荒岡保志の志賀公江論(連載10)

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荒岡保志の志賀公江論(連載10)

70年代少女漫画に於ける志賀公江の役割(その⑩)




平成二十一年度志賀公江ゼミ学生の卒業論文審査の後、記念撮影。
イサムが通うボクシングジムは「西条拳闘クラブ」、「西条」と言えばピンと来るだろう、あの女番長の父、PTA会長でもあるあかねの父が経営するジムなのであった。

そして、練習中のイサムに纏わり付くあかねの姿がある。実はこの不良娘はイサムのことが好きで堪らない、その為に、会長である自分の父を利用してイサムをデートに誘うのであるが、メグに一途なイサムがあかねに靡くことはなく、あかねの苛立ちは溜まる一方である。

そこで、我侭に育てられ、負けん気の強いあかねは、「サム、あなたはわたしのものよ。きっとわたしのほうをむかせてみせるから!!」とイサムに啖呵を切るのだ。そんな啖呵を切られれば、少々優柔不断な男でも引きかねないが、そんな理屈があかねに理解出来る訳もない。
あかねは、今まで一度たりとも負けたことがないのだ。欲しいものは何でも手に入ったはずだ。あかねにとって、初めて欲しいものが手に入らない、しかも、それはあかねの人生で一番大切なものだったのだ。
この啖呵には、あかねのその強引で貪欲な性格と同時に、イサムに対する真剣な恋心、その寂しさが表現されているのだ。

精密検査の結果も順調なメグの退院日、イサム、サチ、そして小山田の家族がメグの退院を喜び、迎えに行く。その中で、特別に仲睦まじいイサムとメグを見て、サチは少しだけ寂しさを感じる。「わかっていたさ・・・イサムがメグを愛してるってことは・・・」、あかねとは表現こそ違え、サチもあかねと同じ思いをイサムに抱いていたのであった。
少しだけ余談であるが、集英社「マーガレットコミックス」版では、ここの「イサムがメグを愛してるってことは・・・」のネームが、「メグ」ではなく「サチ」になっている。これはとんでもない誤字であるが、再版でも修正されていなかった。誰も気が付かなかったのだろうか、それとも、編集者が大筋にはあまり影響がないと判断したのか・・・まさかとは思うが、志賀公江ご本人の勘違い、うっかりだったのだろうか。

その深夜である、サチはメグの声で起こされる。メグは、目が急に見えなくなってしまったと訴えるのだ。サチは、メグが階段から落ちたときの後遺症かと小山田夫婦を呼ぼうとするが、メグはそれを制止する。「これ以上よけいな心配をかけたくないの」、メグは言う、「あ・・・あなたさえついていてくれたらへいきだから、朝までこの手をにぎっていてちょうだい」と。
サチは、自分の腕の中で両親に遠慮をするメグを知り愕然とする。「養女とはいえ、なんのえんりょも、きがねもなくしあわせいっぱいに暮らしていると思っていたメグが、こんなときにこのサチをたよってくるしかないなんて・・・」、サチは、思う。
ここで、サチは再認識をしたはずだ、今まで、自分だけが疎外されていたと思っていた、被害者意識だけが増幅していた、しかしながら、こんなに誰からも愛され、幸せそうに見えるメグでさえ抱え込んでいるものが鬱積しているのだ。

翌朝、サチの腕の中で目覚めるメグの目は回復していた。安堵するサチ、喜ぶメグであったが、サチは、「ほんとうになんともなくて急に目が見えなくなったりするものだろうか・・・」と、一抹の不安を拭い切れなかった。そして、サチのその悪い予感は当たっていたのである。

学園生活に戻ったメグを待ち構えているのは、女番長のあかねである。
「あの女さえいなければ・・・イサムの心はわたしのものになるのに・・・」と、生まれて初めて味わう敗北、そして失恋と言う屈辱に、あかねの精神は相当歪んでいるのだろう。冷静に考えれば、メグの存在が無くなったと仮定しても、人本来の気持ち、優しさ、強さに敏感なイサムがあかねに靡くとは思えないが・・・恋は盲目と言うことだ。
番長グループは、早速メグに絡み、取り囲む。あかねは、吸っていた煙草をメグの顔に押し当てようとするが、そこに現れたサチは、傍らにあった薔薇の茎を鞭のように撓らせ、あかねの持つ煙草を叩き落す。そして、サチはその火の点いた煙草を拾い上げ、自らの手で握り潰ながら言うのだ、「メグはサチがあずかる、こんごメグに用があるときはこのサチがかわりに話をきこう」と。女番長グループに一目も二目も置かれているサチである。これでは、あかねと言えども迂闊にメグに手を出せない。

そこに、喜び勇んだイサムが駆けつける。ボクシングの試合が決まったのだ。プロボクサー中野勇の誕生だ。この喜びを、誰よりもメグに伝えたかったのだ。勿論、メグも自分のことのように歓喜し、イサムを迎えるのだが、ここで再び悲劇が訪れる。メグは、昨夜と同じように、急に目が見えなくなってしまったのだ。

