横尾和博 大宇宙を彷徨う(3)

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

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大宇宙を彷徨う(3)

横尾和博

 

謎の小説、『悪霊』
 
さて「悪霊論」から清水氏に触れてみたい。同作は謎の多 い小説である。
 
いま私の手元には『悪霊』をめぐる清水氏の著作三冊が ある。『「悪霊」論』(一九九〇年一月)、『ドストエフスキー 「悪霊」の世界』(一九九〇年九月)、『「悪霊」の謎』(一九九 三年八月)である。この三つの労作を手がかりに清水氏の 「悪霊論」の世界に踏み込んでいこう。
 
テクストに揺さぶりをかけ、人物の暗部に光をあてる方法 で、清水氏はステパン、ピョートル親子、ヴァルヴァーラ夫 人、リーザなど次々に登場人物の精神の暗闇に照明、光線を あてる。
 
たとえば従来からの『悪霊』論では、中心軸は「主人公ニ コライ・スタヴローギン」が定説であり、ニコライを頂点とした人神論のキリーロフとロシアメシアニズムのシャートフ の関係が重視された。「スタヴローギンの告白」にもスポッ トがあたっていた。
 
そしてステパンとピョートルのヴェルホヴェンスキー親子 の役割は、道化的な役回りが指摘されていた。しかし清水氏 はあらゆる登場人物に目を配る。前掲の『ドストエフスキー 「悪霊」の世界』の「あとがき」ではこう述べられている。
 
ニコライをめぐる女性たち、正妻マリヤ、マリヤ・シャー トヴァ、ダーリヤ、リーザ、また新知事夫人ユリヤなどは 一人一人個別的に論じたい人物たちである。それに加えて 『悪霊』の中の名脇役たち、レビャートキン、リプーチン、 リャムシン、あて馬的三枚目を演じきったマヴリーキー、夫 人に尻をしかれっぱなしのレンプケ知事など、照明のあて ようによっては興味深い人物たちがごろごろしている。ま たある意味では『悪霊』の全人物中、最も重要な人物はニ コライでもピョートルでもステパン先生でもヴァルヴァー ラ夫人でもなく、この物語の作者として設定されたアント ン君であると言えよう。
 
清水氏の「悪霊論」の心髄である。このような読解があっ たのかと、私たちは驚いた。その新鮮な輝きはいまも失われ ていない。
  『悪霊』というテクストが、清水氏の読解をとおすことで、 「悪鬼たち」はさらに私たちに押し寄せ、飲みこまれてしま いそうである。
 
まずピョートルについての清水氏の評をみていこう。
 
ピョートル・ヴェルホヴェンスキーは、ステパン先生の 「息子」で、ロシア全土に革命結社をつくり、来たるべきと きに備え着々と準備している。そしてその基礎組織である 「五人組」を当地に結成しようと奔走。またカリスマ的な役 割をニコライにさせようと画策する。政治的陰謀家で、どこ の政治組織、革命運動にも存在するような人物である。従来 の解釈ではそうだった。しかし清水氏がひとたび光をあてる と、彼には当局のスパイ説、「秘密工作員」説が俄然浮上し てくる。革命の芽を早期に摘み取るために、当局が送り込ん だ秘密工作員なのである。そう指摘をされれば確かに「内ゲ バ」で「シャートフ殺害」の実行役であったリプーチンなど の五人組は事件後、誰ひとりとして死んでいない。実行役が 死んでいないということは、口封じをするのではなく、革命 の芽であり、イヴァン王子になりかねないカリスマのスタヴ ローギン、革命思想に利用されるような人神論(唯物論)の キリーロフ、転向したとはいえ危ないシャートフ、この三人 を殺害すれば、ピョートルの真の目的は達成されたというこ となのだ。「革命の萌芽を摘み取ること」、ピョートルが権力 の秘密工作員だとすると、作品のなかの謎のような言葉に合点がいく。
 
