荒岡保志の志賀公江論(連載8)

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荒岡保志の志賀公江論(連載8)

70年代少女漫画に於ける志賀公江の役割(その⑧)
志賀公江「亜子とサムライたち」作品論②

志賀公江作品を手にする荒岡保志。撮影・清水正
学園に戻る亜子は、衝撃的な慎吾とのキスが頭から離れずに悩む。どうしても伸への思いを振り切れない亜子は、自分が慎吾に魅かれ始めていることを認めたくないのだ。
その、亜子の態度の急変を見逃す小巻ではない。小巻は、亜子を問い詰め、怒りをぶちまける、否、ぶちまけるのは怒りではない、小巻の深い悲しみである。「亜子が必要としているのは慎吾の顔よ!! 心じゃない!!」、小巻は叫ぶ。

順平が小巻と亜子の間に入る。「もういいだろう? 島影にきらわれるだけだぜ」と、順平は小巻の振り上げた手を抑止する。小巻は、泣きながらその場を去るが、残る亜子の傷を、順平が手当する。札付きの不良である順平が優しい素顔を見せる瞬間を、亜子は呆然と見つめる。

言葉こそ悪いが、順平は今までも何度か亜子を救っていたのだ。
例えば、小巻との対戦が控えた猛練習の際、順平はプールサイドから亜子に、「息を止めて泳ぐんだ!!」とアドバイスをしている。それはノーブリージング泳法という高等泳法で、海女の血筋を引く亜子の水泳スタイルに適切だと順平は判断したからである。ただ、亜子は不良の順平を嫌っており、その言葉には耳を貸さなかった。

亜子は、優しい横顔の順平に本当のことを話す。それは、伸への尽きぬ思い、そして慎吾への純粋な感情、その葛藤である。
順平は、「おまえは慎吾に恋をしたんだ」と、亜子の目を見つめる。「これが恋・・・? これが・・・?」、亜子は戸惑う。亜子にとって、これが初恋であったのだ。伸への思いは、恋愛までは昇華していなかったのだろう。幼馴染の、大好きなボーイフレンドという枠を破ることなく、他界してしまったのだから。

気まずさは残り、どうしても慎吾を直視出来ない亜子、慎吾への適わぬ愛に打ちひしがれる小巻、亜子への一途な愛に迷いがない慎吾、そして、亜子に、慎吾と同じ思いを持つ順平、その中で、高校水泳選手権大会は開催される。

出場選手は、勿論、慎吾、小巻、そして慎吾と同等の実力者順平であったが、そこに、1500メートルの自由形で亜子が急遽出場することになる。小巻の父、原田の鶴の一声である。本来のレギュラーを、亜子と交代させろと指示をするのだ。原田の権威は、この学園では揺ぎ無いものなのだ。そして、思いの外スパルタ教育信者の原田に選手として評価されることは、過酷な練習量を強要されることにもなる。

順平のレースが始まる。順平は、亜子に、故郷の海の話をする。順平も海で育ったのだ。その海は志摩と違い、佐渡の荒波である。
亜子は、順平の実力を知っている。そして、スタート台に向かう順平に、亜子は言うのだ、「一度でいいから・・・ほ・・・本気で泳いでみて・・」と。
順平は、亜子を振り返り、青褪める。

スタートではいつも通り故意にしくじるが、順平から亜子の言葉が離れない。いつの間にか順平のスピードはぐんぐん上がり、離されていたトップに追い着き、ラストスパートで追い越す。
順平は、一着でゴールする。しかも、高校新記録というおまけ付きである。
祝福する慎吾、亜子、そして水泳部員だが、順平の表情は暗い。順平は、「ちくしょうっ」と、皆の祝福を振り切り、選手権会場から飛び出してしまうのだ。

亜子の、1500メートル自由形がスタートする。いきなりの指名で、1500メートルのペース配分などもまるで分からない亜子であるが、今までの練習風景を思い出しながら自分なりに調整しながらレースを進める。今は信じるしかない、自分を、今まで自分を鍛えてくれたコーチを、そして、「志摩の人魚」、母を。

結果は、二着であった。初めての選手権大会としては上出来である。そして、一着は「尾崎令」、「八千代高校」の選手であったが、二着で善戦した亜子に声を掛けるのだ、「あたしのラストスパートにここまでくいさがってきた子ははじめてだ、正直いって・・・こわかったよ」と。
この、黒髪のショートヘア、ギラギラと燃えるような瞳を持つ令こそ、志賀漫画の定番のキャラクター、目的の為には迷いを持たないクールビューティ、真琴、みさきの後継者であり、志賀公江ご本人の分身であろう。尤も、ラブロマンス色の強いこの「亜子とサムライたち」では、あまり活躍の場はないが。

男子リレーのレースを前にして、アンカーの予定であった順平が、勝手に、自分はもう泳がない、佐渡へ帰ると言い残し、選手権会場を後にする。
アンカーの順平を失った「白河学園」は、予選を通過することが適わず、男子リレーでは大敗を喫してしまうのだ。
これに激怒した原田は、順平を退学処分にするが、順平も、学園を退学するつもりで、一人佐渡へ向かう。

