横尾和博 大宇宙を彷徨う(4)

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
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清水正ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
清水正・ユーチューブ」でも紹介しています。ぜひご覧ください。
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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

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大宇宙を彷徨う(4)

横尾和博

 

文学の深化のために
 
清水氏の批評でみてきたように、私たちは自分自身の「登 場人物論」を持たなければならない、それが清水氏のドスト エフスキー論から学ぶところだ。
 
ドストエフスキー作品のなかでも謎の多い小説『悪霊』。 大切なことはなにも書かれていない。なにも書かれていない 闇に向かって私たちは自身の想像力を武器に漕ぎだす。
 
清水氏の論のように『悪霊』は三角形の構図で成立してい る。人間の三角関係は社会を破壊する動力である。負のエナ ジーが『悪霊』をひっぱっているのだ。 『悪霊』を政治の季節に読むのと、現在のように政治や社 会運動が凪の状態で読むのとは印象がだいぶ異なる。またこ れは『悪霊』だけではないが、年齢を経ることにより、作品 の読み方が違ってくるのは誰もが経験することであろう。
 
清水氏の読解のように、『悪霊』を人物に照明をあてて読 むと、哲学や思想とは別の貌が浮かんでくる。それは思想、 宗教、哲学という観念レベルの問題ではなく、権力欲、名誉 欲、征服支配欲などすべての欲望と、嫉妬、羨望、憎悪など あらゆる負の感情の総体としての人間である。ドストエフス キーは、それを「悪霊」と名づけた。
 
従って、「悪霊」とは外在的なものではなく、私たちの心 や体に内在するものなのだ。
 
文学とはアウトサイダー、つまり常識の枠のなかに入らない者、余計者、はぐれ者、異端児たちのものである。鬱屈、 狂気、毒などを抱え込んでいる者たちの世界である。ドスト エフスキーも、『アウトサイダー』の著者であり、ドストエ フスキー好きのコリン・ウィルソンもみなそうである。従っ て文学とはサロンや教室から生まれ出てくるものではなく、 路上や屋根裏部屋や裏町、賭博場など社会の陰から発生する ものだ。しかしなぜか文学研究や批評は、学問として理論の 積み上げで形成されている。
 
私たちは文学テクストの表面を、作者の思惑によっていつ もさまよっている。まるで宇宙のようだ。
 
ゆえに原点に戻り、テクストに書いてあることとあえて書 かれていない大切なことを見極める眼が必要である。だから こそ清水氏のように登場人物を中心としてテクストを揺さぶ り続けることが、王道である。
 
王道をいく者はいつも孤独であり、時代に屹立している。
 
低迷する現代文学だが、その深化のため清水氏の功績はこ れからも光り輝くであろう。

(よこお・かずひろ  文芸評論家)