伊藤景「松原寛と日芸精神」松原寛との出会い

 

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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

今回は伊藤景さんの論文の一部を紹介します。

松原寛と日芸精神

伊藤景日大芸術学部文芸学科助手) 

松原寛との出会い

  私がはじめて松原寛と出会ったのは、大学三年生の芸祭だった。当時、私は「日芸マスコミ研究会」に所属しており、ブログに掲載するためのネタ探しをしていた。賑やかなお祭りを一人でぶらぶらと巡ることにも飽き、一度文芸学科に戻るかと西棟のエレベーターホールに向かおうとしたとき、何者かの視線を感じた。エレベーターホールまでのちょっとした空間に、その人はいた。芸祭の喧騒とは切り離された、日も当たらないような薄暗い空間の奥に日芸創始者・松原寛の胸像が鎮座していたのだ。

 惹かれるがまま、眼前へと足を運ぶ。芸祭期間ということもあって、胸像には紙でできたシルクハットがちょこんと置かれている。少し斜めになっているシルクハットが少しおとぼけた雰囲気を醸し出している。松原寛のなんとも言えない悲しげな表情が印象に残り、その姿をカメラに収めた。芸祭中に心惹かれた装飾の一つとして、この胸像を紹介しようと思ったのだ。しかし、写真を見返してみると台座の「松原寛」の文字が逆光のため潰れてしまっており読み取れず、この写真が陽の目を見ることはなかった。その後、大学院に進学するまで胸像のことは一度も気にかけたことはなかった。

 松原寛と再会することになったのは、大学院での講義であった。当時の指導教授の清水正先生から「松原寛」の名前を聞いたときは、誰のことだか全くわからなかった。まさか、日芸創始者であり、大学三年生のときに遭遇した胸像の本人だとは思いもしなかったものだ。

 清水先生の口から語られる松原寛は、私が想像していたような人物とは異なっていた。胸像からは頼りなげな肩に、少し下がり気味の眉毛、知性の宿った瞳から、病弱な文学者といったイメージを抱いていた。しかし、実際の松原寛は陰気な人ではなかったようだ。私の想像した松原寛像とは真逆といってもよいかもしれない。彼は、実に向上心の高い人物であった。

 クラーク博士が札幌農学校生との別れ際に告げたとされる有名な格言に「Boys be ambitious」がある。私はこの訳を「少年よ、大志を抱け」と教わった。しかし、松原寛はこれを「少年よ、功名心を抱け」という意味で受け止めていた。このことに対して清水先生は彼のことを次のように分析している。

 

    〈大志〉と〈功名心〉ではだいぶニュアンスが異なるが、あえてそういう訳語にするところに松原寛たる面白味がある。大志などというご立派な、社会的に有意義なきれいごとの野心ではなく、政治的にも経済的にも、つまり名誉も金銭欲も存分に満足させる個人的な欲望の獲得を目指すということである。(略)少年期の時点で、人間が持つ利己的な個人的な欲望を認めた上で自分の将来を考えている。(1)

 

 また、松原寛の甥である松原博一氏は彼のことを「象牙の塔の中で、安住のできない人」と語っている。博一氏は「叔父寛の思い出」(『日藝ライブラリー 日本大学芸術学部図書館活動誌 No.3 特集日本大学創設者 松原寛』日本大学芸術学部図書館)において、次のように叔父のことを振り返っている。

 

  怒る時は烈火の如く怒った。感傷に沈湎する時は眼を泣きはらして泣いた。舌鋒鋭く人の急所を突くかと思えば、痛飲して呵呵大笑、憂悶を吹っ飛ばす風があった。はげしい感情の起伏を自ら統御することができなかったのであろう。象牙の塔の中で、安住のできない人であった。啓示を得れば直ちに実践に移すという現実的行動力があった。総合芸術大学を、この地上に打ち樹てようとする夢を、常に語り続けていたし、後半生のエネルギーを、これに傾注した。(2)

 

 松原寛は現実的に物事を考え、大地を踏みしめて生きていた。彼は、私たちと同じように笑い、そしてときには涙を流しながらも、自身の夢に向かってひた走ったのだろう。博一氏の言葉からは、胸像だけでは知ることのできなかった人間らしい「松原寛」を知ることができた。

