小林リズムの紙のむだづかい(連載432)

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


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四六判並製160頁 定価1200円+税

小林リズムの紙のむだづかい(連載432)
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D文学研究会発行の著作は直接メール(qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp) で申込むことができます。住所、電話番号、氏名、購読希望の著書名、冊数を書いて申し込んでください。振込先のゆうちよ銀行の番号などをお知らせします。既刊の『清水正ドストエフスキー論全集』第一巻〜第六巻はすべて定価3500円(送料無料)でお送りします。D文学研究会発行の著作は絶版本以外はすべて定価(送料無料)でお送りします。なおД文学研究会発行の限定私家版を希望の方はお問い合わせください。


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京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp

清水正へのレポート提出は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお送りください。
小林リズムさんがエッセイ本をリンダパブリッシャーズ(http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru)から刊行することになりました。本のタイトルは『どこにでもいる普通の女子大生が新卒入社した会社で地獄を見てたった八日で辞めた話』発売日四月五日。
http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru
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小林リズムの紙のむだづかい(連載432)




【りさちゃん顔面最強説】


この間、先生方と飲んでいるときに「"りさ”っていう名前の女の子は可愛いよね」という話になった。私の友達のりさちゃんは、友達としての贔屓目なしにしても本当にカワイイ。大島優子宮崎あおい大沢あかねを足して、うまい具合に割った感じのキュートな顔立ちだ。かれこれ10年ほどの付き合いになるのだけど、中学生のときにまじまじと彼女の顔をみて「カワイイなぁ」と思ったのを今でも覚えている。
たしかあれは掃除の時間で、りさちゃんがストレートパーマをあててきた翌週くらいで、彼女は手ぬぐいをかぶっていた。私達が通っていた中学校はなぜか掃除の時間に手ぬぐいを巻くといおかしな風習があって、手ぬぐいを忘れたらダメとか、手ぬぐいに前髪をきっちりとしまわなくてはいけないとか、どうしようもない決まり事がたくさんあった。前髪をきっちりと手ぬぐいに入れて、運動着をきた姿は、年頃の中学生からみても抜群に「ダサい」。それでもりさちゃんがつけるとかなり可愛かった。笑ったときに目の下にぷくっと浮き出る涙袋や、歯並びや、輪郭もぜんぶがカワイイのだ。それは今も変わっていない。現役続行中でりさちゃん、可愛い。
というわけで「私の友達のりさちゃんってめちゃくちゃ可愛いんですー」「いや、こっちのりさちゃんも可愛いよ」というりさちゃん自慢大会になった。家に帰ってから調べてみると、本当にりさという名前の子は可愛い率が高いことが判明した。考えてみれば私の大好きな綿矢りささんだって、本名でも「りさ」という名前だ。りさ…。なんていい響きなんだろう、と、しみじみと感動した私が、ネットで勝手にりさという名前のイメージを検索していたら、やはり同じように「りさちゃん」の可愛さに気づいた人が沢山いたらしい。ついに、りさちゃん顔面最強説が浮上した。もちろん、同じ「りさちゃん」であっても、残念ながら「りさちゃん」らしからぬ人もいるのは事実。けれどそれを差し引いても「りさちゃん」が可愛く性格が面白く好かれるということは間違いないだろう。
なんたることだ。人生の大発見である。
名は体を表すというけれど、わりと当たっているのかもしれない。たとえば「あや」って名前の子は派手だけど優しいとか、「みゆき」っていう名前は男受けがいいとか、「かおり」という名前はおじさん受けするとか。自分の知り合いと当てはめてみたら、本当につながってくるから驚きだ。私は羨ましくなった。あまりの羨ましさにうずうずして、「りずむ」を調べてみた。
……親が暴走族だとか、ヤバいとか、そういうのばっかり出てきて絶望した。こんなに地味でささやかに生きているのに、ド派手な人生なんて、そんなのわけあるわけないじゃん。名前は体を表さないよ。そんなことを考えながら、母がネットで私の名前が叩かれていたことに傷ついたと言っていたのを思い出した。
「あのね、リズムって名前で物を語るなとか書かれてたんだよ!もう、お母さん傷ついちゃって…」
正直、笑った。そりゃあ、リズムなんて名前で語っちゃいかんよな。リズムじゃ何言っても説得力ないわ。もし説得力ができるものがあるとすれば、音楽関係の話だけ。音楽のできないリズムさんはいったいどうすればいいのやら。
りさちゃん顔面最強説は信じても、名は体を表す説は信じたくないのだった。

