「レーピン展」を観に行く

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   グッドプロフェッサー

京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
『ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp
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http://www.youtube.com/user/kyotozoukei?feature=watch

昨日は大学を午後四時過ぎに出て渋谷東急本店横のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「レーピン展」を観に行く
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美術・映像事業部の廣川暁生さんのお話しを伺いながら展示会場をまわる。改めてレーピンの写実力に魅惑された。ドストエフスキーは言葉で人間の広大深遠な世界を描いたが、レーピンは絵画の技術を駆使して人間の恐るべき内部を描き出している。人間は生まれ、生き、死んでいく。貧しい労働者として、音楽家として、軍人として、革命家として、貴族として、小説家として……人間はさまざまな生を生きるが、いずれにしてもやがては死の淵へと例外なく突き落とされる。レーピンの冷徹なまなざしは、その揺るがすことのできない運命をいっさいの妥協なくとらえている。何日か後、何時間か後に死を迎える人間をレーピンはまるで超脱したかのような境地で描く。レーピンは人間の生を大いなる死の領域からとらえているかのようにも感じた。そこに大げさな信仰の声はきこえない。レーピンが描く二人のロシア女性の巡礼の姿に、わたしは地に足のついた静謐な信仰を感じた。人間は死をあらかじめ抱え込んで生きる存在なのだ、ということをレーピンの絵を見ながらつくづく感じた。レーピンは1844年に生まれ1930年に没している。没後82年たっているが、彼の描いた絵画は永遠の命を保っている。限りある人生を生きたレーピンではあるが、彼の芸術は永遠の命を獲得して輝いている。レーピンが描く人物たちは死んでも生きている。会期は十月八日まで、ぜひ多くの芸術を愛するひとたちに見てもらいたいと思う。
わたしはトレチャコフ美術館ゆかりの画家としては、クラムスコイがすぐに思いだされる。明日はクラムスコイの絵についてかつて書いたものを載せる予定である。