村岡玲菜 清水正とドストエフスキーの海に溺れて

 

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清水正ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
清水正・ユーチューブ」でも紹介しています。ぜひご覧ください。
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村岡玲菜
清水正ドストエフスキーの海に溺れて

 

 11月16日金曜日、日芸の芸術資料館にて、私は呆然とすることになる。それはドストエフスキー、あるいは当時のロシア、あるいは清水正先生の著作と対峙したからに他ならない。
 ドストエフスキーという人間を私は知らない。「罪と罰」という作品は読んだが、読んだらそれで著者のことがお見通しかというとそんなわけはない。一方、私は清水先生と会うことができる。話すこともできるし、授業を受けることが簡単にできる。だから勘違いしていたのだ。知っているつもりになっていた。先生の年表パネルの前に立ち尽くす。少し下に目を向ければ先生の著作がずらずらと並ぶ。その一冊一冊すべてに目を通すなんて、時間がいくらあっても足りない。圧倒的な知がそこにはあった。 

 私は先生の研究室に何度かお邪魔したことがあるのだが、その迫力とはまた違う。本棚に収まってしまったり、あるいはただ積まれているだけだと、中身に目を通すことはない。でも、それでも初めて入ったときは、研究室でさえ、本の迫力に押されたものだ。床が沈みそうなほど積まれた本たち。人一人がやっと通れるように、本たちが道を開けてくれている。寝ころげる広さのソファの周りにも本、本、本。

 江古田校舎に来て初めて先生を訪ねたときのことを思い出す。先生は治らない神経痛のため、ソファに寝た状態で私を迎えてくれた。大量の本に囲まれながら寝ている先生は、私が一年生のときにゼミで指導してくれた、パワフルで少し怖い姿とうまく重ならなくて、私は思わず切なくなって泣いてしまったのだった。あたかも、先生が病気で弱くなってしまったかのように感じていた。しかし授業を受けてみると全然弱くなんてなっておらず、むしろ療養中に溜め込んだものを一つ残らず、一人でも多くの人間に伝えていこうという思いがより強く感じられるようになった。私はいつしか、先生がまだ本当に若く、タフだった頃の本を読みたいと思うようになっていった。
 そしてそれらが先生の年表とともに眼前に広がった日、私は、ドストエフスキーとは先生の人生そのものなのだということを知る。本を開くとそこには熱く語られた先生のドストエフスキー論が展開されており、大量の文字が二段組、あるいは三段組で何十、何百と続いている。ものすごい量の知識と時間がつまっていることを感じながら、本を閉じ、また別の本を開く。まるで時代を移動して本に触れたような感覚になる。

 本の装丁、文字のフォント、表紙のザラザラした感触。先生はこういう本を作り、その時代のドストエフスキー研究家たちの手に渡り、そしてまた新たな議論が生まれていったのだろうと、少し当時の片鱗がのぞけたような気になった。嬉しくなり、また別の本を開く。時間を忘れて夢中になる。ふと周りを見ると、一人の女子学生がふらふらと所在なさげに歩いていた。その姿を見て、あの女子学生も私と同じように、ドストエフスキー清水正が作り出した海に潜っているのかと思ったら、仲間が一人、見つかった気がした。
 わかっている人はドストエフスキーと先生、どちらのパネルから見ても間違いじゃないことがわかっているのだが、わからない人は、順番に見たら追えるのか、そもそもどれが順番なのか、わからないのだ。答えなんてそこにはなくて、ドストエフスキーはのちに清水先生とつながることになるし、清水先生はドストエフスキーに通じている。先生がドストエフスキーを批評し続ける限り、ドストエフスキーは生き続ける。私は運命を感じたことがないのでわかったようなことを言うことしかできないが、先生はまさに運命によってドストエフスキーの批評をしているのだと思う。

 芸術資料館を巡って私が一番熱心に見入ったものは先生の読んだドストエフスキーの文庫本だ。線がたくさん引かれているし、かっこがつけられていたり、書き込みがあったり、まさしく「読まれた後」という感じのするそれらは、資料館のど真ん中、プラケースの中に大切そうに置かれている。誰が見てもボロボロだと言うに違いない。しかしその本たちは、すごく愛されていることがわかる。

 本をきれいに読むことにこだわる人間は多いし、実際、本をきれいに保ったまま読むことは誰でもできる。でも、私も本に線を引いたり、書き込んだりするようになってから気づいたのだが、本をボロボロになるまで読み込むことは、本をきれいに保ったまま読むことの何倍も難しいことだ。それこそ、朝、起きて本を読み、日中は肌身離さず読み続け、夜は読んだまま寝るという生活をしなければ、本というものはあんなにボロボロになったりしない。
 私は今、日芸に来て四年目になる。卒業の年だ。いま思えば、一年目の春、清水ゼミのゼミ生として先生に会わなければ小説「罪と罰」を読むことはなかったかもしれないし、この広い世界を少しでも現実的に、生々しく、くっきりと捉えようとはしなかっただろう。日芸に来て、清水先生と会えたことは一生の財産だ。先生には心の底から感謝してもしきれない。

 

 

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