「文芸批評論」平成24年度夏期課題「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフについての考察」小谷はんな

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四六判並製160頁 定価1200円+税

「文芸批評論」平成24年度夏期課題
ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフについての考察
小谷はんな

 ロジオンの〈アレ〉を考察するにあたって、まずはロジオンという青年について考えてみようと思う。
 彼は「軽薄で、虚栄心が強く、不断に自己を正当化」する「変種の詐欺師」もしくは「悪党の相貌」が窺える人物であると、先生は著書『ドストエフスキー論全集5』で述べられている。故に、彼はアリョーナやルージンを嫌悪するのだ。自分の中にあるそういった憎むべき〈もの〉を、彼らの中に見てしまったから。
 しかし、本当にそれだけだろうか。
 『ドストエフスキー論全集5 『罪と罰』論余話』第三部に、こんな一節があった。
 ――彼は自分が非凡人であるのかそうでないのかといった〈個人的関心〉にとらわれ、「おれにあれができるだろうか」という〈妄想〉にとり憑かれていた。もし彼が、自分を過剰な〈革命家〉として認識していれば、ネチャーエフの言う「彼のうちにあるすべては、ただ一つの関心、一つの思想、一つの情熱、つまり革命によってしめられている」の〈革命〉の箇所に〈あれ〉を当てはめることができたであろう。(中略)ラスコーリニコフには、ネチャーエフに見られた革命家としての認識も覚悟もない。『罪と罰』の出だしの部分から彼は深く思い惑っており、未来に対する確信がない。
 そう、ロジオンには、未来に対する確信がない。確信がないまま、彼は己の理論に基づいて、高利貸しの老婆・アリョーナを殺してしまったのだ。
 その行動はどこか、先のことは考えない間違った刹那主義を思わせるし、何より現実と夢想の線引きを上手く出来ていない妄想家としての面が強いように感じられる。
 昔、こんな事件があった。中学生くらいの男の子が、同級生を私刑の末に殺してしまったのだ。その時、彼が「ゲーム感覚だった」と言った言葉を今でも覚えている。その少年とロジオンが同じだとは言わない。彼は、曲がりなりにも元・法学部の人間であり、成人している一人の立派な青年である。だが、現実とゲーム…空想との世界が入り混じり、大きな事を起こしてしまうあたり、彼らはどこか似通っている。
 ロジオンは、母プリヘーリヤからラスコーリニコフ家の再建を過度に期待されている存在であり、また、父親亡き後の一家の大黒柱となるべき長男である。彼の重荷はいか程のものだろう。都会へ出て、所謂“はっちゃける”気持ちもわからないでもない。その心は、現代の若者にも通じるだろう。“高校デビュー”“大学デビュー”といった言葉が存在するように、人は、環境が変われば自分も変われると思い込む生き物である。
彼も、恐らくその類だったのではないだろうか。いくら思想を巡らせていようと、深い悩みを抱えていようと、ロジオンだって若者である。都会へ出て、母親から解放された新しい自分を楽しみたい。そんな願望を持っていても不思議ではない。
 しかし、彼は“大学デビュー”に失敗した。金銭問題だったり、婚約者の死だったり、理由は様々だし決して彼一人が悪いわけではない。だが、彼が悪くないわけでもない。こうして彼は屋根裏部屋で、今でいう“引きこもり”生活を始めざるおえなくなり、今でいう“ネットサーフィン”の代わりに自分の殻に閉じこもって妄想を始めた。
 そして今回の論点でもある、「おれにあれができるだろうか」に行き着くのである。

