小林リズムの紙のむだづかい(連載50)
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紙のむだづかい(連載50)
小林リズム
【村上春樹の彼女】
村上春樹の「ダンスダンスダンス」を勧めてきたのは、腕にこれでもかというくらいの切り傷を残した女の子だった。女の子といっても、聞いてみると33歳だとかで、でもまったくもってそんな年齢に見えなくて、少女っぽいあどけない顔だったからびっくりした。
読書会で出会ったとき、彼女はその圧倒的な読書量と社交的な明るさから、みんなに一目置かれていたし、好かれていた。無邪気に笑う小動物みたいなしぐさは、守ってあげたくなるような雰囲気があって羨ましかった。でも、ノースリーブを着た彼女の手首から肩近くまで無数にならぶ傷跡は、見た瞬間にすぐわかるし、かといって屈託のない彼女を前に誰もそんなことを聞けるはずもなく、ただただ「なにかあるんだな」ということしかわからなかった。
私が彼女と直接話したとき、彼女は「村上春樹と結婚したかったくらい好き」と言い、ハルキストを自認していた。今をときめく村上春樹について人は「あぁ、ファッション感覚で読んでる人いるよねー」とか、「あの世界観にすごく引き込まれるの…」とか、それはそれはもう、いろんな意見がある。そんななかすごい独断と偏見なのだけど、自らをハルキストという人って孤独な人が多いような気がする。友人や家族がいないという意味ではなくて、いるのにどこか独立しているというか、「どうあがいたって結局人間はひとりだし」と割り切っているというか、人との関係に一度諦めきった経験があるというか。彼らは自覚しているかわからないけれど、そういう完全には人を寄せ付けないオーラみたいなものがあって、交わったり溶けあったり、一緒くたになることができない感じがする。
病んでいるものの世界を覗いてみたいと思うのはどうしてだろう。単純に怖いもの見たさか、通じるものがあるのか、好奇心なのか。よくわからないけれど私は家に帰ってから彼女のことがとても気になってしまったのだった。見えるものよりも見えないもののほうがずっと興味深いし、見えないもののほうが刺激してくる。「人の裏側を見たい!」という悪趣味がたたって、ついに私は彼女のSNSをたどってしまったのだった。するとブログがリンクされていて、そのちょっと病み系のタイトルをクリックしてみてびっくりした。そこには支離滅裂な矛盾と生きることへの葛藤の日々が綴られていた。
突然襲ってくるフラッシュバックから現実に戻るために腕を傷つけ、記憶を消滅させるために薬に手を出し、感情なんていらないと言いながら、なんでもいいからと人の愛情を欲しがっていた。会話したときには聞こえなかった彼女の叫びで埋め尽くされていて、なんていうか、ひたすら驚いてしまって、壮絶だった。
突き放すように聞こえてしまうかもしれないけれど、私には死にたいと思う人の気持ちがわからない。だけど「死にたい」と死を意識することは、同時に強烈に生を意識することと同格なんだなぁって。それくらい生死に対峙しているのだと。きっと、なんとなく生きているうちはわからないんだと思った。そして彼女は村上春樹の世界に浸るときはどういう気持ちになるんだろうなぁ、と想像したら、例の新刊もちょっと読んでみたくなるのだった。