押上で「『罪と罰』の現代性」について話す

ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本
21日は押上まで出かけて「『罪と罰』の現代性」について話す。押上駅についたのが四時頃、駅近くのマックで一時間ほど『浮雲』論を執筆した後、タクシーで会場に向かうが、運転手が亀戸駅まで行ってしまい、カーナビがあるにもかかわらず、場所を特定できない。タクシーを代えてようやく会場に辿り着く。歩いて十分ほどのところを四十分もかかった。酷暑のなか、山崎行太郎さんと野本博さんが参加してくだすった。山下聖美さん率いる日芸マスコミ研究会の学生さんたちはわたしの教え子でもあるので、はたしてどこまで新鮮味のある話となるか。『罪と罰』を読んだことのないひとも参加していたので、簡単に『罪と罰』の筋書きにも触れながら、最終的には林芙美子の『浮雲』にまで話をすすめた。ドストエフスキーには「すべての人間は卑劣漢である」という人間認識がある。『浮雲』の富岡兼吾は嘘つきでずるくて見栄坊な〈卑劣漢〉である。この富岡の卑劣な〈吾〉をわたしたちもまた〈兼〉ねているという認識に立った時にはじめて、林芙美子の『浮雲』がドストエフスキーの問題をも引き継いだ作品として鮮やかに浮上してくる。わたしの『浮雲』論はすでに千枚を越えているが、なかなか終結しない。今年中に終えるかどうか。
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   日芸マスコミ研究会
当日の講演を写真で紹介します。