池田大作論、いつ再開なるか

近況報告

池田大作『新・人間革命』全30巻31冊読み終える

昨年末の31日、池田大作『新・人間革命』30巻下を読み終える。あとがきは2018年九月八日、「聖教新聞」連載完結の日に書かれている。つまり連載は終わったが、小説『新・人間革命』が完結したわけではない。

いずれにせよ、昨年、池田氏の大作がいちおう幕を下ろしたとは言えるだろう。

一つの時代が終わったという感もある。わたしは偏見なく、虚心にこの作品を読んだ。読み残していた30巻上は今年一月二日に、29巻は三日に読了した。

日大病院に入院していた時に初めてわたしはこの作品に触れ、退院後もずっと読み進めてきた。池田大作論を書こうと思い、関係文献を集め、読み、批評し始めた。が、途中で林芙美子の『浮雲』論、ドストエフスキーの『罪と罰』『地下室の手記』論など書き継いでいるうちに、あっという間に二年が過ぎ去った。わたしは特別なことがない限り原稿を読み返さないので、いつ頃なにをかいたのかさだかな記憶がない。幸い、原稿はポメラで書いているのですぐに確認することはできる。

池田大作論は2016年十二月一日から書き始めている。おそらく百枚以上は書いたが、途中、仏教語の漢語がポメラで打てないことによるイライラがある。それに池田氏の著作は漢字にルビがふってあったり、巻末に語句の解説があったりと、読者に極めて親切なのだが、批評するものにとって最もありがたいのは索引である、残念ながらそれがない。『人間革命』が全12巻、『新・人間革命』が全30巻31冊である。この膨大な著作から引用に必要な個所を見つけ出す手間は並大抵なことではない。健康な時はさしたる負担も感じないが、腹部に絶え間のない神経痛をかかえているので、それが最も面倒なことになってしまった。中断の理由は仏教語がポメラで打てないこと、著作に索引がなかったことばかりとは言えないが、大きな理由の一つであることに間違いはない。いつ再開できるかまったくわからないが、当ブログで最初の方を紹介したいと思う。

 

池田大作論(1)

清水正

 

 わたしは体調を崩し、2015年12月7日、日大病院に入院、2016年2月29日に退院した。入院して一週間後の12月14日、難病指定の「水泡性類天疱瘡」と診断され、すぐに治療が開始された。免疫力の低下もあってか、治療中の2016年1月15日、帯状疱疹が発症、夜中じゅう痛みと痒みに襲われた。幸い帯状疱疹は一週間ほどで収まったが、懸念されていた帯状疱疹後神経痛が残った。この神経痛はレザー治療も処方された痛み止めの薬も効き目がなく、今はひたすら痛みを我慢している。初めのうちは入浴中は痛みがとれていたが、一年近くたった今は入浴中も痛みが続く。とにかく、間断なく痛みが続くので睡眠がとれない。一日に一、二時間くらいしか寝れていないのではなかろうか。痛みと共にある人生を生きている。  入院当初、病室は11階の窓際のベッドで、四人部屋ではあったが部屋からの眺めもよく、痛みもなかったので快適であったが、途中で皮膚科処置室のある八階病室に移ることになった。眺めは良かったが、帯状疱疹後神経痛と同室人の鼾にはほとほと参った。眼科の患者が一週間ほど入院しては退院していくのだが、まず例外なく鼾がひどい。日本人の男性はなぜこんなに鼾をかくのか。それでなくても神経質なわたしは夜、満足に寝ることができなかった。

 わたしの右隣りのベッドにS氏が入院することになった。カーテンで仕切られているので顔は見えず、挨拶もしなかったのだが、彼はすぐに他の患者とも親しく言葉を交わしていた。わたしはベッドで本を読んだり原稿を書きながら、その会話をそれとなく耳にしていた。ある時、彼は「清水さん、清水さん」とカーテン越しに声をかけてきた。「わたしのことですか」と訊くとそうだと言う。それからS氏と挨拶程度の話を交わすことになった。名刺代わりに、わたしが監修した『日藝ライブラリー』No.1と『謎解き「ヘンゼルとグレーテル」』をさしあげた。退院する時、彼は「これ先生に合いますよ」と言って読み終えた一冊の本を置いていった。その本が『新・人間革命』第27巻であった。わたしは池田大作の名前も、彼に『人間革命』という本があることも知っていたが、別に何の関心もなかった。この時、わたしは松原寛の著作を読み続け、松原寛論を書き続けていたが、『新・人間革命』を手にしてパラパラとページをめくり、中程の「激闘」から読み始めた。2015年12月29日午後5時過ぎのことである。

