「トルストイの「懺悔」をめぐって」2を掲載

 

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ドストエフスキー曼陀羅─松原寛&ドストエフスキー

(D文学研究会星雲社発売)

本書はドストエフスキー生誕200周年・日芸創設100周年を記念して刊行されます。

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表紙と帯

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公告

今回はわたしの「苦悶と求道の哲人・松原寛をめぐる断想─トルストイの「懺悔」、松原寛のキリスト像柳宗悦の奇蹟観などに触れながら―」の中から

トルストイの「懺悔」をめぐって」の前半部分2を゜掲載します。

  いつか私は自分の青春時代のこの十年間の生活の話ーー感激と教訓に富んだーーをすることがあろう。多くの人々にもこれと同じような経験があることと思う。私はりっぱな人間になりたいと心から願っていた。が、年も若く、情欲があったし、美徳を探求していた頃は一人きりで、まったくの孤独だった。そして私が本心から願っていることを、つまり、道徳的にりっぱな人間になりたいということを口に出して言おうとするとかならずいつも軽蔑と嘲笑とに直面してしまうのだった、が、忌まわしい情欲に身を委すや否や、たちまち私は賞賛されたり、けしかけられたりした。
  功名心、権勢欲、貪欲、色欲、傲慢、憤怒、敵愾心、ーーそんなものがどれもたいせつに思われた。(6)


 松原寛はミッションスクール時代に抱いた世俗的な野心・功名心ambitiousを隠すことはなかった。松原寛の著作に韜晦はないし、虚勢もない。自分の心の動きを素直に表白している。松原寛がトルストイの『懺悔』に心の底から共感を抱いたことは間違いない。
 松原寛は処女論文「若き哲人の苦悶」で次のように書いている。

  私は丁度一昨年より昨年の初めにかけてあらゆる苦悶と戦った。其れは今言わんとするものでないから、余り内容には立ち入るまいが、自己不満や、従来把持していた確信の瓦解やによりて起った不可解論、懐疑主義を持つ様になって、全く生の暗黒の外知る事が出来なくなっていた。トルストイコンフェッションは其頃私の最も耽読せしものの一つであった様な有様で、華厳瀑布の岩頭に立った藤村操氏や、幾度か手に刃を握った吐伯や、又は毒杯をあおがんとしたファウスト等の心事や感情は、決して私には不可解のものではなかった。善く其気持や気分を知り得るものの一人であると自ら信じて居る。実際其頃の自分を省みて見ると、いたましくもあわれな悲しき限りなきものであった。どうして今頃こんなに生きて、こんな物を書いているのか不思議の様にも思われる。

 

 松原寛の全著作は懺悔の意味合いを持っている。彼は徹底して自分を内省し、確固たる永遠のものを求めて煩悶し続けた哲人である。トルストイもまた死ぬまで内なる格闘をし続けた作家である。
 わたしはトルストイの『アンナ・カレーニナ』や『クロイツェルソナタ』を高く評価する。特に後者は人間の嫉妬の問題を鋭く的確に描いた傑作である。わたしが妙な感じで面白いと思うのは、トルストイ自身の『クロイツェルソナタ』評の凡庸さである。どうして『クロイツェルソナタ』のような傑作を書き下ろしたトルストイが、同時にこんなにも凡庸な感想を書き記すことができるのか。トルストイの内には紛れもない天才と凡人以下の凡人が同居しているのかと思ったほどだ。小説を書いている時、トルストイには確かに或る神秘的でデモーニッシュなものが取り憑いている。が、書き終えてしまうと、そのデモーニッシュなものはさっさと退散し、それに代わって凡庸な常識人が登場してくる。
 『懺悔』の内容に関しても同じようなことが言える。ここには聖なるものを志向する天才と世俗的な野心にまみれた凡人が、作者に特別な断りもなく出たり入ったりしている。それでいてトルストイは自分の内に天才と凡人が同居していること自体の矛盾に苦しんでいるようには見えない。トルストイには、もう一人の天才ドストエフスキーには見られない、驚くほどの鈍感さがある。この鈍感さは、トルストイが貴族として生まれ育ったことと無関係ではないように思える。
 トルストイはどんなに努力して百姓の真似事をしても、所詮、本当の百姓にはなれないのだ。十九世紀ロシアの百姓は農奴である。農奴に自由はない。トルストイ農奴を所有する地主貴族である。地主貴族としての莫大な財産と、作家として世界的な名声をほしいままにしていたトルストイは、自分が所有していた農奴一人の内的外的世界を共有することはできない。トルストイの懺悔は、第一高等学校を現役で合格した知的青年松原寛の共感を得たが、はたして農奴の心の扉を叩くことができたであろうか。

   地主貴族と百姓との間に作られた溝を埋める事ができるのか。トルストイ農奴たちの教育活動を積極的に展開した。敷地内に学校を建設し、子供たちに教育をほどこした。トルストイ自身は地主貴族として、知識人として最大の努力を払って教育に専心した。トルストイの教育活動は個人的な事業としても高く評価されるだろう。しかし彼は死ぬまで地主貴族であることを貫いた。わたしは『戦争と平和』を読み、『アンナ・カレーニナ』を読み、トルストイの小説家としての天才に微塵の疑義を差し挟む者ではない。が、『復活』を読んで確信したのは、トルストイが復活を信じていないことであった。トルストイは死を異様に恐れている。彼が復活を信じていない一つの証である。
 トルストイの『懺悔』は確かに、正直に彼自身の内面を晒している。しかし、内面を正直に晒すことが、即神に対する懺悔となってはいない。トルストイキリスト教の教義から離れたと書き、が同時に神を否定してもいないと書いている。こういう曖昧な書き方を許していること自体が、彼が本当の信仰者でないことを暴露している。こういう、曖昧な態度をとる人を神は〈生温き人〉と呼んで自らの口から吐き出すのである。トルストイは自分を〈生温き人〉として自覚したことがあっただろうか。彼はいつも悩み苦しみ、必死になって救いを求めているかのように振る舞っている。残されたトルストイ肖像画は苦渋に満ちている。それは内部に始末に負えない怪物を抱え持ってしまった者の苦悶の顔にしか見えない。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。3回に分けてありますので是非最後までご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc 

https://www.youtube.com/watch?v=I-qg45NxyKQ

https://www.youtube.com/watch?v=B1grbVxCc0o

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube