『清水正・宮澤賢治論全集』第二卷刊行お知らせ

清水正宮澤賢治論全集』第二卷(D文学研究会刊行・星雲社発売)の刊行は予定通り三月に。
わたしが今迄に刊行した宮澤賢治論の単行本は編著・共著を含めて三十冊を越える。
四十歳から五十歳までの十年間、この期間をわたしは《ケンジ童話論の革命》と見なしている。
この《革命》から二十数年が過ぎたが、《革命》があったことすら気づいていない宮澤賢治研究者や愛好者が大半である。それとなく気づいていても知らんぷりを決め込むのが保身的な研究者のいつもかわらぬやり口である。

宮澤賢治は天才だが、彼を研究する者の大半が凡才、もしくは自分を天才と錯覚している者である。
先行文献を読みながら、宮澤賢治の神秘と謎に充ちた童話を、これほど凡庸にしか理解できないものなのかと呆れかえったものだ。

宮澤賢治は童話や詩を書いて、孤独な〈独り遊び〉をしていたのだな、とつくづく思う。

三十冊ばかり宮澤賢治の童話についての本を出して、ある時ふと本を出版する気持ちがなくなった。
それで、わたしが主宰するD文学研究会から発行している「D文学通信」に発表したまま単行本に収録しなかった宮澤賢治の童話論はそのまま放置されていた。

ところで、一昨年、書評新聞社から宮澤賢治に関する本の書評を頼まれ、一読して気が滅入った。
とにかく面白くない。想像力は飛翔せず、テキストを掘り起こす鍬は短かく、これではどうしようもない。
感動を覚えない本の書評を書くことほど不快なことはない。
書き送った書評は担当者の判断によってボツになった。いろいろ思うところもあったが、いっさい返事をしないことでわたしの意向は伝えたことにしてある。

わたしが今回、『清水正宮澤賢治論全集』第二卷を十年ぶりに刊行しようと思った一つの理由に、この書評にまつわる問題があった。

とにかく、書いて単行本に収録していなかったケンジ童話論だけでも今回の『宮澤賢治論全集』には載せようという気持ちになった。これらの童話論はワープロで打ち込んであり、まずはフロッピーから探さなければならなかった。
当初、四百字詰め原稿用紙に換算して五百枚位と思っていたが、三倍の千五百枚ほどあった。

いつものことだが、校正が面倒臭い。妻や学生に協力してもらって、ようやく校了にこぎつけた。
いずれにせよ、二十数年前に起こした《ケンジ童話論の革命》が的確に認識されるにはまだまだ時間がかかるだろう。

今回の『清水正宮澤賢治論全集』第二卷の刊行と同時に、わたしの《ケンジ童話論の革命》の現場に日芸の大学院生として途中から同行することになった山下聖美さんの『清水正宮澤賢治論』(D文学研究会)も三月に刊行する予定である。