 

 闘争のなかに前進がある。

 闘争のなかに成長がある。

 闘争のなかに希望がある。

 闘争のなかに歓喜がある。

 

 まず眼に入ってきたのが「闘争」の言葉である。わたしはよく学生に向かって「男は闘っていなければ美しくない。女は美しくなければ美しくない」などと、冗談とも真面目ともつかないような言葉を発して煙に巻いているが、本当のところ、自らと闘っていない者は魅力がないと思っている。そんなわたしであるから、ここに引用した言葉にわたしは素直に共感した。最初に共感があれば、本は一気に読める。『新・人間革命』第27巻はその日のうちに読み終えた。

 主人公の山本進一の人に接する真摯な態度には素直に感動した。こんな立派な人が創価学会の会長だったのか、と驚いた。が、このとき、わたしは山本進一と池田大作は別人だと思っていた。いずれにしても、今までマスコミの報道などでバッシングの対象になっていた創価学会に対する偏見を棄てなければならないという思いにかられた。退院後、『人間革命』全12巻と『新・人間革命』の1巻から26巻までを一気に読み終えた。  39冊を読み終えた感想を述べる。池田大作は人格者で学会員から先生と慕われ尊敬されることがよく理解できた。彼の構想力、その構想をすぐに実現する実行力、組織力、人事力、どれもが人並みはずれて優れている。人に対する思いやり、真摯で誠実な対応には頭が下がる。本を読む限り、完璧で、山本進一に人格上の欠点を見いだすことはできない。【平成28年12月1日(木)に記す】

 陰で働く人に対して励ましの声を掛けていることには特に感心した。聖教新聞の場合もインテリの記者よりも、新聞を配送する人や新聞配達人の苦労にまなざしを向けている。組織の底辺を支えている人々の日々の苦労を励まし、幹部の傲慢や官僚主義を決して許さない姿勢は共鳴できる。  池田大作の生き方に強い影響を与えた人にまずは母親と長男をあげることができる。長男は戦地に赴き、戦争がいかに残酷であるかを大作に語る。大作には兄が四人いたが、四人共に戦争にとられている。大作に戦争の悲惨、残酷を語った長男は戦死する。戦死の報告を受けた母親の悲しみの背中を大作は生涯忘れることはなかった。子供を戦争で失った母親の悲しみを二度と味わわせてはならない。大作少年の胸に戦争のない世界を建設しなければならないという使命が刻印された。  世界の平和と人間の幸福を実現するために何をなすべきか。

 池田大作にとって運命の人が現れる。創価学会第二代会長となった戸田城聖その人である。 『人間革命』全巻を通して牧口常三郎戸田城聖戸田城聖池田大作師弟不二の絆が繰り返し書かれている。『戸田城聖 偉大なる「師弟」の道』(2015年7月3日 潮出版社)所収の「戸田城聖とその時代年譜」によれば、戸田城聖牧口常三郎に出会ったのは1920年(大正9)1月である。4月の項に「牧口のはからいで西町尋常小学校の3カ月間、臨時代用教員に採用。政友会代議士の牧口校長追い出し運動に対し他の教員とともに反対。牧口の転任後、三笠尋常小学校に勤める(22年3月末退職)。この頃、開成中学夜間部に通う。後に旧制高等学校入学資格試験に合格(22年2月23日)、中央大学予科に入学する(25年4月)。」とある。

 牧口常三郎戸田城聖の師弟関係の詳細を今ここで検証することはしないでおく。わたしが最も感心のあるのは牧口常三郎日蓮仏法への帰依である。【平成28年12月2日(金)に記す】