星エリナのほろよいハイボール(連載3)

星エリナのほろよいハイボール(連載3)



ろうそくに火を灯す
                                           

星エリナ


 奇跡を目にしたことはあるだろうか。たぶん、私はない。ドイツ、バイエルン州にある教会は、奇跡が噂で広まり有名になったそうだ。一七三八年、とある農夫が同じバイエルン州にあるシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、六月十四日にキリストの像が涙を流したという。木像が涙を流す、という奇跡は瞬く間に広まり、この教会は有名になった。これが一九八三年、ユネスコ世界遺産にも登録された、ヴィースの巡礼教会である。
 緑が美しい牧場の中にぽつんと建っているここに先日行ってみた。外装はシンプルな教会だが、中身はロココ様式の白と金がきらびやかな装飾でいっぱいだ。天井画は「天から降ってきた宝石」と讃えられるほど美しい。教会にはろうそくがあり、人々はそのろうそくに火を灯して祈りをささげるようだ。
 教会の外には観光客向けの売店がいくつかあり、そこにもろうそくがたくさんあった。教会内にあるようなシンプルで細いものではなく、直径五センチほどの太さで、カラフルな絵が描いてあるお土産用だ。そのほとんどが聖書に関する絵であるため、正直に言うと宗教的すぎて可愛くない。これを買った人たちはどうするのだろう。火を灯して祈るのだろうか。十字架にはりつけられたキリストや幼いキリストを抱いたマリアがどろどろに溶けていくところを見るのだろうか。キリスト教ではない私にだって無理だ。
 せっかくだからお土産がほしいと思っていたのだが、ポストカードは他のところで買ってしまったし、ヴィースの巡礼教会に来たということが思い出せるものがよかった。他に何か良いものはないかと別の小さな売店を見ていると、そこにもろうそくがあった。先ほどと同じマリアとキリストのリアリスティックな絵が描かれている。やはり、これしかないのか。一度目に付くとどうしても離せなくて私はろうそくを一つ手にとった。すると、その後ろに並んでいたろうそくの絵が違っていた。あきらかに他のろうそくとは違うのだ。絵画がプリントされたようなろうそくではなく、金色だけで描かれた天使のイラストなのだ。それもかわいい天使がハープを弾いている優しいろうそく。なんだ、あるんじゃないか。

 私は三秒も迷わずそのろうそくを買った。ろうそくには金色の文字でWieskircheと書かれている。ヴィース教会という意味だ。良いお土産を買うことができた、と満足していたのだが、日本に帰ってきてもう一度じっくり見ていると、やはり火を灯したくなった。目の前にろうそくがあったら、ライターを探すに決まってる。私はそうだった。何も考えずに火をつけた。やはりお祈りをしたほうがいいだろうか。でもキリスト教じゃないからな。どこか高いところに置いたほうがいいのだろうか。いろいろなことを考えて、もう一度ろうそくに目をやったとき、私は後悔した。私が想像していた速度よりも何倍もはやく、ろうは溶けていた。天使の顔らへんまで溶けたろうが流れていて、まるで首がなくなってしまったようだ。
 慌てて吹き消すと煙が舞った。なんだか嘲笑われたような気分だ。