荒岡保志の志賀公江論(連載3)

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荒岡保志の志賀公江論(連載3)

70年代少女漫画に於ける志賀公江の役割(その③)

山下聖美著『ニチゲー力』の出版記念パーティに於いて(2006年)
清水正 マンガ評論家の荒岡保志さん、漫画家の志賀公江さん、一峰大二さん

志賀公江「スマッシュをきめろ!」作品論②

逸早く真琴の才能を見抜いたジョージは、真琴に接近し、目下テニス選手の資格を剥奪されている真琴を試合に出すことを約束する。そして、打倒「ローリングフラッシュ」を宣言した真琴は、アメリカから来日しているジュニアメンバーと猛特訓の日々を送るのだった。しかも、実は、これはエル・フラッシャーの意思でもあったのだ。

日米親善オープンテニス選手権大会が開催される。そこで、混合ダブルスで大石哲也と組むのは、テニスの女王藤原悦子ではなく、槇さおりであった。さおりは、思いを寄せる哲也とのダブルスは望むところであるが、悦子の、哲也にプロポーズされたという言葉がどうしても離れない。そんなさおりに、悦子は卑劣なテニスプレイヤーだから、彼女の言うことは無視しろと、哲也が声をかける。その哲也の言葉で、さおりは本来の明るさを取り戻していく。
その中で、「ジャッキー」という名の、エル・フラッシャー率いるジュニアメンバーの選手が浮上する。変化球の名手との触れ込みで、今回の来日は、さおりの「ローリングフラッシュ」を研究するためである。

日米親善オープンテニス選手権大会の練習試合に参加するさおりの前に、そのジャッキーは現れる。金髪のショートカット、青い瞳、派手な衣装を纏ったジャッキーの姿だが、さおりの目は誤魔化せない、それは、紛れもない真琴であったのだ。テニス選手の資格を剥奪されている真琴は、髪の色、瞳の色、名前を変え、アメリカ人としてテニスコートに、そしてさおりの前に立つのだった。

ここで、エル・フラッシャーは真琴に真相を打ち明ける、親友の東城は、争いを嫌って信州に篭ってしまったが、美しい母を山奥で苦労させることを嫌い、別の男性と結婚することを勧めた、一方的に離婚したのは東城の方だった、と。そして、別居を勧めたのはエル・フラッシャー、自分自身であり、その勧めに従うように、母晴子は病弱だったさおりを連れて東京へ戻った、と。
ここでは、別居に至るまでの本当の理由は描かれてはいない。唯一、エル・フラッシャーは、真琴の母晴子は若くて美しく、皆の憧れの的だったと話しているが、エル・フラッシャー本人も晴子に思いを寄せていた一人だったとは想像できる。

さおりが帰宅すると、母は先に帰宅しており、休んでいた。自分の体調が思わしくないこともあり、繁盛している自分のブティックを二人の娘のために売ってしまったのだ。さおりを跡継ぎにとも考えていたが、やはりさおりをテニスから引き離すのは残酷だと気がついたこともあるだろう。
丁度、そこに真琴が帰ってくる。真琴は、母が、今でも父から送られたピアスをしているのを見て涙ぐむ。全てを理解していたからである。そして、真琴はエル・フラッシャーの下へ旅立つ。真琴は、母には何も言えなかったが、母は、真琴が自分の家を出て行くことは充分分かっていた。
ここで、父、母を取り巻く家族の遺恨は解消されるのだ。

そして、日米親善オープンテニス選手権大会当日を迎える。さおりと哲也の対戦相手は、やはりエル・フラッシャー率いる「マーチン・パリス」と「デラ・グロリア」、さおりの「ローリングフラッシュ」について研究し尽くしている強豪ダブルスである。
鋭い眼光で、その対戦を影から見つめるエル、そして、その傍らには、打倒「ローリングフラッシュ」の使命を受けた真琴、否、ジャッッキーがいる。
試合は最後まで縺れるが、際どい体勢からさおりの「ブラインドフラッシュ」が決まり、さおりと哲也のダブルスに軍杯があがる。
そして、スポーツ新聞、テニス雑誌は挙ってこの快挙に賞賛を送るのだ。当のエル・フラッシャーまで惜しみない拍手を送っているのが、さおりには少し腑に落ちなく感じるのであるが。

