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清水正・画
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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)
随想 空即空(連載191)
わたしは今年七十五歳になったが、自我に目覚めた中学時代から今日に至るまでキリスト教に入信しようなどと思ったことはただの一度もない。小学生の頃から時間については執拗に考え続けていたが、キリスト教の神について真剣に考えたことはない。換言すれば、キリスト教の神がわたしの人生に切実に迫ってきたことがない。わたしはドストエフスキーを読む前にベルグソンの『時間と自由』を読んだが、すでにニーチェの永劫回帰説に共鳴していたわたしはベルグソンの〈自由〉をも〈必然〉と同義の自由として理解した。無限の存在可能としての自由などと心躍るようなことを言われてもそんな幻想にひたることはできなかった。過去は過ぎ去った一義的絶対であるが、未来は自分の自由意志によってなんでも選択できるというこの考え方は、その根底にキリスト教的な直線的時間論が据え置かれている。ベルグソンは未来に無限の存在可能性を認めているから、時間を円環的にとらえ、未来をすでに一義的に決定された過去と同様に見なすニーチェの虚無と絶望を抱え込むことはない。であるから同時に、ベルグソンにはニーチェの自由と必然の合体する宇宙的歓喜も訪れることはない。自由意志の意志を統括する或るなにものかを感触することもできない。
ニーチェの永劫回帰を認める者にとってすでにキリスト教の神はその絶対性を根底から剥奪されている。善悪観念を予め絶対として措定する人格神など、人間が勝手に幻想したものでしかない。ニーチェは若い頃は敬虔なキリスト者であったが、神に対する懐疑的思弁を徹底し、永劫回帰の念に撃たれるや、ただちにキリスト教から離れる。しかしニーチェほどキリストにこだわった詩人もいない。ニーチェは不断に〈ディオニュソス的なるもの〉を〈キリスト〉に対置せずにはおれなかった。極端な言い方をすれば、ニーチェは〈反キリスト〉を説いた〈キリスト〉、〈ディオニュソス的なるもの〉を抱え込んだ〈キリスト〉であったとも言えようか。
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