近藤承神子 清水正さんとの縁

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
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清水正ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
清水正・ユーチューブ」でも紹介しています。ぜひご覧ください。
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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

清水正さんとの縁
近藤承神子

 

私が清水さんと最初に出会った頃のことは、清水さんが著 作の中で再三記述されている。その後のことも、私と係わり のあったことは、義理堅く記録に残して下さり、有難い。私 の記憶は正確でなく、清水さんの文章によって甦る場面を私 は反芻するばかりで、そこは違うと訂正することは全くな い。
 
ざっと項目を並べてみれば、ドストエフスキーの会の発表 者に近藤が清水さんを推薦したこと、近藤が司会をしたこ と、その印象記を近藤が会報に記述したこと、書店に清水さ んの著作『ドストエフスキー体験』を出版するよう斡旋した こと、つげ義春のサイン入りの一冊を清水さんが近藤から受 け取ったこと、その後、「江古田文学」につげ義春特集を組 んだ時「清水さん自身によるつげ義春批評がない」と近藤が嘆いたこと等であろうか。
 
私が特に清水さんに感謝していることは、清水さんから声 をかけていただき、「江古田文学」の表紙絵を数点掲載して いただいたことである。批判の声も聞こえたが、私としては 会心の作で、パネルに貼って友人に見せ自慢したことがあっ た。
 
清水さんがまだ大学生であった頃だと思うが、当時の拙 宅、都営住宅の三畳間に寄っていただいて明け方まで語り 合ったことがあった。勿論私はもっぱら聞き役、清水さんが 放出するエネルギーを漏らさず受け止めるだけで精一杯で あった。
 
その場のことで一つだけ印象深く覚えていることがある。 それは、ユトリロムンクの絵を見比べながら、私が、ムンクは正常、ユトリロは精神を病んでいる人の絵だと断じたと ころ、清水さんは驚き「怖い」と漏らして画集を繰っていた ことである。その後私の意見に異論を持たれたかどうか、関 心を失ったのかどうか、話題にしたことはないが、清水さん が怖いと漏らしたことにより、知ったかぶりをして断定した 私自身、画集の絵から妖気が浮いてくる気がしてぞくっとし た記憶は忘れ難い。
 
いずれにせよ、清水さんの批評対象はドストエフスキー一 人に限ったことではない。人間の神経にかかわる作品があれ ば関心を寄せ、批評の対象とする可能性がある。洋の東西を 問うことはあるまい。つまり清水さんは、日本と世界に唯一 の清水流批評体系を創造された方である。
 
その清水さんが任期を終えて教授職を引退なさるというこ とであるが、黙って野に下る姿を見ていろというのか、誠に もったいない。
 
常識と規律の約束ごとを守ることは大切であるが、歴史を 見ればわかるように、「超」の付く一流を枠にはめることは 大きな誤りである。考えるまでもなく損失である。
 
今、ハワイの島で生活圏の地面を割って溶岩が噴出してい る。私はその報道画面を見ながら、清水さんを思う。清水さ んの集中力と持続力の格の違いを常に意識して七十八歳の今 日まで生きてきた私に、次の言葉を語る資格はないかと思う が、言わせてほしい。
 
清水さんの噴出するエネルギーは、教室を職場を去ったか らと言って止まるまい。溶岩が冷えるように清水さんの情熱 が冷えるということは想像できない。
 
清水さんが発する言葉に対して、反発であれ、誤解であ れ、共感であれ、畏怖であれ、青少年の若く熱いエネルギー がぶつかってほしい。ぶつかり火花を散らしてこそ、結実す る結晶がある。それを生産できる芸術学部であってほしい。 大学は、いつまでも教授と学生双方が発散するエネルギーの 衝突する場、そんな機会を提供する場であってほしいと願 う。
 
清水さんと縁のあったことは、私の生涯の事件であり、幸 福な財産である。感謝して感謝し過ぎることはない。
 
ありがとうございました。

(こんどう・たかし   アナトミカル・デッサン会会員)