散歩の後、我孫子市民プラザで「手編み」の展示会をのぞく

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本日は久しぶりの休日、十一時過ぎからウォーキング。つくしの方面を歩いて、我孫子の自然に触れた後、我孫子市民プラザで「手編み」の展示を見る。その後、エスパのスターバックスでコーヒーを飲みながら、一昨日から書き始めた「アポロンの地獄」論を書きすすめる。興にのったところで、前の席に座っている二人のご婦人の甲高い話声がうるさく、店を出る。静かな書斎で執筆すればいいようなものの、わたしは喫茶店と電車の中でしか原稿を書かない。時に喫茶店で、店内いっぱいに聴こえる声で話をしたりする者と出くわすが、まったく不愉快な気分になる。とにかく電車内での過剰放送や、駅のエスカレーターでの小学生向けの注意放送(お願い放送)など、気にしはじめるとノイローゼになるぐらいうるさい。上林温泉の「塵表閣」のあの静かさがなんとも恋しくなる。今や文化度の高さは〈静かさ〉にあると言ってもいい。我孫子は北の鎌倉と言われるほどの文化的な土地なのに、駅エスカレーターの〈お願い放送〉にはまったくうんざりする。我孫子市民を小学低学年並みに考えているのだろうか。お茶の水駅には長いエスカレーターが設置されているが、〈お願い放送〉などいっさいない。3・11の大地震の際には、シャッターを全部下ろして客を駅構内から締め出し、嵐がくれば「しばらくお待ちください」の放送を繰り返して六時間も七時間も平気で待たせる。JRの放送は客のことを思っているというより、自己保身としか思えない。今の日本人は老いも若きも、実におとなしい。学生のひとりが、「私も怒っているが、怒り方を知らない」と言っていたが、本当に現代の日本人は冗談でなく、怒り方を忘れてしまったのかもしれない。