清水正の湧き出る泉と貝の名(連載1)

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。



清水正宮沢賢治論全集 第2巻』が刊行された。
清水正宮沢賢治論全集 第2巻』所収の「師弟不二 絆の波動」より飯塚舞子「清水正の湧き出る泉と貝の名」を数回にわけて連載する。



清水正の湧き出る泉と貝の名」(連載1)
飯塚舞子


 清水正は全てを知っている。彼には全てが見えている。もしかしたら占い師だったり、預言者だったりするのかもしれない。と思ったことが実は何度かある。

 清水先生は学生によく、あだ名をつける。本名から来るものや見た目などのイメージからつけられるもの。私の場合は後者であり、出会ったその日に私に「さざえ(栄螺)」という名をくださった。三年以上前のその光景を、私は今でも鮮明に覚えている。それは、まるでジブリ映画『千と千尋の神隠し』で千尋が湯婆婆に千という名前を付けられる時によく似ていた。そこに私の意志は全くなく、しかし妙な力に押し切られたものの、その時の私はあの時の千尋のように、まさか名前自体が力を持っているなどとは考えていなかった。ましてや、その数分後から本当に「さざえ」として大学生活をおくることになるとも想像していなかったのだ。しかし、清水先生は湯婆婆とは違い、親切でとても優しい方なので、その場で私に名前の由来を丁寧に教えてくださった。そして、その名は由来を聞いた私の心のどこか深くに根付き、周囲に瞬時に浸透し、私はあの時、あの江古田の中華屋の一角で本物の「さざえ」へとなった。その後、多くの人が何度も清水先生にも私にも名前の由来を尋ねて来たが、誰にも教えたことはない。これは清水先生と私だけの秘密となっている上に、とても長い話になるので、ここでも披露することは出来ないが、実はこの名には私のすべてが詰まっているのだ。私に関するあらゆる真実と、秘めた想い。過去と未来と、苦しみと希望。清水先生は出会ったあの日に、私と少し言葉を交わしただけで、私を構成する全ての要素が集約された、「さざえ」という名前をぴったりと私に当てはめた。そして、生まれた時に授かった本名(こちらも気に入っている)だけでなく、現在の私のために付けられた「さざえ」という二つ目の名の持つ強い力こそが私を日芸という環境の中で導いてくれていると感じている。
 私が「さざえ」へとなった経緯からも分かるように、清水先生はあらゆる人・物事の真意を驚くほど瞬時に、そして深くまで総覧する。清水先生に由来を聞いた時、私は自分の全てを知られることへの恐怖と喜びを同時に感じた。先述の通り、この名には私の全てが凝縮されている。もちろん、その中には私がひた隠しにしてきた部分も含まれている。自分の深奥に仕舞いこみ、誰にも見つけられぬように、自分自身も気付かぬようにしていたものを、出会ってすぐに引きずり出される怖さと、真っ暗だった場所に光を当てられる喜び。これはとても感覚的な表現になってしまうが、清水先生と少しでも話す機会を与えられた人ならば誰でも味わったことのあるものなのではないだろうか。この正反対にも思える恐怖と快感は、いつの日にか心地よさへと変わっていく。清水先生とお話をしていると、自分の内外はもちろん、過去すらも見抜き、未来すら予知されることがある。そのように、全ての物事を見通してしまう様が私には、占い師のように見えてしまうことがあるのだ。