仕事を辞め、真琴がいなくなってから、母、晴子は一気に老け込み、体調を崩す。さおりは、何とか真琴に戻ってもらおうとジョージにも懇願するのだが、ジョージも、真琴も、もう真琴はいない、と繰り返すばかりで埒が開かない。
そんな中で、真琴、否、ジャッキーとの練習試合は始まるのだ。

打倒「ローリングフラッシュ」を掲げたジャッキーであるが、「ローリングフラッシュ」の攻略法は、敢えて勝負をしない、言い換えれば「ローリングフラッシュ」を打ちにいかない、ということだった。エル・フラッシャーのチームは、相当の筋肉疲労を伴う「ローリングフラッシュ」は、一試合に3球打つことが限界だと分析していたのだ。その限界を超えた「ローリングフラッシュ」は、変化球の切れを失い、簡単に打ち返されてしまうのであった。
それでも「ローリングフラッシュ」に拘り続け、打ち続けるさおりの姿は、勝敗を越え、見る者を感動させる。このまま練習試合は進み、勝利するのはジャッキーであった。さおりは、ジャッキーに歩み寄り、心から、おめでとう、とジャッキーの勝利を祝う。ジャッキーが、否、真琴がここまで成長したことを、姉として本当に嬉しく思っているのだ。オーディエンスから多大な拍手と歓声が沸き上がる。でも、それが、勝者のジャッキーに向けられたものではなく、さおりのテニスへの情熱に向けられたものであることを、真琴は肌で感じるのであった。

さおりと真琴の練習試合のことなど知るよしもない哲也は、さおりの自宅を訪ねるのだが、そこで、さおりの母がリビングに倒れているのを発見する。哲也は、慌てて救急車を呼ぶが、母は、自分の病がかなり重いことを自覚していたのだろう、哲也に、自分が死んだら、さおりの父、東城が書いた日記を燃やしてほしいと頼み、意識を失う。

ジャッキーとの試合の終了後、さおりは、哲也から、母が危篤状態であることを告げられ、慌てて自宅へ戻る。

また、さおりとの試合後に真琴を待っていたのは、あの田淵コーチであった。田淵コーチは、さおりと真琴の試合を見て、当時の東城と自分の姿を重ね見るのだった。試合に勝つことばかりに囚われていた田淵コーチのテニス、そして、自分が納得できるテニスができれば、勝敗は関係ないと考える東城のテニス、この溝が埋まらないのは当然のことであった。その事を、さおりと真琴の試合が、田淵コーチに強か思い知らせてくれたのであった。更に、田淵コーチは言う、真琴の出場停止は取り消しになった、と。これからは、ジャッキーではなく、東城真琴でコートに立てることを。そして、別れ際に、おれのようになるな、と残して田淵コーチは去るのである。

ジャッキーは、そのままエル・フラッシャーの下へ行く。それは、これからジャッキーに訪れるだろうアメリカでのテニスプレイヤーの栄光を捨て、姉さおりの下に残る、という意思表示をするためにである。
エル・フラッシャーにはこうなることが分かっていたのだ。もう二度と東城の姉妹を引き離したくはなかったのだ。変化球一辺倒のさおりのテニスはまだまだ弱い。変化球は、いずれは破られる、破られる度に、それを乗り越え、より強靭なものになるのだ。そして全ては、さおりのため、そして真琴のため、親友東城の姉妹のために、エル・フラッシャーが仕組んだことだったのだ。

そして、さおりの下に戻った真琴が初めに見るのは、母の死に顔であった。

母の葬儀の日、訪れた甲山選手は、さおりに、イギリスへのテニス留学を勧める。王立のテニスクラブのコーチに合格した甲山選手は、日本を代表するテニスの留学生にさおりを推薦すると言うのだ。母の死の衝撃により、テニスを諦め、母の経営していたブティックを買い戻そうとしていたさおりに、甲山選手は、母から甲山選手に送られた手紙を見せる。
その手紙には、真実は、東城が病弱のさおりを見捨て、真琴に全てをかけたことが書かれていた。エル・フラッシャーに真琴を育ててくれるように頼んだのも、真琴こそが東城のテニスの後継者だと考えたからに尽きるのだ。何かにつれ、さおりにテニスを止めさせようとした母の気持ちが、ここで初めて伝わるのであった。そして、母は、甲山選手に託すのである、さおりにもチャンスをあげてほしいと、父に惑わされず、広く、新しい世界で才能を伸ばせるように、と。

