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「マンガ論」はつげ義春の「紅い花」を読んでもらい、感想を書いてもらった。今回は西村さんの感想を紹介したい。
「紅い花」を読んで
西村夢音
キクチサヨコという少女に妙な違和感を覚えた。小学生にしてはどこか大人っぽさを感じさせるような雰囲気を持っていて、一度読んだだけでは彼女の存在は謎としか言いようがなかった。只、終盤に川に表れる紅い花が血を意味しているのではないかと思うだけだった。そしてその赤い花は、サヨコが浴衣をめくり川にしゃがみこんだときに流れていることから、彼女の体内から流れる血、つまり幼いサヨコの初潮を表しているのではないかと思った。
繰り返しよんでいくうちに、マサジ、サヨコ、客人、そして紅い花が表すものは、体を売り金を稼ぐ売春少女のサヨコの物語であると仮定した。初潮が来る前の体を売っても妊娠することのないサヨコは、一人離れた場所で客を待っている。釣りに来た客人に対する「寄っていきなせぇ。」という台詞や、前のめりになる姿が、客を捕えようと誘う少女の姿であり、「きみいくらかネ。」「わずか五円であります。」というやり取りが行為の後を彷彿させる。最初のページ付近のサヨコの金を数えたり物憂げな様子が、客の相手に疲れ気怠くなっている売春婦の姿にしか私には見えなかった。
マサジはそんなサヨコの生活や彼女の身の上を心配し、気にかけている同い年の少年であり、普通そういった商売をしている若い女のもとには同世代の男は近付き難いと思うが、それでも心配しているマサジの様子はサヨコに恋心に近いものを感じているのだろう。
そして紅い花が示すことは、初潮をむかえようとしているサヨコに身体を売ることを辞める時期であるという報せではないかと考えた。数が上手に数えられなくなり腹がつっぱるサヨコ。最初の一ページは、彼女の身体が少女から大人へと変わっていく予兆であると私は思った。そして初潮をむかえ彼女は川に紅い花という体内の血を流していく。つらそうに横たわる傍でマサジが心配そうにしている。「眠れや」という彼の言葉には、身体が変化しているサヨコに対して、もう無理はして欲しくないという思いが込められているのだと私は感じた。