インドネシア訪問(10)

 館内を一通り見学した後(日本語文献室やロシア文学コーナーを見る前)、わたしたちは貴重図書庫に案内された。担当のロピアンさんと名刺交換などした後、荘厳なドアが開かれ、私たちは厳粛な面もちで冷房が異様にきいた室の奥へとすすんだ。担当者が歩みを止めた。彼女は室の奥まった一角に収められた、インドネシア大学図書館が誇る貴重書(聖書)を見せるつもりであったらしい。が、私の目にいきなり飛び込んできたのは、書架の上に置かれていた肖像画であった。なんとそれはドストエフスキー肖像画で最も有名な、ペロフが描いたものであった。本物の肖像画はトレチャコフ国立美術館に所蔵されているときいていたが、わたしが薄暗い貴重図書室の奥で出会ったそれは本物かレプリカかの真贋の次元を越えて迫ってきた。まさか、インドネシアで〈ドストエフスキーの肖像〉と出会うとは思いもよらなかった。担当者によると、さるオランダ人がインドネシア大学図書館(ないしは図書館長)へ寄贈されたものだということであった。しかし、そのオランダ人がどういうひとなのか、いつ頃、どのような事情で寄贈したのか詳しいことは何もわからなかった。担当者はドストエフスキーに特別な興味も関心もないようであった。貴重図書室を出た後、「もしかしたら、あの肖像画はほんものかもしれないな」とだれともなく口にした。私にとっては、今回のインドネシア訪問で一番衝撃だったのが、このドストエフスキー肖像画との奇跡的な出会いであった。
 ペロフが描いたドストエフスキー肖像画は、日本では新潮文庫のカバー表紙で有名だが、私がこの画で思い出すのは、二十歳の頃、毎週日曜日に通っていた小沼文彦氏主宰の日本ドストエフスキー協会資料センター(渋谷のマンションの一室)に飾られていた画である。資料センターには大きなサモワールが置かれ、壁にはペロフ作のドストエフスキー肖像画の模写が掛かっていた。この画は小沼氏が知人の画家に頼んで描いてもらったということであった。おそらくペロフの描いたドストエフスキー肖像画は多くのひとに模写されていることだろう。私がインドネシア大学図書館の貴重図書室で出会ったドストエフスキー肖像画が、もし模写だとすれば、だれが、だれに、どんな理由で描かせたのか、興味は尽きない。もし本物だとしたら、それこそ大変なことだが……






貴重図書庫担当者のロピアンさん(右)と案内してくださったエティさん(左)

インドネシア大学図書館の貴重図書室の前でエティさんと記念撮影