 彼を知ることで、自分が抱いていた哲学者像は見事に崩れた。哲学者のことを一般庶民とは隔絶された環境で、ぬくぬくと教育を貪る高等な学者様と皮肉的な眼差しを向けていたが、そうではなかったのだ。彼らも社会の中で自分の理想と思想を追究するためにもがき苦しむただの隣人であった。そのことに気がつけたのは、松原寛のおかげである。

 私は日芸マスコミ研究会の一員であり、清水先生の講義を受けていた学生であったから、「松原寛」のことを知ることができた。しかし、そうではない日芸生はどれだけ彼のことを知っていたのだろうか。このような疑問を抱いたとき、私は在学中に誰かと「日芸」について語り合った経験がないことに気がついた。所属学科である「文芸学科」については、友人とも話したことがあったし、講義の中で文芸学科の成り立ちについても聞いたことがあった。また、「日本大学」については、日本大学豊山女子高等学校に在学していたときに毎年のように特別集会などで学んだ。特に、「学祖・山田顕義」という言葉は耳にこびりつく程に繰り返し聞いたものだ。しかし、「松原寛」の名は大学院生になるまで聞いたことがなかったし、「日芸」の歴史については学ぼうと思ったことすらなかった。自分の大学の歴史も知らずに、またそれに興味すら持たずにいた自分のことを恥じた。私は自分のことを「日芸生」だと自負しながらも、その本質を知ろうともしていなかったのだ。私は日芸に憧れを抱いて、日本大学の付属校に入学し、日芸を受験したはずなのに、日芸のことを何一つ知ろうとしていなかった。

 

 松原寛の闘争意識と崇高なる創造精神なくして今日の日本大学芸術学部の存在はない。研究と創造の精神がなくなれば大学はその生命を終えることになる。(3)

 

 松原寛がいなければ、今日の日芸は存在していない。特に、文芸学科は「文学部」とは異なる。文芸学科は、研究だけではなく、自分の言葉で物語ることに重きを置いた学科である。その文芸表現は、人によって異なる。それは小説であり、詩であり、批評であり、マンガといったように、言葉で自分の創造した世界を語ることが重要なのだ。私は、松原寛のことを知り、そして学んだ日から改めて「日芸生」として生きていくこととなった。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

目次
苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想……清水正
トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―

 入院中に松原寛論を執筆/  松原寛とドストエフスキー/  トルストイの「懺悔」をめぐって/  柳宗悦トルストイ観/  松原寛のキリスト像/  キリストと松原寛の決定的な違い/  柳宗悦の奇蹟をめぐって/  小室直樹の『日本人のための宗教原論』をめぐって/  「かのように」の哲学/  十字架上で奇蹟を起こさなかったイエス・キリスト/ 「死せるキリスト」をめぐって/  

