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清水正の著作 D文学研究会発行本
二十一日は日曜日、喫茶店を三軒ほどハシゴして林芙美子の『浮雲』論を執筆。十枚以上書いたが、ようやく〈三十八〉章へ至りついた。去年の四月から書きはじめて千枚を越したが、文字通り、いつ終わるともしれない。『浮雲』論はいずれ書き終えたら刊行したいと考えているが、来年早々には『林芙美子と屋久島』のタイトルで小さな本を一冊刊行しようかと思っている。なぜ、林芙美子に惹かれるようになったのか。九月の中旬の或る日、『放浪記』の小説家林芙美子に亡き母の面影を重ねていることに気付いた。何かのっぴきならない関係性がなければ、一人の作家や作品にこだわり続けることはできない。還暦を過ぎて本格的に出会うことになった林芙美子の文学の凄さを伝えたい。かつて四十歳から五十歳に至る十年間、宮沢賢治の童話世界をドストエフスキー文学との関連において書き続け、賢治文学を世界文学の地平に浮上させたような感覚を感じている。ドストエフスキーと日本文学の関係と言うと、坂口安吾、椎名麟三、武田泰淳、小林秀雄、埴谷雄高などの小説家、評論家などをすぐに思い浮かべるのだが、わたしは林芙美子の小説にドストエフスキーに対抗する日本文学独自のテーマが潜んでいると考えている。ドストエフスキーを一生涯苦しめた〈神〉の存在を林芙美子はあっさりと素通りしていく生活人としての逞しさを持っている。神の存在に左右されない、惑わされない、人間存在の逞しさと悲哀を、地上の世界にしっかりと足を下ろした作家のまなざしが冷徹にとらえている。林芙美子の人間を描くデッサン力にわたしは素直に感動している。