随想 空即空(連載183)

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随想 空即空(連載183

清水正  

 〈淫蕩・色欲〉(сладострастие)に関しては、ドストエフスキーは直接的な描写はしていないが、読者が想像力をたくましくすれば実に豊かな描かれざる性場面が現れ出ることになる。色欲を臆面もなく前面に押し出してきたのは『虐げられし人々』のワルコフスキーであり、彼は悪の哲学者でもある。彼は人間の内に潜む悪を否定することはない。人間の内に悪が存在するなら、その悪を肯定するのが自然なのである。彼の悪の哲学は、彼がマルキ・ド・サドの信奉者であることを示している。ドストエフスキーの文学の内にサドの哲学が輸血されたことによって、ドストエフスキーの独自のキリスト教神学はより一層強靱になったとも言える。

 〈淫蕩・色欲〉は『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『白痴』のロゴージン、『悪霊』のニコライ・スタヴローギン、『未成年』のヴェルシーロフを経て『カラマーゾフの兄弟』のフョードル・カラマーゾフに到る。これらどの人物も癖のある一筋縄ではいかない淫蕩漢であるが、ドストエフスキーの場合、〈淫蕩・色欲〉は清廉潔白、高潔な人物として設定された宗教的な人物の内にこそ秘め隠されている。ムイシュキン公爵の純粋無垢は、その心の深奥に悪のカプセルが埋め込まれている。アリョーシャは悪魔の卵を抱き抱えており、その師ゾシマは〈甘いもの〉好きな長老で、その住まいである庵室には秘密の部屋へと繋がる〈抜けっこ〉が用意されていた。

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