駅に駆け付けた亜子は、順平の乗る列車に、何とか間に合う。亜子は、揺れ動いていたのだ。それは、慎吾と順平の間で、である。今まで、憎くて憎くて仕方がなかった不良ではあったが、順平と離れることがこんなに苦痛を伴うということに気が付いたのだ。これも恋なのか、それさえも亜子には分からないのであるが。

亜子は、順平の胸に飛び込む。最後に、何か聞きたかったのだ。それは、順平が亜子に向けた思いであったはずだ。
しかし、順平は、亜子のその腕を解き言うのだ、「慎吾と・・・幸せにな・・・」と。
そして、列車は走り、亜子が再び伸ばした手は、順平には届かない。伸の時と一緒である。亜子は、決して離してはいけない大切な人の手を、再度離してしまったのだ。

慎吾はというと、亜子が順平にある感情を抱いていることに気が付いている。こればかりは、慎吾にどうすることも出来ない。死んでしまった伸とは違う、相手は生きている順平なのだ。
亜子は、更に思い悩む。やはり、伸以外を好きになってはいけなかった、と後悔もする。自分の為に、傷ついた人たちがいる、小巻も、順平も、そして今は慎吾までも。
そして、女子1500メートル自由形の決勝戦が行われる。あの令と、再対決である。

亜子に、母の面影が過ぎる。自分は、母の子だ、死ぬまで泳ぎ続けた母の子である。泳いでさえいれば、全てを忘れられる、慎吾のことも、順平のことも。
がむしゃらに泳ぐ亜子は、迫る令を感じる。亜子は、それを遮るように目を閉じ、ここでノーブリージング泳法に切り替えるのだ。プールサイドでは騒然である。残り100メートルをノーブリージングで泳ぎ切るとは、ある意味自殺行為であったからだ。
意識が遠ざかっていくのを亜子は感じる。そして、ゴールに辿り着き、亜子は意識を失うのだ。母の面影を胸に。

ラストスパートで追い着いた令も、自己ベストタイムであった。ただし、勝者は亜子、大会新記録で、堂々たる優勝である。
勝者の亜子に、令が歩み寄る。「また全国大会であえるね」、そう言って、令は亜子の手を握る。

高校選手権大会の終了後に、亜子は小巻から呼び出される。小巻は、亜子に、「わたしをぶって!!」と言う。更に、「そうすればわたしの気がすむんだから!!」と叫ぶ。小巻は、慎吾への嫉妬心から亜子を傷つけたことがあった。一つは、そのお返し、ということだろうが、もう一つは、これで慎吾への思いを断ち切ろうという決意である。
亜子は、順平を思い出し、急に呼吸困難になる。

亜子は、病室で目覚める。慎吾が、倒れた亜子を病室に運び、手当てをしたということだ。
亜子は、慎吾に会いにプールへ行く。そこで、慎吾から、順平に婚約者がいたことを聞く。それは、10年も前の話で、親同士が決めたことだという。そこで、慎吾がポツリと言う、「あのころはよかったな・・・でも・・・もう・・・もどらない・・・」と。
亜子は、以前、ストップウォッチを手にして順平が言った言葉を思い出す、「ストップウォッチはいいな・・・いつでもかんたんにもとにもどることができて・・・」という言葉である。亜子の中で、慎吾と順平の言葉が被る。

水泳部では、全国大会に向けて練習に励んでいる。プールサイドには原田の姿がある。それが、この猛練習に緊張感を与えているのだ。
そこに、校長が原田を呼びに来る。校長は、順平の復学を、原田にお願いしに来たのだ。校長は、順平は佐渡の漁師の生まれで、早くも父が亡くなったため、本来なら高校進学が出来る掲載状態ではない、と言う。そして、順平は、慎吾の双子の兄弟であると打ち明けるのだ。弟の慎吾を、校長は養子として育てたのだ。順平は、見知らぬ土地に貰われていった弟を案じて、同じ「白河学園」に入学したのだ。
その全てを、亜子は聞いてしまったのである。
「あたしはふたごの兄弟に恋をした・・・!!」、亜子は思い、眩暈が起こる。亜子は再び倒れるのだ。

度重なる卒倒もあり、亜子は余儀なく練習を休まざるを得なくなる。勿論、それは精神的なものからではあるが。
プールサイドで練習を見学する亜子であるが、そこに順平は現れる。校長が原田を説得し、もう一度復学させようと戻したのだ。ただし、順平は、もうこの学園に戻る気はない。原田にキッパリとそのことを伝え、順平は、佐渡に戻り、猟師の道を選択するのだ。

慎吾は順平と会い、「亜子が愛しているのはおまえだ!! 」と叫ぶ。そして、更に、「亜子はいまプールサイドにいるよ。佐渡にかえる前になんとかしてやれよな」と説くのだ。