ニーチェと松原寛……岩崎純一
 ――東西の哲人の共通点と相違点――

 序/  一、ニーチェ、松原寛との邂逅/  二、哲人たちの哲学の根底/  三、様式美としての哲人の生涯/  

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)……此経啓助
 ――松原寛著『親鸞の哲学』を読む――

松原寛と日芸精神……伊藤景
 松原寛との出会い/  『芸術の門』と「苦悶」/ 

松原寛「随想録」から……戸田浩司/ 
  
松原寛とその周辺の年譜(町田直規編)/


ドストエフスキー文学の形而下学……清水正

マルメラードフの告白に秘められた形而下学――〈哀れみ〉とカチェリーナの〈踏み越え〉――/ ■性愛描写・省略の効果/ ■描かれざる場面・スヴィドリガイロフの場合/ ■〈奇跡〉の立会人から〈実際に奇跡を起こす人〉となったスヴィドリガイロフ/ ■〈実際に奇跡を起こす神〉スヴィドリガイロフとソーニャの〈神〉/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの〈性愛場面〉をめぐって/ ■『貧しき人々』における描かれざる〈性愛場面〉/ ■『地下生活者の手記』における〈描かれざる性愛場面〉/ ■四十年ぶりに『地下室の手記』を批評する――〈描かれざる性愛場面〉をめぐって/ ■地下男と娼婦リーザの性愛関係/ ■地下男とリーザの〈描かれざるセックス〉後の場面/ ■《洋品店》でのセックス/■地下男の形而下的側面/ ■「べつに……」(Так…)の女リーザとソーニャ/ ■厄介極まる地下男/ ■地下男のリーザ征服の巧妙な手口――闇の中で〈似たもの同士〉がしゃべりあう――/ ■狂信者でも聖女でもない、人間としてのリーザ――地下男の〈たぶらかし〉――/ ■リーザが心の扉を開いた時――リーザの絶望と地下男の怖じ気――/ ■地下男とリーザの新たな関係――「リーザ、訪ねてきておくれ」/ ■〈さよなら〉(прощай)と〈またね〉(до свидания)/■魂の繋がりを求めるリーザ――〈いまわしい真実〉の露呈――/ ■地下男を訪れたリーザ――地下男とリーザの〈描かれざる第二回目のセックス場面〉――/ ■ロジオンの〈打ち明け〉と〈跪拝〉――殺意と〈嵐〉(буря)――/ ■リーザと地下男の〈嵐〉(情欲の発作)/ ■〈眉唾〉(невероятно)/ ■「さようなら」(прощайте)をめぐって/ ■三つの神/ ■地下男の〈冷酷な仕打ち〉/ ■〈すべて=всё〉(リーザ)を〈十字路〉まで追っていく地下男/ ■地下男とロジオンの類縁性と差異――〈踏み越え〉たロジオンは新たな〈キリスト〉となり得るか――/ ■〈すべて=всё〉を見失った地下男――大いなる〈Так〉の女リーザ――/ ■姿を見せない二人の女/ ■アンチ・ヒーローの全特徴/ ■《生きた生活》から乖離してしまった地下男との異質性/ ■〈淫蕩〉にふける地下男/ ■地下男の後継者ロジオンの〈淫蕩〉/ ■地下男、ロジオン、ドストエフスキーとキリストとの関係/ ■深く分裂したロジオン(〈瀆神者〉か〈狂信者〉か)/ ■ロジオンの革命家としての挫折/ ■『罪と罰』の〈踏み越え〉と現代の〈踏み越え〉――〈斧の振り下ろし〉と〈原爆投下〉(核ミサイル発射)――/ ■議会制民主主義と屋根裏部屋の〈単独者〉/ ■ロジオンの不徹底な〈非凡人思想〉――卑小な非凡人の〈アレ〉/ ■近・現代の〈独裁者〉の〈斧〉とロジオンの〈斧〉/ ■〈思弁〉と〈信仰〉――〈ラザロの復活〉をイエスに問う/ ■人類滅亡の夢と〈理性と意志〉の両義性――ロジオンの描かれざる〈新生活〉と新たな使命――/ ■〈思弁家〉から〈観照家〉へ――第五福音書としての『罪と罰』――/ ■スヴィドリガイロフの〈性愛〉をめぐって/ ■スヴィドリガイロフとソーニャの描かれざる〈性愛場面〉――〈同じ森の獣〉たちの対話――/ ■スヴィドリガイロフの〈奇跡〉/ ■ロジオンを支配する〈突然〉と描かれざる淫売婦ソーニャの実態/ ■ソーニャとキリスト/ ■ケンジ童話における数字の神秘的象徴性(三、六、九、五)とソーニャの部屋(九号室)/ ■〈ラザロの復活〉と聞き耳を立てていた〈立会人〉スヴィドリガイロフ/ ■ソーニャの部屋におけるロジオンの〈死と復活〉の秘儀/ ■ソーニャの住まいを巡る断想/ ■ロジオンがソーニャの部屋を訪ねた時の〈奇妙さ〉――〈何か戸のようなもの〉をめぐって――/ ■ソーニャの〈不安の秘密〉と〈時間の歪曲〉/ ■ソーニャとスヴィドリガイロフの〈秘密の時〉/ ■〈歪なもの〉が置かれた玄関とソーニャの不具的な部屋/ ■自ら罪を犯した〈キリスト〉としてのロジオン――ゲッセマネの〈キリスト〉に関連付けて――/ ■描かれざる日常のディティール ――ソーニャの部屋の間取りから〈トイレ事情〉〈水事情〉をさぐる――/ ■ソーニャの部屋と〈ラザロの復活〉朗読場面――ロジオンの眼差しで捕らえられたソーニャの部屋――/ ■〈この人も、この人も〉を巡って――人称代名詞に要注意――/ ■〈この人=スヴィドリガイロフ〉とソーニャの関係/ ■ソーニャの視る〈幻〉(видение)とスヴィドリガイロフが見る〈幽霊〉(привидение)/

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を読む……坂下将人

ドストエフスキー曼陀羅 目次(伊藤景編)/

 

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清水正ドストエフスキー論全集

 

    ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

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