荒岡保志の志賀公江論(連載4)

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荒岡保志の志賀公江論(連載4)

70年代少女漫画に於ける志賀公江の役割(その④)

志賀公江「狼の条件」作品論①

「狼の条件」は、「スマッシュをきめろ!」連載終了直後の1970年39号から1971年6号まで「週刊マーガレット」に連載された。
生まれたばかりで、両親の手により山奥に捨てられた少女が、漁師町で、狼と共に育てられるという設定の、ややピカレスク、サスペンス、アクション色の強い傑作であるが、これも理由は不明だが、どういう訳か連載が終了しても単行本化がされなかった。初めて単行本化されたのは、1976年、創美社の「マーガレットレインボーコミックス」で、全2巻に渡って発行されるのであるが、何と連載終了から5年の歳月が経っていた。もちろん、雑誌に連載したもの、読み切りで掲載したもの全作品を単行本にする義務は出版社にはないが、営業的にも大ヒットしたであろう「スマッシュをきめろ!」直後の作品をお蔵入りにする理由が何かあったのだろうか。しかも、この「狼の条件」は、前作に比べて遥かに志賀公江らしい、ドラマティックなストーリー展開、お得意の、縺れに縺れる人間関係、情熱的なキャラクターたちが交錯する力作なのだ。
今読み返してもなお新しい、否、今だからこそ是非読み返して頂きたい作品だと私は評価する。志賀公江の、迸る情熱の世界へ、グイグイと引きずり込まれるのを感じて欲しい。

身形の良い夫婦が、山奥に生まれたばかりの赤ん坊を捨てる場面からこのストーリーは始まる。冷静な父、嘆く母、何か、深い訳がありそうである。
母「夏江」は、直ぐに後悔の念に駆られ、その際の運転手「洋平」を連れ山奥に戻るが、赤ん坊を捨てた場所は野犬に荒らされており、既に影も形もない。夏江は、絶望してそのまま海に身を投げてしまう。

洋平は、全ての事情を知っているのだ。夏江を不憫に思い、せめて赤ん坊の亡骸と一緒に埋めてあげようと再び山奥へ向かい探索するが、そこで洋平が見たものは、狼に育てられていた赤ん坊であった。
洋平は、その理由ありの赤ん坊を自分が育てることを決意し、一緒に居た、やはり生まれたばかりの狼の子供を連れて帰るのである。
この赤ん坊こそ、これから始まる壮大なストーリーの主人公となる少女「みさき」である。

そして、10年の歳月が経つ。みさきは、「海龍」という漁師町で暮らし、太陽のように燃える瞳、黒髪の、男勝りで快活な少女に育っている。みさきと共に連れられた狼は「トキ」、同じく10歳になる分けだから、狼としてはすっかり大人であり、もちろんみさきに懐いている、否、兄妹を超える信頼関係が生まれている。

その漁師町に、地元の名門であった「海竜一族」が所有する屋敷があり、もう老朽化しているのだが、その屋敷を解体し、レジャーセンターを建設しようと建設設計会社の社長「若林」が視察に来る。若林は、偶然そこに居たみさきの名前を聞き、正岡社長の、10年前に行方不明になったお嬢さんと同じ名前だ、と頭に過ぎるが、みさきの胸元に光るペンダントのメダルを見て驚愕し、急にみさきの腕を引く。みさきの傍に居たトキは、みさきが乱暴を受けていると勘違いしたのだろう、咄嗟に若林の手首に噛み付いてしまう。

それが原因か、体調を崩した若林はそのまま入院してしまうのであるが、その原因は狂犬病と診断されるのだ。みさきとトキは、そんな事とは知らずに山奥で過ごしているのだが、そこで、トキは狂犬として、町人により野犬狩りに合う。みさきとトキは、更に山奥に逃げる。そこに、幼馴染の、みさきに思いを寄せる秀才「敬」が駆け付け、若林の入院の原因は狂犬病ではなく、破傷風であったことを訴えるが、時は既に遅かった、猟銃を持ってトキを襲う町人を、トキが撃退、殺してしまっているのだ。

