からだまって観ていたとのことであった。その時わたしは神尾さんのご主人に興味を抱いた。機会があれば一度ぜひお目にかかりたいと思った。しばらくしてわたしはその機会を得た。

■神尾宅におじゃましてわたしは初めてご主人と会うことになった。彼は描きかけの静物画のキャンバスを背に座っていた。彼は初対面のわたしに向かっていきなり「あなたは何をしている方ですか」と静かではあったが鋭く問うてきた。わたしは彼以外にこのように問われたことはそれまで一度もなかった。そこでわたしもいきなり、彼の描きかけの絵を批評した。

■彼は“存在そのもの”を描こうとしていた。“ある”ということ、“ある”という決して眼には見えないものをはっきりとキャンバス上に描きだそうと苦闘している姿がそこにあった。そこには一片のてらいも気取りもなかった。

■何時間が過ぎたただろうか。彼はおもむろに立ち上がると「自分の絵をすべてみてくれ」といって、隣の部屋に入っていった。最終電車まで二〇分あるかないかの短時間のうちに、彼はそのとき所有していたすべての絵をわたしの眼前に運んだ。その運びかたは狂気じみていたが、運ぶ方も見る方も大正気であった。彼が静物画にたどり着くまでの痛々しいほどの精神の軌跡がそこには刻まれていた。

■わたしと彼との付き合いはこうして始まった。とはいっても、この二〇年間のうちに会って話をしたのは三回きりである。二度目は彼が四年間滞在していたローマから一時帰国して、銀座の現代画廊で個展を開いた一九八七年、そして三回目が今年の五月十七日である。池袋の芳林堂書店前で待ち合わせたのだが何しろ六年ぶりのこと顔が分かるか少し心配などしたのだが、それはとんでもない杞憂であった。芳林堂書店の中から二〇分近くも遅れてあらわれた“輝いている”ひとが彼であった。自分の仕事をきちんとしつづけているひとがこんなにも輝いているのかと、わたしは改めて思った。

■六年前の個展で、彼の絵は“存在”がやさしく動きだした、“ある”という“有”がかすかに戯れの場へとうごめきはじめていた。彼の絵は根源の場を微動だにしないが、不断に変容し続けている。彼はいつもキャンバスに向かって闘い続けている画家である。

■今度彼に見せてもらった絵には、“革命”が起きていた。彼の絵は“存在”から“時間”へと飛躍していた。これは、六年前の“存在”が動き出して“時間”にたどり着いたのではない。おそらく彼のうちで何か途方もないことが起こったのだ。“時間”をキャンバス上に描き出すということは、描く対象に包まれかえされること、対象とともに生きることである。彼は今、ローマで“時”とひそやかな関係をとりむすんでいる。それは壮絶な孤独との闘いでもあるが、同時に彼はその至福の時をだれよりも享受していることもたしかである。

■彼の名は神尾和由。氏の快諾を得て本号より「江古田文学」の表紙を飾れることになった。光栄である。文学もまた、それにかかわるひとりひとりが壮絶なる内なる闘いを続けるほかはない。

■「不射の射」は「射の射」をきわめた者の境位。「不射」は「不射の射」をきわめた者のさらなる境位。画家は描き続け、作家は書き続ける現場を一歩も退くことは許されない。安易に悟って楽に座る事を自らきびしく戒めなければならない。(一九九三年・七・二六)》

 

 主な三島由紀夫に関する評論を紹介する。  佐野耕太郎「三島由紀夫と現在」、立野みゆき「いま、三島と太宰の「死」に学ぶこと」、下原敏彦「十五歳の扉――三島由紀夫尾崎豊の距離――」、平澤信一「「花ざかりの森」から――三島由紀夫試論――」、元橋一郎「三島仮面の肩章」など。

 舞踏特集に関しては中村文昭が「一教室からの報告F 現代学生が観た舞踏へのコトバ」として多くの学生のレポートを取り上げている。項目は「武内靖彦の舞踏」「大森政秀舞踏儀を見て」「大野一雄慶人舞踏公演」「和栗由紀夫の「日月譚」」「上杉貢代の舞踏」「遠藤寿彦の舞踏」「勝又敬子の舞踏」。

 評論は清水正「賢治童話『やまなし』をめぐって――死と復活の秘儀――」、堤玲子「中原中也(汚れちまった哀しみに)」、上田薫「アランの思想――思索・絵画・詩について――」など。  創作は村上玄一「生き方の練習」、市川奈子「目には目を」。