星エリナのほろよいハイボール(連載87)

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星エリナのほろよいハイボール(連載87)

小説を書く
星エリナ

 
  本当はずっと、小説を書いて生きていたかった。なんて言うと格好がつくかな、と思って何度か言ったことがある。はじめて書いた小説は、きっと小学校五年生の国語の授業だ。原稿用紙10枚程度のストーリーを書く授業だった。私はなぜかその時はまっていたちょっと怖いオバケが出てくる漫画に似せて書いた。主人公の女の子が友人二人と学校の裏山に入り、幽霊退治をし、女の子を成仏させる話。ある日主人公たちの前に突然現れ、幽霊退治を依頼してきた女の子が本当は幽霊だった、という簡単なオチもあったため、小学校五年生にしては構成力がある、と評価された。私の友人で本もたくさん読む一番文章力がある、とみんなから思われていた子は、文章力がありすぎて、原稿用紙10枚には納まらず、その授業が終わっても完結しなかったため、評価されなかった。だから実質私が一番誉められ、見栄っ張りな私は大満足したのだ。
 それからなんとなく文章を書き始めた。最初は台詞ばかりで周囲が全く想像できない、小説とは呼べないものばかりだった。背景を描写したい、と思ったとき、頭に浮かぶ風景は、いつも福島の田舎だった。好きなだけ福島を書こう。そう思ってできた小説は中学の文集に載った。
 高校では文芸部に所属。とにかく短編小説をたくさん書いてスキルアップしたかった。地方の文芸誌に送ると毎回掲載してもらえた。だから私は調子に乗って、高校三年間ずっと送った。高校のなかでは文章力に自信がついた。
 そんな私の鼻を見事に折ったのが日芸の先生。なんだかんだ言っても小説を書けと言われれば書いてくるみんなにも苛立った。私が特別視されないから。だんだん書くことがつまらなくなってきたのは二年の終わりごろだ。文芸学科長として忙しかった、という理由もある。少しずつ書いても、誰かに見せたいという気持ちはもうなかった。自分でこそこそと書いていたい。誰かが読んでも読まなくてもいい。感想なんてひとつもほしくない。あんなに誉めてくれる人は、もういないんだから。
 いつだって器用貧乏。ゲームもピアノも書道も絵も。最初のうちは誰よりも器用に上手にできる。だけど、次第にまわりに追いつかれ、いつのまにか自分は伸びないことが多い。テキトーにこなしてテキトーにかわしてきたつもり。だけど、それももう終わりかもしれない。たかだか二十歳すぎくらいの小娘が何言ってんだかってかんじだけど。自分の限界が見えてきた気がする。
 自分を追い詰めるように文章を書きたいとは思わない。むしろ逆で、自分が精神的に解放されるために文章を書きたい。気持ちが焦っている今こそ、小説を久しぶりに書きたいと思った。どこか切ない恋愛を書こう。うまく書けたら、あの頃みたいに地方文芸誌に送ってみよう。一番小説を書いていて楽しかったあの頃に少しだけでも、戻りたい。
 
 

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