山川方夫の深淵(連載49) 清水正

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山川方夫の深淵(連載49

清水正

 

 

『最初の秋』&『海岸公園』を読む

自殺劇後の〈私〉――長姉の縁談をめぐって――

 

 作者は失敗に終わった自殺劇後の〈私〉に「私は、あらためて自分が家族の中での役目を放擲し、母からの信頼を裏切ろうとした無責任、その卑怯を恥じた。私は、私なりにせいいっぱいの努力で、それを引き受けようと思った」と言わせている。この言葉は、自殺の茶番劇などよりはるかに重く響く。自殺の〈思いつき〉などは空想の域を一歩も超えていなかったが、こちらの言葉には変えようもない現実がはりついているからである。

  〈私〉は痛ましいほどに〈家族の中での役目〉〈母からの信頼〉を確信していながら、一度はそれを裏切ろうとして自殺の茶番劇を演じてしまった。〈私〉は自分の思いつきと行為を茶番劇としては受け取らず、あくまでも家族に対する卑怯な裏切りとして自分を断罪している。〈私〉は〈せいいっぱいの努力〉で自分に与えられた使命を引き受けようとする。

 わたしの脳裡に浮かんでくるのは、ペテルブルクに上京したばかりのロジオンである。ロジオンもまた当初は、母や妹の希望にかなうよう〈せいいっぱいの努力〉を重ねていたのである。ロジオンはその後、厳しい現実に直面して、希望へと続く道から逸脱していくことになる。この逸脱の道程が『罪と罰』という壮大深遠な物語をかたち作っていくことになるのだが、〈私〉はあくまでも地味な、面白味の欠ける現実を生きることになる。

 次の場面を見てみよう。

 

  あの長姉が病院からもらってきたという毒薬が、本当に青酸加里だったかどうか、あやしいものだったといま私は思う。――が、長姉がそう信じていたことは疑えない。翌年の二月、長姉は、東京のアトリエをその会社の寮にしてくれた社長からの縁談を、結納まで取りかわしながら結局は拒んだ。そのことで一家中がもめ、母は当然のこと、祖父までが彼女を叱りつけて、「年齢を考えなさい、お前なんかもう、オオルド・ミスちゅうもんじゃ、数えで二十六いうたらお前、昔ならウバザクラか大年増もいいところじゃ」と、どなった。私も、母がやっと一つ荷を下ろすといい、喜んでいただけに、長姉のわがままと不決断より、母の気苦労のほうに同感した。

  それも試験勉強で徹夜をしかけていた夜だった。私が小用を足しに下りると、入れちがいに、やはり「当番」で二宮に来ていた長姉が、跫音を忍ばせてそっと二階へ上るのを見た。長姉は春の結婚のためにつくった新調のスーツをきちんと着て、それが私の不審を誘い、想像を刺激していた。私は、すぐ便所を出た。

  私が二階の部屋に入ると、長姉と胸をぶつけそうになった。はっと身を引く長姉は片手を後ろにかくしていて、目から鼻にかけてが醜く赤く染まり、泣いていたあとが明瞭だった。

 「なにを取りにきたの」

  と、私はいった。長姉は答えず、そこに立ちつくしていた。私は机に向い、彼女の顔を見ずにいった。

 「もし、文箱の中のものだったら、無駄だよ」

  やはり想像は当っていた。

  長姉は低い声で、「……どうして?」といった。

 「お姉様(私は長姉をそう呼んでいた)が病院でもらってきた薬なら、蒸発しちゃっている。紙に黄色い汚染だけをのこしてね。それを舐めてもダメなんだよ」

  長姉は、しばらくは息をとめたように無言だった。やがて、乾いた声でいった。

 「やってみたのね?」

 「うん」私は辞引を引きながら答えた。「あとで考えたら、ばからしいことだったなと思った。……ちょっと身をずらして考えると、もうそんな気はなくなっちゃうもんらしいね、もっとも、これはぼくの場合だけど」 「……そう」

  小さな紙をひろげる音が聞えた。やや間があり、長姉が近づくのを感じると、それはまるめた二枚の紙を、私の屑籠に捨てにきたのだった。私はなにもいわなかった。(『最初の秋』410~411頁)

 

 〈私〉は自殺劇の過去を振り返り、紙に包まれた毒薬そのものを疑っている。注意すべきは、〈私〉は〈青酸加里〉が本物であったかどうか疑ったのであって、自分の〈自殺〉そのものを疑っていないことだ。〈私〉はここでも自らの行為に関して垂直的な眼差しを注ぐ代わりに、翌年の長姉の自殺未遂劇を思い起こしている。カメラの水平移動である。読者は〈私〉の自殺劇を深く掘り起こす時間を与えられない。作者はすぐさま長姉の自殺未遂劇を提供する。作者は長姉の内面に踏み込まず、〈私〉が見た長姉の姿をそのままに描き出す。ここに山川方夫の人物描写法の特徴があらわれている。

 すぐれた小説家は説明せず描写する。長姉がどのような気持ちで二階の〈青酸加里〉を手に入れようとしたのか、作者はその切迫した心理に直接踏み込むことはない。長姉の〈独白〉を記すことは私小説の体裁をとっている以上不可能であるが、しかし〈私〉の主観を通してそれを描くことは可能である。しかし作者はそういった手法は採らない。読者は〈私〉が見たその姿を通して、その時の長姉の内面を推測、想像するしかない。ということは、作者は読者の感受性、想像力に託しているともいえる。作品は読者の連想力、想像力を抜きにしては成立しない。その意味では、山川方夫は読者を信頼した上で作品を書いていたことになる。ここに描かれた長姉に対する〈想像〉は読者の数だけあることになるが、とりあえずわたしはわたしの思いを語るほかはない。

 長姉は祖父から〈数えで二十六〉と言われているから、満で二十五の時に縁談があったことになる。作品から判断するとその時〈私〉は四歳違いの満二十一歳と推定できる。作者は長姉の縁談が、一家が世話になっている社長からの薦めであったことを記しているが、結婚相手についてはいっさい触れない。ここには、長姉の結婚で最も尊重されなければならない結婚相手が不在扱いされている。一家が重んじているのは、縁談をもってきてくれた社長の意向であり、結婚適齢期を逃してオオルド・ミスになってはならないという世間体を気にする意識である。

 〈母〉にとって長姉の結婚は〈かたづけ〉であり、それは古い家制度を厳格に守り、守り続けようとする〈母〉の意思に沿うものであった。こういったしきたりの中で育ってきた長姉に反抗の意識はなかったのか。そんなはずはあるまい。長姉も好きな男と出会い、その男との結婚を夢見たこともあるだろう。長姉は縁談に納得がいかなかったからこそ、祖父や〈母〉と言い争いもしたのである。しかし作者は、祖父と〈母〉との烈しい諍いの場面は描いても、長姉と〈母〉とのそれは描かなかった。もし描かれていれば、長姉もまた〈母〉に似て、不断は寡黙でおとなしいが、いざとなれば感情を爆発させる〈こわい女〉の側面を露わにしていたであろう。『最初の秋』や『海岸公園』で四姉妹はほとんど照明を与えられていないが、比べれば長姉だけは独自の照明が与えられていたといえよう。