山下聖美 〈ある何ものか〉をめぐって(3)

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清水正ドストエフスキー論執筆50周年 清水正先生大勤労感謝祭 第一部・今振り返る、清水正先生の仕事」(日大芸術学部江古田校舎芸術資料館 2018年11月23日)で司会進行を務める山下聖美教授


 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。 

 

〈ある何ものか〉をめぐって(3)
 山下聖美

 

〈ある何ものか〉
 
それにしてもなぜ、ドストエフスキーを長年批評し続けて いる清水先生が、先に述べたように、宮沢賢治に「とりつか れた」かのようになっていたのだろうか。このことを清水先 生は「ドストエフスキーにものを書かせている霊的なもの と、宮沢賢治にものを書かせている霊的なものが共通してい る」こと、清水先生自身も、その霊的な〈ある何ものか〉に よってものを書いているというようなことをよくおっしゃっ ていた。
 
清水先生の本を読んでいると、確かに〈ある何ものか〉と いう言葉が頻出する。ドストエフスキーの作品の登場人物た ちも、宮沢賢治の作品の登場人物たちも、人知を超えた〈あ る何ものか〉によって人生を翻弄され、試みられ、見守られ ている。清水先生の批評の特徴は、そのまなざしが、〈ある 何ものか〉という遙かなるものへと向かっていることにあ る。もちろん、緻密な人間描写、現実を見つめるまなざし は、徹底的に鋭い。さすが、生々しい浮き世を生きぬいてき ただけあるなと感心するばかりである。しかし、現実を凝視 するまなざしのその先には、何か巨きなものが広がってい る。先生自身が持つ、ゆったりとした巨きな雰囲気は、まな ざしているものの大きさと重なっているのであろう。
 
ちなみに清水先生は、現実の人を見る際にも、その人の背 後にある〈何か〉を見ているようである。例えば私の場合は「山下家の野望」という言葉でよく表現してくださる。平た く言えば〈ご先祖様〉であろうか。つまり、何か〈霊的〉な るものをも含めた人間存在の姿を、清水先生はキャッチでき るようなのである。こう書くと、またもやスピリチュアルな 方向へと向かっていきそうであるが、清水先生自身はいわゆ る「スピリチュアル」はお気に召さないようで、特定の層か ら熱狂的な指示を得る、スピリチュアルタレントの大御所を 「霊格が低い」と真剣に非難したりして、私たちを大いに笑 わせてくれるのである。
 

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清水正ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
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