清水正の『浮雲』放浪記(連載24)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載24)
平成△年6月14日
〈鏡のなかに写る富岡〉はごまかしようもなく、古いパンツ(ゆき子)を捨て去り、新しいパンツ(おせい)を選びとった、その姿を露呈している。ゆき子は直感的にそのことを覚ったであろうが、そのことを富岡に認めさせずにはおれないのがゆき子の性分である。さて、場面はどのような展開を見せるのであろうか。

 ゆき子は何もかもが不思議でならない。
 「ねえ、風呂敷包みになってるなンて変ね」
  ゆき子が冷やかすように、鏡から離れていった。
 「誰かが包んでくれたンだろう……」
 「新しいパンツも持って来てくれたのね。古いのはどうして?」
  富岡は返事もしないで、さっさと、湯殿へ手拭を絞りに行った。ゆき子はかちんと心へ触れるものがあったが、富岡が戻って来ても、何も言わないで寒い廊下へ、先になって出て行った。
(287〈三十一〉)

 ゆき子が詰問して、富岡が本当のことを話すことはない。富岡が話しても話さなくてもこの場合、真実は一つである。富岡はゆき子を捨てておせいを選んだのである。ただ、ゆき子はその真実を知っていても、富岡から離れないだけである。ゆき子は何回も富岡が自分を裏切り離れて行ったことを経験している。おせいの場合もそのうちの一つに過ぎない。ゆき子は富岡をほかの女に譲り渡すことができない。この富岡に対する独占欲はいったいどこから生じて来るのか。わたしは、富岡に対する〈復讐〉が、執拗な追っかけを促していると見ているが、ふつうに考えれば、富岡の肉体(性)が魅力だったということになろうか。

 ーー逃げてゆこうとしている男の心を、こうしたことで、ときどき見はぐれたのだと、ゆき子は、自分自身にも判然りと言い聞かせるつもりで、富岡との思い出はばかりに引きずられていてはならないと思った。我慢のできない淋しさだったが、ゆき子は当分独りで生きてみるつもりだった。弛んだ気持ちのまま、引きずられてはいられないと、自分の心に言い聞かせてみる。 (287〈三十一〉)

 ゆき子は〈逃げてゆこうとしている男の心〉を今まできちんと感じ、認識したことがないのだろうか。わたしの見るところ、ゆき子は富岡の逃げたい心を追って、追い抜いて、振り返って待ち伏せするような女であり、そのことで富岡はゆき子から逃げ切れなかったと見ている。ゆき子は富岡の狡さ、卑怯、嘘、虚勢を、彼から離れる為に弾劾したことはない。ゆき子は、ダラットで過ごした富岡との悦楽の日々を忘れることができず、前向きに富岡との人生を歩むことはできなかった。ゆき子は富岡との別れ時(富岡が一足先に日本に引き揚げて行った時)をきちんと認識することができなかった。敦賀について、電報を打っても何ら返事を寄越さない富岡の意志を汲み取れない、ゆき子がそんな鈍感な女であったはずはないのだが、富岡のたぶらかしが、ゆき子のような過去にこだわる女には効き目がありすぎたのかも知れない。
 ゆき子は「富岡との思い出ばかりに引きずられていてはならない」と思うのだが、富岡を捨てきることはできない。し、ゆき子は富岡と別れる〈淋しさ〉に我慢できないし、「独りで生きてみる」のも〈当分〉のことであって永遠のことではない。ゆき子は今までも、これからも富岡なしの生活に耐えられないし、そのような女として設定された枠を逸脱して生きていくことが許されていない。