清水正の『浮雲』放浪記(連載181)

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清水正の『浮雲』放浪記(連載181)

平成A年2月9日
 林芙美子は富岡兼吾にドストエフスキーを作中で語らせることを徹底的に回避した。そのことでこの小説は観念小説に陥らずにすんだ。わたしが、執拗に『浮雲』にこだわり続けるのも、その効用の一つであろう。もし、富岡が『悪霊』論など展開したら、その陳腐さは隠しきれなかっただろう。当時、ドストエフスキーに熱中していた坂口安吾小林秀雄ですら、ドストエフスキーにからかわれ続けていることを自覚していた。ドストエフスキーと真っ向から戦って勝利をおさめた小説家はいない。見事に敗北して見せたのは『吹雪物語』を中断せざるを得なかった坂口安吾である。小林秀雄は途中でドストエフスキー研究から離脱して日本回帰した。横光利一は『悪霊』に圧倒されて蒼ざめ、武者小路実篤は『カラマーゾフの兄弟』を読んで大絶賛するばかりで、はなからドストエフスキーと立ち向かう姿勢をもたなかった。意外にも、『悪霊』のニコライ・スタヴローギンの告白の神髄に迫って独自の世界を切り開いたのは『城の崎にて』を書いた志賀直哉であった。少年の頃、内村鑑三に師事し、その後キリスト教に懐疑を抱いて内村から離れ、小説を書き続けた志賀直哉の信と不信の問題は深く深刻で、彼は誰よりもドストエフスキーの神を見据えていたと言える。埴谷雄高は『悪霊』の影響を受けて『死霊』を書き継いだ文芸家であるが、あまりにも観念の世界に潜入したことで、小説の人物から肉体がそぎ落とされてしまった。埴谷のドストエフスキー論も巷間で言われるほど深いものではない。わたしなどは『悪霊』を読んでダンディを気取っている富岡兼吾の姿は埴谷雄高小林秀雄のそれと重なる。文学青年をたぶらかすようなレトリックに、林芙美子はいっさいひっかかることはない。林芙美子プロレタリア文学やダダ、シュールレアリズムの理屈や理論にたぶらかされたことは一度もない。『放浪記』の作者の眼は、生きた人間の嘘偽りのない原寸大の姿を的確にとらえている。富岡兼吾の根拠のない、格好つけのダンディズムの虚妄など当初から看破している。その芙美子がゆき子に託して富岡兼吾を追い続けたことの意味を探らなければならないということである。

 「衆生なンてものは、神や仏は持っちゃいないのさ。自分で持てないから、小金を積んで、神仏の慈悲を買いに来る。それを心得て、ここでは大日向教というものを製造して売ってやるンだ。みんなよろこんで買って行くンだな‥‥‥」(342〈四十六〉)

 先ほども引用した箇所だが、この伊庭の言葉にドストエフスキーの大審問官の言葉を重ねることができる以上、簡単に読み過ごすわけにはいかない。民衆(衆生)に自由はいらない。そんな自由は売り飛ばして、石をパンに変える奇跡をこそ衆生は求めている。誰にも強要されずに、自分の意志で信仰を獲得することは大半の衆生には不可能である。大審問官はキリストの名において弱き者である衆生を救う途を選ぶ。当然、大審問官は〈手品〉のからくりを分かっている。手品のからくりを分かっている者は決して幸福ではない。が、多くの衆生を救う途はこのほかにはない。大審問官は絶望を自ら引き受ける。キリストは黙って大審問官に接吻する。この最後の場面が「大審問官の劇詩」のクライマックスをなしている。一方、卑しい胡座を組んだ伊庭に近づいて黙って接吻する神も仏もいない。伊庭は大日向教製造販売者としての役割を忠実に果たしているだけの存在で、大審問官とは違った、彼の水平的な虚無をのぞき見る者はいない。
 ゆき子も富岡も、伊庭の製造した〈神仏の慈悲〉を買わない。ゆき子は大日向教製造販売者の側に与することはあっても、小金を積んでそれを買う気はさらさらない。ゆき子は金では買えない〈神仏の慈悲〉を拒否しているわけではないが、かと言って積極的にそれを求めている風でもない。〈生温き者〉には神仏の慈悲すら無縁なのであろうか。