プールサイドに現れる順平に、亜子は聞く、「大谷さんの婚約者ってどんな人?」と。順平は、一瞬キョトンとするが、すぐに、胸にしているペンダントのロケットを開けて見せる。そこには、黒髪をお下げにした可愛い少女の写真があった。亜子は、何も言えずに、その場から走り去るのだ。

慎吾の下へ戻る順平は、亜子に自分の気持ちを伝えなかったことを話す。弟の恋人に手は出せない、と言うのだ。これが、順平のやり方なのだ。あくまで、順平は、弟慎吾の、縁の下の力持ちに徹していたかったのだ。見知らぬ土地に貰われていった慎吾の為だ。その為に、水泳一つでも目立ったことはしたくなかった。順平は、慎吾だけが脚光を浴びればいいことだと割り切っていたのだ。

慎吾は亜子の名を呼び続け探すが、学園内にはどこにもいない。亜子は、これ以上慎吾にも迷惑が掛けられないと、志摩に戻ろうとしていたのだ。
慎吾も、もしやとそのことに気付き、駅へ向かう。その駅の入口で亜子を発見する慎吾は、「いくな!! 亜子」と叫び、道路を横断するのだが、そこで、慎吾は車に撥ねられてしまう。ここで、亜子は本当のことに気が付く。亜子は、慎吾に駆け寄り、叫ぶのだ、「死なないで、死なないで、あたしはあなたが・・・好き・・・!!」と。

運よく、慎吾は軽症であった。病室で慎吾を見守る亜子。そこに、順平が現れる。
順平は、亜子に話がある、と病室から出て、病院の屋上に上がる。そして、本当のこと、自分のこと、婚約者のこと、そして慎吾のことを打ち明けるのだ。
あのロケットの少女は随分前に病気で死んでいる。婚約者というのは、親が長男である順平の許婚として勝手に決めたことだが、順平も慎吾もその少女が好きだった。慎吾のその気持ちを知る順平は、慎吾に気を使って、最後まで少女に好きだと言えなかった。慎吾は、もうあの子をいじめるな、と順平に言って佐渡を立つ。でも、順平が優しい言葉一つかける前に少女は死んでしまったのだ。
慎吾も好きだった少女に、何も言ってあげられなかったことを、順平は後悔している。同時に、慎吾にもすまないと思っている。だから、慎吾が幸せになる姿を見るまで佐渡へは帰れなかったのである。
そして、「どうか慎吾をたのむ・・・」と言い残して、順平は佐渡へ立つのだ。順平との本当の別れである。

亜子は、慎吾の下へと戻る。未だ、亜子は順平が好きだと思っている慎吾は、窓際に背を向けるが、その広い背中に亜子は抱きついて言うのだ、「ほんとうにあなたが好きなの!!」と。「あたしは、島影さんのそばで自分の未来をみつけてみたいの」と、涙を流す亜子を、慎吾は強く抱きしめるのだ。

内水泳選手権大会が始まる。
亜子は、前回同様、1500メートル自由形で出場している。その映像を、佐渡からテレビで観戦、声援を送る順平は、猟師仲間に言う、「おれの恋人ってな・・・人魚なんだぜ」と。
そして、一斉にスタートする。

亜子は泳ぐ、栄光のあしたをめざして。

青春賛歌、ということだろう。「はつこい宣言」に続くハッピー・エンドで、これから亜子と慎吾に起こるだろう幸せな学園生活と、水泳というスポーツ競技に全力投球する二人の未来を示唆して幕を閉じるのだ。

「スマッシュをきめろ!」に引き続き、テレビドラマ化されてもおかしくない万人向けのストーリーで、恋愛ドラマに寄っているものの、理由ありの兄弟の確執も含め、スポーツの汗が全てを包み込むエンディングまで、息の抜けない構成で力強く描き上げられた傑作である。

ただし、志賀漫画に独自の本質の見る私は、このストーリーに尾崎令の存在こそ重要と見る。前述した通り、このキャラクターこそ志賀公江ご本人の分身であるからである。
このストーリーでは、なかなかその存在感が発揮されなかったが、して言えば、ピリリと辛く、全体の味を引き立てる山椒のような存在として意義はあったのだ。

また、志賀漫画には、この「亜子とサムライたち」のように、今後の輝くだろう未来を示唆するエンディングが多々登場する。その為に、エンディングの切れがかなりシャープに仕上がっていると評価できる。それも、志賀漫画が単なる少女スポーツ根性漫画ではない、勝敗に拘って描かれていない証明でもある。

最後にもう一つ、以前、この紙面で「日野日出志論」を書かせていただいたが、そこでは、日野漫画の血縁関係への拘りについて掘り下げた。逃れられない血縁関係を、日野漫画から読み取った訳であるが、志賀公江も、血縁関係、家族関係に相当な拘りを持つ漫画家であることが分かるだろう。このことも、一通り志賀漫画を論じてから総括したいと思う。

荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。