「同人雑誌集覧」Ⅰ

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昨日(六月三十日)の午後二時過ぎ「同人誌の変遷ー文芸学科所蔵同人誌を中心にー」(平成22年度日本大学芸術学部芸術資料館企画展2010/6/22〜7/23)を見てきた。文芸学科四年生の二人が受付にいて、あまりひとがこないと嘆いていた。パソコン時代、学生は古い雑誌などに特別の興味も関心もないのだろうか。

受付の文芸学科四年生。細川優さんと高澤美南海さん。
文芸学科研究室に「文芸雑誌センター」が設置されたのは昭和四十年の暮であった。センターには全国各地で出されている同人雑誌七千冊あまりが収集整理されている。昭和四十一年には当時文芸学科の助手で、すでに坂口安吾研究家としても知られていた関井光男氏の編集で『同人雑誌集覧Ⅰ』が刊行された。私が文芸学科に入学した昭和四十三年は大学紛争が加熱した年であった。文芸学科の教授であった三浦朱門氏と助教授の赤塚行雄氏は『さらば日本大学ーーバッタ派教師の見た日大紛争』 (文藝春秋 1969)を上梓して大学を去り、助手の関井氏も去った。続刊される予定であった「同人雑誌集覧」はⅠのみで終わった。

関井光男編集による「同人雑誌集覧Ⅰ」の特別装丁
私が文芸学科研究室に残ったのは昭和四十六年であった。文芸雑誌センターを再開したのは昭和五十年の一月である。朝日新聞夕刊(昭和五十年二月十三日)に「草の根文芸の収集再開」と紹介され、以後同人雑誌がセンターに続々と贈られるようになった。同年五月二十七日にNHKラジオ「趣味の手帳」で私は「同人雑誌盛衰記」と題して話をした。この時の話は『NHK趣味の手帳より 本とその周辺』(文化出版局 昭和五十二年四月)に収録されている。二十代半ばの若き頃の私の肖像写真をとくとごらんください。



人に歴史あり、文芸学科に歴史あり。今日のところはこのへんで。