病院に運ばれるメグ、付き添うサチ、そこで小山田夫婦はサチに打ち明ける。メグは、子供の頃に父に強く殴られ頭を打ったことがあり、その後遺症が未だに残っていると言う。
サチは、自分の父を思い出す。飲んだくれでやくざな博打打ちだったが、サチに暴力を奮ったことは一度も無かった。優しい父だった。サチは、父が大好きだったのだ。それは、勿論今もである。

病院の帰り道、サチを待つ青年が居る。このストーリーの冒頭で、スリのグループからサチとメグを救った、あの青年である。サチも、妙に気に掛かっていた、黒沢哲である。
哲は言う、「むかえにきたぜ、サチ、いつぞやのかしをかえしてもらおうと思ってな」と。
戸惑うサチだが、心の奥では、このまま哲に着いて行きたいと言う動物的な本能が燻っていたはずだ。初めて哲と出会った時に思ったのだ、この男からは父と同じ匂いがすることを、それは勿論自分とも同じ匂いであることを。
そこに、「いいかげんにせんか、哲」と、ウィスキーの瓶を片手にした髭の男が哲を嗜める。哲と初めて出会った時も、哲の車の中に居た男である。その男は、「三鬼」と呼ばれていた。
三鬼は、「すまんな、おじょうさん、この男、ときどきわけのわからないことをいいだすくせがあってな」とサチに詫び、哲を連れ車で去って行く。
残されたサチには、妙な切なさが残るのだ。

一夜明けて、サチが学園に登校すると、学園内は騒然としている。あかねがサチに暴力行為を受け、全治一ヶ月の怪我を負ったとサチを訴えたのだ。あかねの父であるPTA会長も同行し、サチを即刻退学処分にするように学園に圧力を掛けている。
病院から賭け付け、真実を話すメグ、サチを信じるイサムだが、保護観察中で不良のサチの友人の意見に耳を貸すはずもないあかねの父である。父に甘えるあかねを見て、サチは、「ひとりじゃなんにもできないくせに、一人前に男にほれるっていうんだからお笑いさ」とあかねを切り捨てる。「ガキの恋狂いほどみっともないものはない」とサチが吐き捨てると、「おだまり!!」とあかねが反撃、つい平手でサチの頬を叩いてしまう。全治一ヶ月のはずの利き手である。
あかねは、自分の本当の敗北を知り、崩れ落ちる。いつでも落ち着き払っているサチの存在がどうしても許せなかった。喧嘩でも勝てない。問題を起こして学校からサチを追放することがあかねに出来る最後の策であった。
同時に、あかねには、重症を負えばイサムが心配してくれるだろうと言う勝手な思いもあった。女番長あかねは、皆の前で泣き崩れるのだ、「だって・・・だってあたし・・・イサムのこと好きなんだものーっ」と。あかねの、初めての張り裂ける心の叫びである。

女番長あかねも、それ以来すっかり影を潜める。誰も、サチのことを悪く言う者も、勿論絡む者もいない、否、寧ろその貫禄に慕う者さえ現れるほどである。

そこに、刑事がサチを訪ねる。刑事は、サチに一枚の写真を見せ、それがサチの父で間違いないか確認をする。保護観察中のサチは、父の居場所さえ知る由もなかったが、刑事は、サチの父の突然の死を伝えるのであった。たった一人の肉親であるサチに、遺体の確認をお願いする為にサチを訪ねたのである。
滅多に感情を露にしないサチが、「とうさん!!」と叫び、取り乱す。大好きだった父は、サチの心の拠り所であった。保護観察が解けたら、真っ先に父に会いに行こうと思っていた。「サチはあすからどこへかえる日を夢に見たらいいの」、サチは声にならない叫びを上げる。

サチは、死体安置場で変わり果てた父と再会する。動揺はない、いつもの冷静なサチに戻っている。刑事は、サチ父は仕事にしくじって殺されたと言う。犯人も自首しているらしい。これと言った遺品は無かったが、写真が一枚、やくざな父から逃げた母の写真だけが残されている。「ばかなとうさん・・・」、そう搾り出すのが、今のサチには精一杯であった。

父の墓の前に片膝を付くサチの姿がある。ギラギラと燃える太陽がサチを照らし、その灼熱の炎を受けサチの瞳も燃えている。サチには分かっているのだ、これは、ただの殺人事件ではないことを、その背景にある巨大なものの存在を。
そして、サチの燃える瞳の中にあるものは、復讐の炎である。

人の本来的な優しさを知った第一部からこの展開である。哲、三鬼の謎の言葉、やはり普通の女の子として生きていけないサチの宿命、志賀漫画の負のスパイラルがここから始まるのだ。

荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。