 では、〈あれ〉とは何なのか。
〈あれ〉とはとても多様性のある言葉である。読み手次第で、いか様にも解釈できるのだ。そしてそれは、先生が『ドストエフスキー論全集5』で仰っていたように、「〈あれ〉を単なる老婆殺しと見ていたのでは、『罪と罰』の深層に分け入ることはできない」、とても重要な言葉として描かれている。
確かに、表層的に見ると〈あれ〉とは〈老婆アリョーナ殺し〉である。そして、それに続く、盗んだお金で立ち上げる慈善事業であり、その成功でもあると言える。
だが、それはあくまで表層的な話だ。
ロジオンが生きていた1865年当時のモスクワは、ネチャーエフのように革命運動に燃える若者でひしめき合っていた。彼らが目指すものは新しいロシアであり、そのために、ロジオンの「おれにあれができるだろうか」の〈あれ〉に〈皇帝殺し〉を当てはめ、現にそれを見据えることのできる人種の人たちだった。
 しかし、先にも述べたように、ロジオンは未来に確信を抱いていない青年である。当時の革命家たちのように、手に入れたい未来があるわけでも、叶えたい世界があるわけでもない。
 第五部に、このようなことが書かれていた。
 ――ロジオンは表層意識の次元で高利貸しの老婆アリョーナ殺しを〈あれ〉と見なしていたが、革命家たちは明白に、諸悪の根源は〈皇帝〉の存在にこそあると見なしていた。〈社会のしらみ〉は、一人の老いた高利貸しではなく、専制国家君主の皇帝であると明確に認識していた。(381ページより)
 ロジオンは革命家ではない。彼に、皇帝殺しは不可能である。
 著者であるドストエフスキーは、ロジオンの言葉に含みを持たせたのかもしれない。だがしかし、ロジオンはそんなこと考えもしなかったのではないだろうか。
 先ほど、彼と母プリヘーリヤについて少し触れた。彼女は、一人息子に過度な期待を寄せ、うざったいほど重い愛情を捧げる母親である。そう、“母親”なのである。どんなに息子の人生を押しつぶそうと、彼女はロジオンの“母親”なのだ。これほど重い愛でロジオンを縛り付けるプリヘーリヤのことだ、彼が実家にいる間、猫可愛がりしていたであろうことは想像に容易い。ロジオンは、そんな愛情に包まれて生きてきた青年である。どんなに重苦しかろうと、彼は母の愛に浸って、育ってきた。
 そんな青年が、いきなり一人で都会へ出てきたのだ。プリヘーリヤは子離れできない親である。だが、それと同じくロジオンも、親離れできていないのではないかと私は思う。確かに彼は法学部の学生で、自分の理論を持っていて、何やらいつも難しいことを考えているような気配がする。現に、彼は独自の犯罪理論を打ち立て、それに沿って行動した。しかし、彼の精神年齢はどうだろうか。母親に対するどこか子供じみた反抗的態度、先を考えずに起こした老婆殺し、私には、ロジオンが幼い少年のように思えてならない。彼は、体ばかりが成長してしまった、母親離れできない少年なのではないだろうか。
 だからこそ、改めて思う。彼に〈皇帝殺し〉を思いつくことはできない。それを…革命を思い描くには、ロジオンの心は幼すぎる。

 ならば、〈あれ〉とは何なのか。やはり表層的な〈老婆殺し〉でしかないのか。
 『ドストエフスキー論全集5 『罪と罰』論余話』第三部には、このようなことも書かれている。
 ――〈あれ〉とは、表層レベルでは〈老婆アリョーナ殺し〉であり、隠された深層レベルでは〈皇帝殺し〉と言えるが、究極的には〈復活〉を意味している。屋根裏部屋で生きながらにして死んでいるような生活を送っていた〈一人の青年〉が、何よりも望んでいたのは〈復活〉なのである。
 ここでいう〈復活〉とは、何もイエスキリストのように本当に一度死んで生き返ることを指しているのではない。それは、彼が無神論者であると同時に、ここまで通して見てきたロジオンという青年が、自殺まがいなことを考えるような人物ではないことから明らかである。
 彼の望む〈復活〉とは、彼の人生が再び輝くこと、彼が彼の人生を歩むことを指しているのではないか。ラスコーリニコフ家再建を期待され、母プリヘーリヤの敷いたレールの上を歩いてきたロジオンは、自分の足で人生を歩いているという認識が乏しかったのではないか、と私は思う。故に、心が成長…自立できないまま大人になってしまったのではないだろうか。そして、「おれにあれができるだろうか」と思い悩み、やがて殺人を犯してしまった。
 ロジオンが最終的に求めていたものとは、一体何だったのか。私は、彼は〈生きているという感覚〉が欲しかったのではないかと思う。妄想と現実の狭間に生き、どこか地に足着かない生活を送っていたロジオン。そんな自分を現実に連れ戻す〈切っ掛け〉。それを求めていたのではないだろうか。だから、殺した。
 物語的には矛盾があるかもれない。だが、私はそう思うと、このロジオンという青年が普通の男の子のように感じられ、どこか親近感が沸くのだ。
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