清水氏は『「悪霊」論』のなかで、シャートフ殺害の直前 のピョートルとその同志たち五人組との会話を引用する。こ こでは引用しないが、リプーチンやシガリョフとピョートル との会話の謎をぜひ清水氏の著作を読み、テクストにあたっ てほしい(『「悪霊」論』一九六~一九八ページ)。この会話 こそ、ピョートルが当局のスパイであったことの暗示であろ う。     次にステパン先生ことステパン・ヴェルホヴェンスキーで ある。従来の解釈では、息子ピョートルとの「父と子」を、 世代間の対立、理想主義と革命行動主義と位置づけた解釈が 一般的であった。その側面を私も否定しないが、清水氏の解 釈では「父と子」のメインストリームは、親子ではなく疑似 親子であり、ピョートルはステパン先生の妻がポーランド人 の愛人との間に生んだ子どもだと指摘する。すると彼らは血 の繋がらない疑似親子であり、しかもステパン先生はピョー トルを養育せずにほったらかしにしているのである。またス テパン先生の「唯一の教え子」であるニコライと先生は師弟 の関係を逸脱して、ホモセクシュアルな関係であることも指 摘する。するとピョートルの出自が不倫の子で、養父にも捨 てられたことによる歪んだ人間像や、ニコライの虚無主義な どが浮かびあがってくる。「悪霊」の元祖とは、そもそもス テパン先生自身のことではないのか、との疑問も浮かんでくる。
 
次にその元祖悪霊を二十年間「家庭教師」として居候させ たヴァルヴァーラ夫人とは何者なのか、との疑念が湧いてく る。夫人はステパン先生の保護者であると同時に、「奴隷的 服従」を強いる絶対専制君主でもあった。そのヴァルヴァー ラ夫人を清水氏は「太母」と位置づける。母なるものの原型 である。ひとり息子のニコライを溺愛するヴァルヴァーラ夫 人は、同時に息子に対しても庇護者であり、精神的な服従を 強いる。それは彼女の自己愛にほかならない。清水氏の筆は 冴えをみせる。このヴァルヴァーラ夫人とステパン先生、ニ コライの三角形の構図も疑似家族に思える。
 
そしてリザヴェータ・トゥーシナ(リーザ)である。リー ザはヴァルヴァーラ夫人の旧友ドロズドワ夫人の娘で、マヴ リーキーと婚約が内定しているが、ニコライと一夜を共に した。リーザの「罪と罰」について、清水氏はこう述べる。 ピョートルの口車に乗せられて、婚約者のいるリーザがマリ ヤという妻があるスタヴローギンと一夜を共にすること自体 が罪であるが、リーザにはさらに隠された罪があるという のだ。つまりは、天才的詐欺師ピョートルの口車に乗って ピョートルと関係したのだと。『悪霊』の記録者アントンは、 リーザとスタヴローギンの一夜の性関係の不首尾を遠回しに 記述している。しかしまず清水氏はリーザとスタヴローギン の性交渉はあったと指摘する。隠されてはいるが、リーザはピョートルとも性関係があったと指摘する。リーザの罪はそ のことだ。愛のためには迷いもなく踏み越えていくリーザ。 そのふたりの関係は一夜を共にした後、支配と被支配の関係 が、逆転してしまった。「気位の高い、意地っぱりで冷笑的 な性格」と母親が評するリーザ。わがまま娘の踏み越えは、 民衆によって撲殺されることで罰を受ける。
 
最後に『悪霊』の記録者アントンである。アントンはもち ろんドストエフスキーが設定した人物であるが、『悪霊』の 「作者」である。従って『悪霊』はアントンの視点で語られ ている。アントンはステパン先生の「若き友人」である。清 水氏はアントンはステパン先生と肉体関係も含めてホモセク シュアルな間柄であったと指摘する。そしてアントンこそ が、国家によりスクヴァレーシニキに派遣され高等教育を受 けたスパイであるというのだ。アントンが『悪霊』を書き上 げたのは、事件から三ヵ月後ということになっているが、そ の執筆の際にもうひとりのスパイである、ピョートルの当局 への報告書が下敷きになっているのだ。なるほどそう指摘を されればそのとおりであろう。
 
事程左様に清水氏の人物論には興味津々である。まだまだ 『悪霊』には興味深い登場人物たちがたくさんいる。
(よこおかずひろ 文芸評論家)