みさきも町人の狙撃を受け、トキも傷付き、みさきは山林に火を放つ。その劫火の中、一人の船乗り「己波」が現れる。みさきと同じ、燃える目を持つ己波は、岩の上で毅然として山を見下ろしたまま死んでいるトキを確認すると、みさきを抱いたまま火の海を駆け抜ける。そして、船に乗るから一緒に来ないか、とみさきを誘い、姿を消す。己波は、未だ10歳の少女ながら、勇気のあるみさきの行動に敬意を表したのだ。

みさきは、そのまま町人たちに保護されるのであるが、その町人たちの目を見て、みさきは思うのだ、だめだ、この人たちの目は燃えていない、と。そして、漁師町に戻ったみさきに、そして洋平夫婦に、町人たちの罵声が襲う。何しろ、トキは町人を一人殺してしまっているのだ。

みさきは、胸元のペンダントのメダルを敬に託し、百間の大渦に飛び込む。そして、向かうのは、あの劫火の中からみさきを救った己波の乗る船である。大渦も荒波も乗り越え、何とかその船まで泳ぎきったみさきは、己波に再会し、安堵するのだ、この船乗りの目は燃えている、トキと同じだと。

これが、志賀漫画の肝の一つである。目が燃えている、これがみさきの人となりを見分ける判断材料だった訳だ。目が燃えている、即ち、情熱である。情熱を持ち、命を賭けて、目的に邁進する人生を送る者、決して何者にも媚びる事なく、自分の人生を自分自身で切り開く勇気を持つ者、その者の目は燃えている。それは、狼に例えられるのだ。

神戸に向かう船の上で、みさきは己波と船員仲間から、運航の作業を教えられるが、意外と覚えの早いみさきは、あっという間に人気者になる。

船上で、波の音に誘われるように、みさきは夢を見る。巨大な、白い船の夢である。甲板に、朧気ながら美しい女性が佇んでいる。船の名前もぼんやりと映る、その名前は「海龍丸」である。
その夢の事を己波に話すと、己波の顔は一瞬にして険しくなる。みさきには何かある、ただの女の子じゃない、己波は海龍一族の曰くの家系を思い出す。
海龍一族は、千年以上前から港を仕切って来た海の支配者であった。その後、「海龍汽船」と名乗り、日本一の汽船会社として外国航路でも活躍している船乗りの憧れの的である。ただし、現在は、海龍汽船は神戸の正岡財閥によって乗っ取られ、海龍一族は離散しているのだ。

神戸に寄航した船に、みさきを保護しようと警察が待ち構える。みさきを育てた洋平夫婦は、町人全員に迷惑をかけたみさきの面倒をこれ以上見ることが出来ず、警察に委ねたのだった。みさきは、己波と一緒に航海を続ける事を望むが、既に警官たちはみさきを保護する為に船に乗り込んで来ている。己波が、みさきに、これから自分の乗る船の名前を告げると、みさきは、保護しようとする警官たちを撒き、神戸の街に姿を消すのである。

神戸に上陸し、逃げるみさきは、いきなり飛び出して来た車に轢かれそうになる。正岡財閥の車である。みさきが運転手に文句を言うと、後部座席に乗っていた少年は、どうせ金目当てだろうとみさきに現金を投げ捨てるが、みさとは更に激怒して叩き返す、いくら金を貰っても売れないものがある、と。
偶然その場面に通りかかった威厳のある紳士が、良く言った、とみさきの肩を叩き、この神戸は正岡家のものではない、この港の秩序を乱されては私の顔が立たない、と運転手に詰め寄る。この紳士は、神戸を仕切る「京極組」の組長「京極左門次」であった。
みさきは、京極の目をじっと見る。そして、お前はその辺の奴らと違う、と、己波と会った時のように安堵するのである。

京極は、みさきを港まで送ってくれるのだが、己波の乗船する船は、既に出港したばかりであった。その船が再び神戸に戻るのは3ヶ月後であるという。
みさきは、京極に、何でもするから3ヶ月間自分を使ってくれるように頼む。みさきは、京極に、自分と同じ匂いを感じたのである。それは、言うまでもなく狼の匂いである。

ただし、ここで京極も、みさきがただの少女ではない事に気が付くのだ。どこかで会ったような、その燃える目をどこかで見たような錯覚が脳裏から離れないのだ。


荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。