母の墓前で悩むさおりに、真琴は現れる。さおりは、真琴がエル・フラッシャーの下へ戻り、スタープレイヤーとして活躍することを勧めるのであるが、真琴は、姉さおりに勝ったという実感はとても持てていなかった、田淵コーチが、永遠に東城に勝てないように。真琴は、自分の目標は姉であることを再認識し、母が甲山選手に送った手紙を破いてしまう。これからは、姉妹二人っきりだ、こんなものは関係ない、真琴は言う。さおりは、ここで、イギリスへ行く決心を固める。さおりと真琴、紆余曲折の末、本当の意味で、姉妹の血が通い合うのである。

そして、さおりのイギリス留学の日がやってくる。空港にさおりを送る哲也は、父東城の日記をさおりに渡す。哲也は、東城の日記を燃やしていなかったのだ。それには、自分が変化球プレイヤーとしてぶつかった壁、そして、さおりへの、テニスの大先輩として、父としてのアドバイスが記してあった。

さおりを乗せた飛行機は飛び去る。それを見守る真琴と哲也がいる。真琴は、ジョージと共にヨーロッパへの遠征が決定している。今度こそ、本当の挑戦が始まる、と、哲也は励ます、真琴を、そしてさおりを。

さおり、真琴という因縁の姉妹、父東城を取り巻くライバル田淵コーチ、親友エル・フラッシャー、その息子ジョージ、母晴子、さおりが思いを寄せる哲也、さおりのテニスに惚れ込む甲山選手、その花嫁になる沢田先輩、最後まで卑劣だった悦子、影ながらさおりのテニスをリスペクトする良きライバル美津子と英子、そのヒューマンドラマは、テニスというスポーツを通して、情熱的に描き上げられるのだ。
そして、父に続いて母までも失ってしまう姉妹であるが、反って強い絆を持ち、テニスでも良きライバルとして世界を沸かすだろう。

後述するが、志賀漫画に、本質的な悪役はほとんど存在しない。良くありがちな意地悪で利己的な先輩というキャラクターもあまり登場しない。例えば、この「スマッシュをきめろ!」で言えば、沢田先輩も登場した場面では冷血漢であったし、田淵コーチに関しては東城のテニスを破壊する悪役キャラクターであった。沢田先輩は、すぐに、本当は後輩思いの良き指導者と分かり、田淵コーチは最後の最後に自分の行いを否定し、心からさおりと真琴を応援する。最後まで悪役の汚名を引きずっていたのは悦子ぐらいであろう。実は、志賀公江は基本的に勧善論者なのだ。

そして、このヒューマンドラマでキーとなる役割を果たすのが「ローリングフラッシュ」である。父の遺産であり、父の愛情の証と位置づけられた「ローリングフラッシュ」は、究極の変化球に発展を遂げる。この「ローリングフラッシュ」のために、さおりのテニスは磨きがかかり、対戦試合に緊張感を与え、ストーリーはよりドラマティックに展開する。そして、「ローリングフラッシュ」によって挫折も味わうのだ。

テニスというスポーツを題材に、白熱の試合を展開しながら、親子、姉妹の愛憎、先輩への恋慕、主人公を取り巻く多様の思惑がぎっしり詰まった幕の内弁当、それが「スマッシュをきめろ!」である。テレビドラマ化に、充分耐えられる濃い内容に仕上がっていることは言うまでもない。

「スマッシュをきめろ!」について、最後に一つだけ言わせて頂ければ、このヒューマンドラマの主人公であるが、ストーリー展開から考えればさおりで間違いないのだが、志賀公江ご本人の思い入れは真琴に比重を置いていると考えられる。この「スマッシュをきめろ!」の真琴は、今後の志賀漫画に登場する主人公にかなり色濃く投影されるようになるのだ。

1970年8月から12月にかけて、かなり早いペースで集英社「マーガレットコミックス」より発行された「スマッシュをきめろ!」全4巻であるが、今を思えば有り得ないことであるが、実は連載時の最終話まで掲載されていないのだ。イギリスにテニス留学したさおりが再び真琴と会うという最終話が存在するはずなのであるが、全編がカットされている。そのために、最終巻の4巻であるが、どうも最後のコマがすっきりしない。言うなれば、取って付けたようなコマで、このドラマは幕を引いてしまっているのである。これは、純粋に、「マーガレットコミックス」がほぼ200ページ前後で製本されている事情に他ならない。作品よりも製本コストが優先する時代だったのだろう。
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。