 

 小林リズムのブログもぜひご覧ください「ゆとりはお呼びでないですか?」
http://ameblo.jp/nanto-kana/

twitter:@rizuko21


※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。

ユッキーの紙ごはん(連載48)

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清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


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ドラえもん』の凄さがわかります。
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ユッキーの紙ごはん(連載48)


【ちなみにコロッケは3個以上食べられる】



ユッキー


 
 たとえば16歳の女の子に彼氏がいて、交際期間3ヶ月ほどで 「彼のことを愛してる。彼ほどの人なんていない。絶対に結婚する」 と言っていたとして、何人がその言葉を心から信じるだろう。
 口では 「素敵な恋人がいるんだね!」 と応援しつつ、心の中では 「愛してるって言いたいだけだろ」 「恋に恋してるだけ」 と半笑いでいるのではないだろうか。

 16歳で付き合った彼氏と結婚する可能性のほうが恐らく統計的に低く、人生の中で見たらその気持ちは 「本当の愛」 ではないかもしれない。
 だけど16歳の心はあくまで 「16歳のキャパシティ」 でしかなく、そのキャパシティをあふれるほどの恋心だとしたら、それはもう 「本当の愛」 だ。16歳にとっては。「愛してると言いたいだけ」 でも 「恋に恋してるだけ」 でもない。

「x歳のキャパシティ」 は常に存在し、未来を先取りすることはできない。x+20歳の他人が 「その気持ちは今だけだ」 といくら諭しても、本人も理屈や想像の部分ではわかっていたとしても、実感としてはいつだって生きてきたx年以上のものなど得られない。

 16歳の頃の私は、高校の教室で友達と 「結婚してもしなくてもどっちでもいい」 と語り合っていた。子供は欲しいけど結婚はどっちでもいいと。ところが、22歳になった現在、その友達と飲みに行ったところみんな口を揃えて 「結婚したい」 と言う。
 ずっと結婚に対してドライで、誠実な彼氏に隠して何度も他の男性と遊んでいた友達でさえ、「最近、目が覚めた。結婚したい。結婚するなら今の彼氏以上の人なんていないと思う。だからもう他の男と遊んだりしない」 と顔つきを変えていた。

「急に愛に目覚めるなんてどうしたの? 何かきっかけでもあったの」 と好奇心から尋ねると、友達はちょっと考えたあと、「やっぱり、年齢かなあ」 と言う。

「年齢?」 驚いて、うろたえつつ 「どうしたの」 と同じ質問をもう一度した。友達は 「年とったなあと思って」 と、愛に目覚めたにしては憂いを帯びた表情で微笑んだ。

「油物を食べられなくなったの。コロッケを一つ食べきれなくて残しちゃったんだよ。もう年だよ。ずっと一人なんて、無理だよ。寂しいよ」

 22歳の女性が 「もう年だ」 と自虐することに対して、もっと年上の女性たちは 「何がもう年よ! まだ22歳でしょう」 と怒るだろうけれど、そこもやはり 「x歳のキャパシティ」 なのである。決して上辺だけの自虐ではない。
 22歳のキャパシティでは、コロッケ一つ食べきれなくなったことが、今後の人生を心配し異性関係を改めるほどの決定的な瞬間だったのだろう。

 16歳にして恋人のことを愛していると言い切る人を、22歳にしてもう年だと落ち込んでいる人を、彼らより年上の人々は 「若いなあ」 と嘲る。私にもそういう場面はある。

 年をとるごとに、年齢のキャパシティは広がっていく。もしかしたら許せるものが増え、穏やかになっていくのかもしれない。
 しかしそれ以上に現実を知り、自分にはどうしようもない問題が理不尽に襲ってくるものだと理解し、仕方のないことが増えていく。

 自分より低い年齢の人のキャパシティを 「若いなあ」 と横目で見るとき、自分の広がったキャパシティを成長として受け入れて誇る気持ちより、伸びきったゴムを見るような気持ちが上回ると、22歳の私は 「年をとった」 と悲しくなる。




※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。