プーチンと『罪と罰』(連載26)

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                清水正・画

 

プーチンと『罪と罰』(連載26)

清水正

 

 ドストエフスキーは作中にロジオンの論文そのものを紹介していない。書かれているのは〈論文〉に対するロジオンとポルフィーリイの解釈であり見解である。ポルフィーリイは〈非凡人〉を〈あらゆる不法や犯罪を行ないうる人〉云々と捉え、彼らは「あらゆる犯罪を行ない、いかなる法律をも踏み越す権利を持っている」と理解する。ポルフィーリイの〈非凡人〉解釈を予審判事としての〈挑戦〉と受け止めたロジオンは、素直なつつましい調子を保ちながら「ぼくが書いたのは、ぜんぜんそうでもないんですよ」と言って、次のように言葉を続ける。

 

 「もっとも、正直なところ、あなたはほとんど正確に、あの内容を叙述してくだすった。いや、なんなら、ぜんぜん正確にといってもいいくらいです。(……彼はぜんぜん正確だと承認するのが、真実いい気もちだったのである。)ただ唯一の相違というのは、ほかでもありません、ぼくはけっしてあなたがおっしゃったように、非凡人は常に是が非でも、あらゆる不法を行なわなければならぬ、かならずそうすべきだと主張したのじゃありません。そんな論文は発表を許されなかったろう、とさえ思われるくらいです。ぼくはただ次のようなことを暗示しただけなんです。すなわち『非凡人』は、ある種の傷害を踏み越えることを、自己の良心に許す権利を持っている……といって、つまり公の権利というわけじゃありませんがね。ただし、それは自分の思想――ときには、全人類のために救世的意義を有する思想の実行が、それを要求する場合にのみかぎるのです。(中略)ぼくの考えによると、もしケプレルやニュートンの発見が、ある事情のコンビネーションによって、ひとりなり、十人なり、百人なり、あるいはそれ以上の妨害者の生命を犠牲にしなければ、どうしても世に認めさせることができないとすれば、その場合にはニュートンは、自分の発見を全人類に普及するため、その十人なり百人なりの人間を除く権利があるはずです。いや、そうしなければならぬ義務があるくらいです……しかし、それかといって、ニュートンがだれかれなしに手当たりしだいの人を殺したり、毎日市場でどろぼうしたりする、そんな権利を持っていたという結論は、けっして出て来やしません。それから、ぼくの記憶しているところでは、こんなふうに論旨を発展さしたように思います。つまりあらゆる……まあたとえば、全人類的な立法者なり建設者なりは、太古の英雄をはじめとして、引き続きリカルガス、ソロン、マホメット、ナポレオンなどといったような人たちは、皆ひとり残らず、新しい法律をしいては、その行為によって、従来世人から神聖視されてきた父祖伝来の古い法令を破棄した、その一事だけでもりっぱな犯罪人です。したがってむろん彼らは、おのれを救いうるものはただ血あるのみ、という場合になると(たといその血が時として、ぜんぜん無辜なものであろうと、古い法令のために勇ましく流されたものであろうと)、流血の惨にすらちゅうちょしなかったのです。これらの人類の恩恵者、建設者の大部分が、とりわけ恐ろしい流血者であったということは、刮目に価するくらいじゃありませんか。ひと口にいえば、人はだれでも、単に偉人のみならず、わずかでも凡俗の軌道を脱した人は、ちょっと何か目新しいことをいうだけの才能にすぎなくとも、本来の天性によってかならず犯罪人たらざるをえないのです――もちろん、程度に多少の相違はありますがね。これがぼくの結論なんです。でなくては、とても凡俗の軌道を脱することはむずかしい。が、それかといって、そのまま凡俗の軌道にあまんじていることは、やはり本来の天性によってできない相談です。いや、ぼくにいわせれば、むしろあまんずべからざる義務があるくらいです。」

 ここに書かれている〈非凡人〉思想をプーチンウクライナ侵攻に当てはめればより現実味を帯びることになろう。ロジオンによれば〈非凡人〉は「ある種の傷害を踏み越えることを、自己の良心に許す権利を持っている」のであり、それは「自分の思想――ときには、全人類のために救世的意義を有する思想の実行が、それを要求する場合にのみかぎる」のである。独裁者プーチンは自分の存在を〈ナポレオン〉と同様の〈非凡人〉と見なし、〈ウクライナ侵攻=ある種の傷害を踏み越えること〉を自己の〈良心〉(совесть)に照らして許しているのである。

 プーチンは〈ウクライナ侵攻〉を〈新ロシア帝国の建設=全人類のために救世的意義を有する思想の実行〉と捉えていることは間違いないであろう。戦争は当然のこととして兵士のみならず多くの国民の血を流すことになる。どんなに自由な民主主義国家のメディアであろうと戦場での残虐な行為をそのまま加工せずに放映することはできないだろう。戦場において人間は、平和な日常生活では考えも及ばないような残酷な行為に走ることができるのである。

 人類はすでに二つの世界大戦を経験していながら、人間同士が敵味方に分かれて殺し合う〈ドラマ〉を排除することができないでいる。俯瞰的に見れば、〈独裁者〉(非凡人)一人が登場してしまうと、服従をこととする凡人の群はその〈非凡人〉の命令に従うことになってしまう。凡人たちは〈非凡人〉が唱える全人類のための〈救世的意義〉を根底から切り崩すことができない。

 とりあえず〈独裁者〉は絶対的権力を行使して、自ら決断した〈正義〉のための〈踏み越え〉を全うする。この〈独裁者〉の正義のための〈暴力〉に対して、アメリカ、西欧諸国の首脳たちも〈暴力〉によって対応せざるを得ない。イエスが生前、命がけで説いた〈愛と赦し〉は、プーチンウクライナ侵攻を支持するロシア正教はもとより西欧のキリスト教国においても現実的な作用を及ぼしていない。

 プーチンは〈神〉と連帯し、一体化して自らの権威権力を絶対化して〈踏み越え〉に臨んでいる。このプーチンの絶対性を根本から切り崩すためには、プーチン以上の〈暴力装置〉を駆使するしかないような状況下にある。

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プーチン独裁をなぜ国民は許しているのか考えてみた その1。ゴルバチョフエリツィンプーチン、3大統領の1990年〜2000年。

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清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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