南青山へ「鈴木孝史作品展」を見に行く

ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本
南青山へ「鈴木孝史作品展」を見に行く。
千代田線で表参道駅下車。午後三時過ぎ、猛暑のなか南青山の骨董通りを歩いてギャラリーストークスへ。例のごとく三人ほどの人に道を聞く。二、三軒隣りの店の人に聞いても分からないのが東京らしい。ようやくたどり着いたのが三時半、白いテーブル、白い椅子、白い壁・・・白づくめの小部屋に十数点の作品が展示されている。何人かの人が椅子にかけて話し込んでいたが、すぐに奥の部屋に姿を消した。猛暑から解放され、冷房のきいた展示室は俗なる時空から超脱した静謐な異空間へと一瞬にして変容した。

鈴木孝史さんの作品展を訪れたのは初めてだが、大学での雰囲気とは異なったその静謐さが興味深かった。時空間の一瞬を切り取ると、そこに無が現出するが、それは神でない被造物の人間(写真家)には不可能なことで、現象してくるのは無と動の中間点としての〈瞬間〉でしかない。この瞬間は限りなく静謐な光景として現象する。写真学科では原直久さんの作品に高質な純度の高い静謐を感じ、その作品には存在そのものの秘密をかいま見る思いがする。
鈴木さんの作品展には、展示室の白に象徴される〈不在〉の感覚が先鋭的に感じられる。作品の光景は限りなく静止し、静謐な光景として現象しているが、実は同時に光景の〈不在〉をこそ訴えかけている。これは作品制作のイロニーそのもので、この日、不在であった鈴木さんの制作者としての苦渋の貌も見えてくる。写真作品として現像され展示されたものが、実はその〈不在〉をこそ願われたものだとすれば、この真っ白な部屋からすべての作品が消失し、文字通りの空っぽの空間となった時に、作者の狙いは本来的に実現する。○作品の不在をこそ願われた作品展○いずれにせよ、写真作品の制作者として〈写真〉を問い続けて来た者が行き着いた葛藤と自己矛盾と虚無が、さりげなく真摯に提示された作品展であった。

 静謐な異空間から再び猛暑の東京南青山の通りへ出て、吹き出る汗を拭ってスタバに入れば、席は満杯、予定していた『浮雲』論執筆は別の機会にと、腹もすいたので「冷やし中華はじめました」のチラシにつられて、中華店「赤坂ふーちん 青山店」へと入る。冷やし中華はポテトサラダ付きで480円と超お得な値段、店の雰囲気も店員の感じもいい。南青山にお出かけの時はぜひお立ち寄りください。


スタバはどこもいっぱい

店員の方に撮っていただきました

おいしい冷やし中華とサラダポテト


共同研究の会にて。鈴木孝史さん(左)と千早正美さん(右)七月十五日目白「入江」